2025/11/10

深よみ 古賀春江展

久留米市美術館で開催中の「深よみ 古賀春江」展に行ってきました。

Ccf_000116_300古賀春江(1895–1933) は、大正~昭和初期に活動した久留米出身の洋画家です。

善福寺の長男でしたが、地元の松田諦晶に絵を学び、17歳で上京。

久留米出身の画家らが集う来目会で坂本繁二郎、青木繁、高島野十郎らと交流しながら、水彩画に傾倒。22~23歳ころまで水彩画を探究しますが、限界を感じて油彩に転向。

27歳のとき、落選し続けていた二科展で「埋葬」「二階より」が入選し、前衛画家として世に出ました。病弱で精神的な不調に悩まされながら創作を続け、晩年は親交のあった川端康成の援助を受けて闘病し、38歳で早逝。

この展覧会は、作風の変遷を辿り画家の生涯に迫る企画展示です。
序章「古賀春江ってどんな人?」、第1章「水彩画家(1912-1920)」、第2章「松田諦晶との交流(1914ー1922)」、第3章「前衛への道」、第4章「ふたたび松田諦晶」、番外編「古賀春江をとりまく人々」の6部で構成。
初期の水彩画、セザンヌやキュビスム的な作品から、独自の超現実主義に到達したシュルレアリスム的作品まで、多彩な作品群とスケッチ・資料など166点を展示しています。

現実の風景に潜む不安や孤独、幻想など、画家の深層心理を緻密に構成した作品群は、キャンパスにぶつけられた魂の叫びのように感じられました。

この展覧会は、2026年1月18日(日)まで開催されています。

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2025/11/01

没後50年 髙島野十郎展

福岡県立美術館で開催中の「没後50年 髙島野十郎展」に行ってきました。

Ccf_000114_300髙島野十郎(1890–1975) は、大正~昭和期に活動した久留米出身の洋画家です。

東京帝大水産学科を首席卒業後、学者から画家に転向。独学で写実を極め、終生画壇に属することなく「蝋燭」「月」など孤高の精神性を宿した作品を残しました。

晩年は柏市増尾(千葉県)に住み、晴耕雨描の生活。没後、仏教的思想と緻密な写実が融合した作品群が注目を集めました。

この展覧会は、没後50年を記念した過去最大の回顧展です。

プロローグ「野十郎とは何か」、第1章「時代とともに」、第2章「人とともに」、第3章「風とともに」、第4章「仏の心とともに」、エピローグ「野十郎とともに」の6部構成で、「孤高の画家」と呼ばれた野十郎の芸術のルーツを探り、その真髄に迫ります。

青年期や滞欧期、晩年の柏時代など、初公開作品を含め約150点を展示。野十郎が集った坂本繁二郎、青木繁、古賀春江ら同郷の画家らの作品もあり、かなり見応えがありました。「闇を写実で描きたかった」という画家の深層心理に迫る企画で、強烈な個性が訴えかけてきて迫力がありました。

この回顧展は、千葉→福岡→愛知→大阪→栃木→東京の巡回展です。福岡では県立美術館で12月14日(日)まで開催されています。

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2025/10/25

法然と極楽浄土展

九州国立博物館で開催中の特別展「法然と極楽浄土」に行ってきました。

Ccf_000113浄土宗の開祖法然上人(1133~1212)は、平安末期、美作国(今の岡山県)に生まれ、幼少期に争乱で父を失い、父を弔うため出家しました。

比叡山で天台宗の三学(戒定慧)を修めますが、世は乱れ末法思想が広がる中、疲弊した人々が平等に救われる道がないものかと苦悩。

中国唐代の善導大師(613~681)が著した「観経疏」の一節(凡夫でも念仏によって極楽往生できる)に接して、「南無阿弥陀仏」の念仏を称えれば誰もが等しく阿弥陀仏の救済を得ることができる「専修念仏」に至ります。

比叡山を降りて市中(今の知恩院付近)で教えを説き始めたのは43歳のとき。平易で実践的な教えは、貴族から庶民まで多くの人々の支持を集め、弟子たちにより後の浄土宗、浄土真宗、時宗へと受け継がれていきました。

今回の展示は「阿弥陀仏二十五菩薩来迎図(早来迎)」(知恩院)など国宝3点、「選択本願念仏集」(盧山寺)など国重文34点、「一枚起請文」(百万遍知恩寺)など名刹寺院が所蔵する寺宝を集めた貴重な機会です。
令和6年に開宗850年を迎えた浄土宗の歴史がよく分かり見応えがありました。

この特別展は、東京→京都の各国立博物館を巡回し、最後の九州国立博物館で11月30日(日曜)まで開催中です。

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2025/09/16

運慶 祈りの空間―興福寺北円堂展

東京国立博物館で開催中の特別展「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」に行ってきました。

20250916_300この展覧会は、奈良・興福寺に伝わる運慶作の国宝仏像7軀で、鎌倉復興当時の北円堂内陣を再現した企画展です。

中心に据えられた国宝「弥勒如来坐像」は、北円堂(通常非公開)の秘仏本尊で運慶晩年の傑作。今回は60年ぶりの寺外公開です。
その後方左右に佇む国宝「無著菩薩立像」「世親菩薩立像」は、実在した兄弟僧侶をモデルに玉眼を用いた運慶の技術と思想の結晶とされる肖像彫刻です。
これら3軀の仏像は、北円堂八角須弥壇を模して配置されています。

今回の展示では、さらに、かつて北円堂に安置されていた可能性が高い国宝「四天王立像」(現在は中金堂に安置)を四隅に配して、平家の南都焼討(1181)で焼失し鎌倉初期(1210ころ)に復興した当時の北円堂内陣を再現。

見事なまでの祈りの空間に、運慶の仏像芸術の静と動、美と精神性が際立つ企画展示で、見応えがありました。この展覧会は、11月30日(日曜)まで開催中です。

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2025/09/15

江戸☆大奥展

東京国立博物館(平成館)で開催中の特別展「江戸☆大奥」に行ってきました。

20250915

かつて江戸城の奥深くに存在した徳川将軍家の後宮「大奥」。この展覧会は、庶民が想像する世界とは異なる大奥の知られざる真実を、遺された歴史資料とゆかりの品々で紐解く企画展です。

展示は、「第1章 あこがれの大奥」「第2章 大奥の誕生と構造」「第3章 ゆかりの品は語る」「第4章 大奥のくらし」の4部構成です。

第1章では、庶民が憧れ、想像した大奥を錦絵などで紹介。楊洲周延による明治期の浮世絵『千代田の大奥』は、庶民が憧れた大奥の生活を描いた作品で、会期中を通して全40場面を鑑賞できる貴重な機会です。

第3章では、五代将軍徳川綱吉が側室の瑞春院に贈った刺繍掛袱紗全31枚(国重文)を展示。このほか、歴代の御台所や側室、絵島生島事件で知られる絵島、十三代将軍家定に仕えた瀧山など、実在した大奥の女性たちゆかりの品々が一堂に会しています。

「そろそろお話しましょうか。わたくしたちの真実を」の謎めいたサブタイトルのとおり、閉ざされた空間で、権力の狭間に生きた女性たちの栄枯盛衰、喜怒哀楽、美意識と文化を体感させる華やかな展覧会でした。NHKドラマ10「大奥」の御鈴廊下のセットや衣装の展示も大人気でした。

この特別展は、9月21日(日曜)まで開催中です。

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2025/07/21

九州の国宝 きゅーはくのたから展

九州国立博物館で開催中の「九州の国宝・きゅーはくのたから」展に行って来ました。

Ccf_000105開館20周年記念の企画展で、九州・沖縄ゆかりの国宝と、同館が所蔵するイチオシの品々を紹介する特別展です。

展示は「第1章 九州・沖縄の国宝」「第2章 研究員のイチオシ」「第3章 キャラ立ち☆われらQT9」の三部構成です。

第1章では、漢委奴国王の金印、沖ノ島の金製装飾品、日本最古とされる太宰府観世音寺の梵鐘、鎌倉期の蒙古襲来絵詞、琉球王尚家の紅型衣装など、九州と沖縄の国宝63点が大集結。

第2章は、平安期の男女神像、江戸期の南蛮船図屏風、天神山古墳の埴輪たちなど、各分野の研究員がイチオシの所蔵品46点を紹介。

第3章では、大宰府政庁の鬼瓦、高麗の地蔵菩薩遊戯坐像、対馬宗家の人形人参、葛飾北斎の日新除魔図24枚など、九博コレクションの中でも個性派の9点を紹介。

普段は現地の博物館や東京・京都の博物館に行かなければ見ることのできない宝物が一堂に会し、とても見応えがありました。

この特別展は、7月5日~8月31日まで開催しています。

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2025/06/21

やなせたかし展

熊本市現代美術館で開催中の「やなせたかし展」に行って来ました。

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やなせたかし記念館アンパンマンミュージアム(高知県香美市)開館30周年記念の企画展で、初の大規模巡回展です。

やなせたかし氏(1919-2013)は、少年期を高知の伯父宅で過ごし、雑誌「少年倶楽部」で絵に惹かれ東京高等工芸学校(現・千葉大)に進学。卒業後は田辺製薬宣伝部に入社。昭和16年に徴兵され中国に出征。復員後、高知新聞社、三越百貨店でデザインを担当。このころ発表したナンセンス漫画が好評で、漫画家として独立します。

手塚治虫が始めたストーリー漫画が主流になると、ナンセンス漫画は退潮。氏は、舞台美術・作詞・放送構成の仕事を手掛けるようになります。「手のひらに太陽を」の作詞(1961)、詩集「愛する歌」(1966)、漫画「ボオ氏」(1967)、雑誌「詩とメルヘン」(1973)、童話「やさしいライオン」(1975)や「チリンのすず」(1978)、アニメ「それいけ!アンパンマン」(1988)などの作品を生みました。

この展覧会は「やなせたかし大解剖」「漫画」「詩」「絵本とやなせメルヘン」「アンパンマンの誕生」「人生はよろこばせごっこ」の6部構成で、高知時代を含め約200点の原画で氏の人生と作品群を辿ります。

作品の根底に「なんのために生まれて、なにをして生きるのか」を問い続けた氏の想いを感じます。「アンパンマン」だけではない、氏の創作活動の原点を知る貴重な機会でした。

この展覧会は、熊本市現代美術館で6月30日まで開催中。京都→鹿児島→山口→愛知→福岡→東京と巡回予定です。

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2024/07/06

「出羽三山と袖ケ浦の山岳信仰」展

袖ケ浦市郷土博物館で開催中の「出羽三山と袖ケ浦の山岳信仰」展に行ってきました。

Dsc_4024_300_20240708105002千葉県の上総地域(袖ケ浦、市原、君津)は、江戸期から出羽三山(月山・羽黒山・湯殿山)詣りが盛んで、参詣講や梵天供養塚など信仰の足跡が多く残る地域です。

今回の展示は、担い手不足などで解散した三つの講(下新田・下久保田・下泉)から寄贈された約120点の資料で、袖ケ浦の三山信仰の習俗に迫る企画展です。

出羽三山は、平安末期に修験道の霊場として隆盛を極めました。江戸期になると一般庶民にも登拝が広まります。袖ケ浦では、集落ごとに「八日講」があり、「一生に一度はサンヤマ(三山)に行くもの」とされました。講の代表として代参した人は「行人」と呼ばれ、人々から一目置かれました。

毎月8日に行屋で月並み講を行い、先達が率いて三山に登拝し、集落に戻ると三山供養塔(石碑)を建て、宿坊から授かった腰梵天を埋納する梵天供養(梵天納め)を行いました。行人は亡くなると神になり、特別な葬列で野辺送りした後、行人塚に埋葬されました。

展示は、行屋の祭壇(下新田)や祀られていた大日如来像(下新田、下久保田)・薬師如来と十二神将像(下泉)、行人が使った腰梵天や行衣などを公開。上の写真は、下久保田八日講の烏天狗像です。山を自在に駆け、神通力を使う天狗は山伏の象徴で、憧れの存在でもありました(右奥は三山神像)。

なかなか情報が少ない上総の三山信仰について知る貴重な機会で、展示図録もおすすめです。この企画展は、7月15日(月)まで開催中です。

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2024/05/05

江藤新平展

佐賀城本丸歴史館で開催中の特別展「江藤新平~日本の礎を築いた若き稀才の真に迫る」に行ってきました。

20240505_300この特別展は、没後150年の今年、明治新政府で活躍した江藤の功績と人物像に着目し、江藤の視点で「佐賀の乱」を捉え直し、再評価を試みる企画です。

展示は「江藤の人物像」「江藤が残した功績」「江藤を取り巻く人間模様」「江藤を巻き込んだ佐賀戦争」の4テーマで構成。

下級藩士の家に生まれ、苦労して藩校弘道館で朱子学を、枝吉神陽から国学を、蘭学寮で洋学を学んだことが、幕末~明治維新で開花します。尊王攘夷から開国論に転じ、脱藩し京で尊王派と人脈を広げて帰藩。藩から永蟄居を命ぜられます。

維新後、明治新政府に出仕。東京奠都、三権分立と議会制、藩を廃した中央集権制、四民平等、公平な税制と予算の公開などを提言。文部大輔、左院副議長などを経て、明治五年(1872)、初代司法卿に就任。民の司直たるべきを目指し、民法典の編纂、政治と司法の分離、裁判所の新設、判事・検事・代弁人制度の導入など、日本の近代司法の礎を築きました。

しかし、新政府内の不正を相次いで摘発したことで、次第に政権内で疎んじられます。明治六年(1873)、参議となりますが、征韓論争で大久保利通らに敗れ、板垣退助らと下野(明治六年政変)。明治七年(1874)、民撰議院設立建白書を提出し、薩長閥による有司専制を強烈に批判しました。

この年、江藤は、佐賀の不平士族らを抑えるため帰郷。大久保は、佐賀県令を更迭し、熊本鎮台の陸軍を派遣。これに反発した不平士族らが決起し、江藤も戦わざるを得なくなります(佐賀の乱)。近代武装の官軍の前に潰走し、江藤は薩摩と土佐に決起を促しますが叶わず、官憲に捕縛。東京での公平な裁判を望んだ江藤を、大久保は佐賀に送り、弁明の機会を与えることなく、逆賊として斬罪梟首しました(享年40歳)。

江藤が復権したのは、大正五年。かつての盟友大隈重信が首相のとき、正四位を追贈されています。大隈は「江藤を失ったのは国家にとって甚大な損害で不幸」と述懐しています。

この特別展は、5月12日まで開催中です。

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2024/02/04

永遠の都 ローマ展

福岡市美術館で開催中の「永遠の都 ローマ展」に行ってきました。

20240204_300二千年を超える歴史と比類なき文化を育んだローマ。この展覧会は、世界で最も古い美術館の一つ、カピトリーノ美術館が所蔵する古代~17世紀の彫刻・絵画・版画を中心に約70点を展示して、永遠の都ローマの歴史と芸術をたどります。

展示は「1 ローマ建国神話の創造」「2 古代ローマ帝国の栄光」「3 美術館の誕生からミケランジェロによる広場構想」「4 絵画館コレクション」「5 芸術の都ローマへの憧れ」の5部と、特集展示「カピトリーノ美術館と日本」で構成。

有名な「カピトリーノの牝狼」(複製)、「ボルセナの鏡」(BC4)、「コンスタンティヌス帝の巨象」(部分、複製)、「老女像」(AD2)、「マイナスを表す浮彫の断片」(BC1~AD1)などが目を引きます。

残念ながら、古代ローマ彫刻の傑作「カピトリーノのヴィーナス」(AD2)はありませんでしたが(東京展のみ出品)、バロックを代表する画家カラヴァッジョの「洗礼者聖ヨハネ」(1602)は日本初公開(福岡展のみ出品)。
今回の展示を通じて、牝狼と双子のモチーフがローマの原点とされる理由がよく分かりました。

この展覧会は、福岡市美術館で3月10日(日)まで開催中です。

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