2024/07/06

「出羽三山と袖ケ浦の山岳信仰」展

袖ケ浦市郷土博物館で開催中の「出羽三山と袖ケ浦の山岳信仰」展に行ってきました。

Dsc_4024_300_20240708105002千葉県の上総地域(袖ケ浦、市原、君津)は、江戸期から出羽三山(月山・羽黒山・湯殿山)詣りが盛んで、参詣講や梵天供養塚など信仰の足跡が多く残る地域です。

今回の展示は、担い手不足などで解散した三つの講(下新田・下久保田・下泉)から寄贈された約120点の資料で、袖ケ浦の三山信仰の習俗に迫る企画展です。

出羽三山は、平安末期に修験道の霊場として隆盛を極めました。江戸期になると一般庶民にも登拝が広まります。袖ケ浦では、集落ごとに「八日講」があり、「一生に一度はサンヤマ(三山)に行くもの」とされました。講の代表として代参した人は「行人」と呼ばれ、人々から一目置かれました。

毎月8日に行屋で月並み講を行い、先達が率いて三山に登拝し、集落に戻ると三山供養塔(石碑)を建て、宿坊から授かった腰梵天を埋納する梵天供養(梵天納め)を行いました。行人は亡くなると神になり、特別な葬列で野辺送りした後、行人塚に埋葬されました。

展示は、行屋の祭壇(下新田)や祀られていた大日如来像(下新田、下久保田)・薬師如来と十二神将像(下泉)、行人が使った腰梵天や行衣などを公開。上の写真は、下久保田八日講の烏天狗像です。山を自在に駆け、神通力を使う天狗は山伏の象徴で、憧れの存在でもありました(右奥は三山神像)。

なかなか情報が少ない上総の三山信仰について知る貴重な機会で、展示図録もおすすめです。この企画展は、7月15日(月)まで開催中です。

| |

2024/05/05

江藤新平展

佐賀城本丸歴史館で開催中の特別展「江藤新平~日本の礎を築いた若き稀才の真に迫る」に行ってきました。

20240505_300この特別展は、没後150年の今年、明治新政府で活躍した江藤の功績と人物像に着目し、江藤の視点で「佐賀の乱」を捉え直し、再評価を試みる企画です。

展示は「江藤の人物像」「江藤が残した功績」「江藤を取り巻く人間模様」「江藤を巻き込んだ佐賀戦争」の4テーマで構成。

下級藩士の家に生まれ、苦労して藩校弘道館で朱子学を、枝吉神陽から国学を、蘭学寮で洋学を学んだことが、幕末~明治維新で開花します。尊王攘夷から開国論に転じ、脱藩し京で尊王派と人脈を広げて帰藩。藩から永蟄居を命ぜられます。

維新後、明治新政府に出仕。東京奠都、三権分立と議会制、藩を廃した中央集権制、四民平等、公平な税制と予算の公開などを提言。文部大輔、左院副議長などを経て、明治五年(1872)、初代司法卿に就任。民の司直たるべきを目指し、民法典の編纂、政治と司法の分離、裁判所の新設、判事・検事・代弁人制度の導入など、日本の近代司法の礎を築きました。

しかし、新政府内の不正を相次いで摘発したことで、次第に政権内で疎んじられます。明治六年(1873)、参議となりますが、征韓論争で大久保利通らに敗れ、板垣退助らと下野(明治六年政変)。明治七年(1874)、民撰議院設立建白書を提出し、薩長閥による有司専制を強烈に批判しました。

この年、江藤は、佐賀の不平士族らを抑えるため帰郷。大久保は、佐賀県令を更迭し、熊本鎮台の陸軍を派遣。これに反発した不平士族らが決起し、江藤も戦わざるを得なくなります(佐賀の乱)。近代武装の官軍の前に潰走し、江藤は薩摩と土佐に決起を促しますが叶わず、官憲に捕縛。東京での公平な裁判を望んだ江藤を、大久保は佐賀に送り、弁明の機会を与えることなく、逆賊として斬罪梟首しました(享年40歳)。

江藤が復権したのは、大正五年。かつての盟友大隈重信が首相のとき、正四位を追贈されています。大隈は「江藤を失ったのは国家にとって甚大な損害で不幸」と述懐しています。

この特別展は、5月12日まで開催中です。

| |

2024/02/04

永遠の都 ローマ展

福岡市美術館で開催中の「永遠の都 ローマ展」に行ってきました。

20240204_300二千年を超える歴史と比類なき文化を育んだローマ。この展覧会は、世界で最も古い美術館の一つ、カピトリーノ美術館が所蔵する古代~17世紀の彫刻・絵画・版画を中心に約70点を展示して、永遠の都ローマの歴史と芸術をたどります。

展示は「1 ローマ建国神話の創造」「2 古代ローマ帝国の栄光」「3 美術館の誕生からミケランジェロによる広場構想」「4 絵画館コレクション」「5 芸術の都ローマへの憧れ」の5部と、特集展示「カピトリーノ美術館と日本」で構成。

有名な「カピトリーノの牝狼」(複製)、「ボルセナの鏡」(BC4)、「コンスタンティヌス帝の巨象」(部分、複製)、「老女像」(AD2)、「マイナスを表す浮彫の断片」(BC1~AD1)などが目を引きます。

残念ながら、古代ローマ彫刻の傑作「カピトリーノのヴィーナス」(AD2)はありませんでしたが(東京展のみ出品)、バロックを代表する画家カラヴァッジョの「洗礼者聖ヨハネ」(1602)は日本初公開(福岡展のみ出品)。
今回の展示を通じて、牝狼と双子のモチーフがローマの原点とされる理由がよく分かりました。

この展覧会は、福岡市美術館で3月10日(日)まで開催中です。

| |

2024/01/28

世界遺産 大シルクロード展

福岡アジア美術館で開催中の「世界遺産 大シルクロード展」に行ってきました。

20240128_300日中友好45周年の記念企画で、シルクロードの世界遺産登録(2014)後、初めて中国国外で開催される大規模展です。

古代から東洋と西洋を結ぶ重要な交易ルートで、多様な民族と文化が融合したシルクロード。
今回、洛陽、西安、蘭州、敦煌、新疆など各地で発見されたシルクロードの至宝が来日。金銀宝飾、青銅器、ガラス、陶磁器、壁画、絵画、染織、経典、仏像など、中国の一級文物(国宝)45点が公開されています。

展示は第1部「民族往来の舞台~胡人の活動とオアシスの遺宝」、第2部「東西文明の融合~響き合う漢と胡の輝き」、第3部「仏教漸の遥かな旅~眠りから覚めた経典と祈りの造形」で構成。
隊商を組み砂漠を往来した胡人(騎馬遊牧民族)がもたらした金杯の造形。砂漠のアスターナ古墳群から出土した絹織物に、乾燥した砂漠のおかげで古代の繊維も朽ちずに残ることに驚きます。漢~唐、特に多民族国家だった唐時代の、西方の造形と唐風の装飾が融合した精緻な工芸品が目を引きました。

この企画展は、東京富士美術館と中国9省2自治区の27博物館・研究機関が協力。一級文物(紀元前8~11世紀)と、日本が遣唐使で学んだ唐の文化を体感できて、見応えがありました。

大シルクロード展は、福岡アジア美術館で3月24日(日)まで開催。その後、東北歴史博物館~愛媛県美術館~岡山県立美術館~京都文化博物館と巡回します。

| |

2023/11/18

企画展示「陰陽師とは何者か」

国立歴史民俗博物館(佐倉市)で開催中の企画展示「陰陽師とは何者か」に行ってきました。

20231118太陰暦(旧暦)が使われなくなり150年。この展覧会は、暦と陰陽道の歴史を振り返り、その育んだ文化を探る企画です。

古代中国の陰陽五行思想は、6世紀前半、百済から倭国に伝来。先進の天文・暦・易の知識は、朝廷の判断に大きな影響力を持つようになります。7世紀、陰陽寮が置かれ天文・暦・占を司る官人(陰陽師)が登場しました。

律令制下、陰陽道は宮廷社会の隅々まで浸透。平安中期(10世紀)には世襲寡占化が進み、賀茂忠行(賀茂家)と安倍晴明(安倍家)の二人が栄華を極めます。

武家政権下では、実利重視で陰陽道は衰退。賀茂家・安倍家は自領に戻り、勘解由小路氏・土御門氏を名乗ります。足利将軍家が土御門氏を登用しますが、戦国の世に陰陽道は失権。知識が民間に流出し、怪しげな加持祈祷や占いで渡り歩く民間陰陽師が出現します。

江戸幕府は土御門氏を陰陽道宗家として迎え、民間陰陽師を統制。土御門氏は、幕府公認で陰陽師を独占的に束ね、将軍家の儀礼に欠かせない存在となり全盛を誇ります。平安期の祖・安倍晴明の神格化が進んだのも同時期です。

陰陽師とは、先端の科学(天文学)に基づく分析(暦)で助言(易)する役割を忠実に果たそうとしたプロ集団でした。怪しげなイメージで語られがちな陰陽師の実相がよく分かり、シャーマニズムと日本人の宗教観についても考えさせられました(文字資料多め)。

| |

2023/10/29

久留米ちくご大歌舞伎

久留米シティプラザで開催された「久留米ちくご大歌舞伎」を撮影。

20231029久留米歌舞伎とのつながりは、260年前、七代藩主有馬頼徸が五穀神社建立の際、歌舞伎の興行が行われたと伝わります。

市民による公演は昭和45年(1970)に始まり、今回はコロナ禍で4年ぶり50回目の節目公演です。

演技指導は人間国宝の二代目中村又五郎丈(1979~2008)、十代目坂東三津五郎丈(2009~2014)と受け継がれ、現在は二代目松本白鸚丈が監修。市民による本格歌舞伎で、舞踏家の花柳貴答さん・花柳津祢里さんが稽古を付けています。

この日の演目は「菅原伝授手習鑑(車引)」「白浪五人男(稲瀬川勢揃いの場)」「双蝶々曲輪日記(角力場)」「御楽歌舞伎吹寄(二人藤娘、三人吉三巴白浪(大川端庚申塚の場)、末広がり)」。演者は小学生~80代までの50人で、稽古は6月から始め、2週間前に合同稽古を行いました。

本番は、本格的な舞台道具と衣装、素人とは思えない熱演で、驚いたり感心したり。台詞を間違える場面も、市民歌舞伎ならではのご愛敬です。

かつて各地で盛んに行われた農村歌舞伎・市民歌舞伎は、時代の流れとともに徐々に姿を消しました。この大歌舞伎は、幅広い市民が参加して末永く続いて欲しいと思いました。

| |

2023/10/07

特別展「古代メキシコ」

九州国立博物館で開催中の特別展「古代メキシコ 」展に行ってきました。

20231007BC1500年のオルメカ文明に始まり、1697年にマヤ文明がスペイン侵攻で滅びるまで、3千年以上も栄えたメキシコの古代都市文明。

この特別展では、代表的な文明として、マヤ(BC1200~1697)、テオティワカン(BC100~550)、アステカ(1325~1521)の3つに焦点をあてて紹介しています。

火山の噴火や地震、干ばつ、他国との戦争など厳しい環境の中で、人々は神に祈り畏怖しながら、天文・暦法・文字を発達させ、王墓や神殿、ピラミッドなど壮大な建造物を築きました。

各文明が育んだ独自の世界観と造形美を伝える約140点の至宝が来日。特に、マヤの都市国家パレンケの黄金時代を築いたパカル王朝(615~683)の妃「赤の女王」(レイナ・ロハ)の副葬品は、日本初公開です。

古代メキシコ文明の奥深さと魅力に迫った展覧会で見応えがありました。この日は夜間開館で人も少なく、じっくりと見ることができました(場内は写真撮影可)。

この特別展は、東京、福岡、大阪の巡回展で、九州国立博物館では12月10日(日)まで開催中です。

| |

2023/03/05

特別展「伽耶」

 九州国立博物館で開催中の特別展「伽耶」に行ってきました。

20230304「伽耶」は、3~6世紀に朝鮮半島南部に存在した王国群の総称です。
高句麗・新羅・百済の強国が割拠し、倭国ではヤマト政権の古墳時代に当たります。

古くから鉄の産地で、3~4世紀は「金官伽耶」を盟主に、新羅・百済、中国、倭(弥生時代)と対外交易を展開。5世紀に高句麗が侵攻すると、「大伽耶」が高句麗と連携し、百済を牽制。中国(南斉)に朝貢し「輔国将軍本国王」の地位を得るなど、外交上手でした。

6世紀、百済が伽耶に侵攻すると、新羅と同盟して対抗しつつ、任那日本府の倭国(ヤマト政権)に加勢を求めました(倭では派遣を巡り「磐井の乱」(527)が勃発)。

しかし新羅が同盟を破って侵攻し、「金官伽耶」が降伏。伽耶連合は内部分裂し、「大伽耶」が新羅に服属(562)して消滅しました。

この特別展は、韓国国立中央博物館、国立歴史民俗博物館と九州国立博物館の主催です。日韓の研究成果を反映した「伽耶の興亡」と、九州展では「渡来人」を加えたテーマ構成になっています。
渡来人と倭人が共存した倭国の社会を俯瞰し、伽耶が倭国の文化形成に与えた影響について、最新の研究成果を紹介しています。

伽耶をテーマにした展覧会は、国内では30年ぶり。展示は、紀元前3世紀~6世紀の鉄・金・木工製品や土器など273点(うち韓国宝物3、国重文11、県文化財40、市町村文化財4)に及び、見応えがありました。
千葉県から、市原・山倉1号墳出土「渡来人形埴輪」(県文化財)が出展されています。

この特別展は、九州国立博物館で3月19日(日)まで開催中です。

| | | コメント (0)

2023/02/12

「竹久夢二」展

佐賀県立美術館で開催された「竹久夢二」展に行ってきました。

20230212a竹久夢二(1884~1934) は、大正浪漫期を代表する画家です。

夢二は、岡山県に生まれ、16歳のとき福岡県に移住。17歳で単身上京し、苦学しながら投稿した雑誌や新聞の挿画が評判になりました。25歳で発表した「夢二画集・春の巻」(明治42年)が大ヒット。国内外で精力的に作品を発表しました。

洋風に和の抒情性を採り入れたモダンな「夢二式美人画」 が人気で、出版物の挿絵や表紙を手掛けるグラフィックデザイナーの先駆けでもありました。

この展覧会は、「佐賀で巡り合う大正浪漫の世界」がサブタイトルの新春特別展です。九州初公開の「南枝早春」「春の夜」(いずれも昭和初期)、「薔薇 画賛」「ホームソング」(いずれも大正15年頃)など、約209点の作品を紹介しています。

夢二が愛用した「ベス単」(ベスト・ポケット・コダック)で撮った写真が面白かったです。スナップ的な行動記録と、絵の構図の研究用に撮影した写真だそうですが、シャッターを押す瞬間の心象が伝わってきました。

この日は会期の最終日で、年代を問わず大勢の観客で盛況でした。

| | | コメント (0)

2022/12/18

「バンクシーって誰?」展

福岡アジア美術館で開催中の「バンクシーって誰?」展に行ってきました。

20221218a英国・ブリストルの街で1990年代にストリート・アートを描き始めたとされるバンクシー。
世界各地で、政治的・社会的事象を痛烈に風刺したアートを残すゲリラ的な表現活動で知られますが、正体は謎のままです。

この展覧会は、世界各国で好評を博した「ジ・アート・オブ・バンクシー」展の傑作群を、独自の切り口で紹介した日本オリジナルの企画です。コレクター所蔵のアトリエ作品のほか、バンクシーの主戦場=ストリートを丸ごと再現した展示(没入展示)が見どころです。

写真は、2002年、ロンドン・ウォータールー橋の階段に描かれた「Girl with Balloon」(赤い風船と少女)の再現。この絵のアトリエ作品は、ザザビーズのオークションで落札(約1億5000万円)された瞬間、バンクシーによって額に仕組んだシュレッダーで切り刻まれ、大きな話題となりました。

ストリート作品には、その時代にその場所で描かれた理由があります。街並みごと再現することで、その時代背景と空気感を疑似体験でき、作品に込められた意味を深く考えさせられました。

この企画展は、東京など5都市を巡回し、福岡で3月26日(日)まで開催中です。

| | | コメント (0)

より以前の記事一覧