続いて、洛東の金戒光明寺・知恩院・高台寺・建仁寺・西福寺を巡ります。
金戒光明寺(浄土宗)は、法然上人が念仏道場を開いた地で「くろ谷さん」の名で親しまれています。
京都守護職に任じられた会津藩主松平容保が本陣を置き、新選組を組織したことでも知られます。
特別公開の御影堂、大方丈と庭園を見学。
御影堂では、運慶作の獅子に乗った文殊菩薩像が興味深かったです(もとは三重塔に安置)。
大方丈では、近藤勇が松平容保に謁見した「謁見の間」、虎の襖絵が描かれた「虎の間」、松の襖絵が描かれた「松の間」を見て、庭園を見学。虎の絵は、襖の開け閉めで見え方が変わるマジックアートのようでした。寺宝の伊藤若冲の「宝珠に槌図」(軸)や、円山応挙の「鶏図」(抜けひよこで有名)も興味深かったです。
続いて、13年ぶり公開の塔頭・西翁院へ。江戸期の茶人・藤村庸軒の祖父が建立し、のち庸軒が造った茶室「反古庵」が有名です。
庸軒は、千宗旦の四弟子の一人で、侘び茶の奥義を極めた人です。
寺が大切にしている苔を傷めないよう、クロックスのサンダルに履き替えて庭を移動。「反古庵」では、飛び石伝いに一人ずつ、にじり口から中を見学。
三畳ほどの小さな庵で、中柱と壁で点前座と客座を仕切っているのが特徴です。点前座の左にある窓から、淀川が遠望できたので「淀看席」の名で呼ばれています。茶室前の蹲踞まで張り出した屋根が珍しかったです。
知恩院(浄土宗)は、法然上人が草庵を結んだ地で、江戸期、徳川将軍家が惜しみなく援助して大伽藍となりました。17年ぶり公開の大方丈・小方丈(いずれも国重文)と庭園を見学。
大方丈は、家光が寛永十八年(1641)に創建した建物です。上下二段の廊下は、知恩院の七不思議の一つ、鶯張りで、歩くとキュッキュッと鳴きます。将軍が上京の折、謁見に使った上段の間・中段の間・下段の間は、狩野派の絢爛豪華な金碧障壁画(襖絵)が見事で、徳川の権勢を誇示した造りになっています。菊の間では、抜け雀で知られる襖絵も公開されていました。対照的に、小方丈は水墨調の襖絵で、落ち着いた雰囲気でした。
境内の裏手にある長い石段を登り、勢至堂と御廟まで足を延ばしたら足が棒になりました。
高台寺(臨済宗建仁寺派)は、秀吉とねねの寺として知られています。慶長十一年(1606)に秀吉の正室ねね(北政所)が夫の菩提を弔うために開いた寺です。霊屋(国重文)の蒔絵、展望台、池にかかる臥龍廊を通る拝観ルートが特別公開中。
池に架かる長い臥龍廊を通って小高い霊屋へ。彩色で飾られた建物に、須弥壇があり、秀吉とねねの木像を祀っています。ねねは、自身の木像の2m下に眠っています。須弥壇と厨子には、漆と金箔で繊細な蒔絵(高台寺蒔絵)が施され、大変美しいものでした。
境内には、伏見城から移した茶室(傘亭・時雨亭、いずれも国重文)もあり、時雨亭は珍しい2階建てでした。
続いて、建仁寺へ移動して、20年ぶり公開の塔頭・久昌院へ。信長に仕えた美濃の武将・奥平信昌が菩提寺として開いた寺で、客殿と前庭、書院を見学。
信昌は、織田・徳川連合軍vs武田が戦った長篠の合戦(1575)で、長篠城に籠城して武田勢を撃破した勇将です。関ケ原には東軍として参戦し、初代の京都所司代に任ぜられています。
客殿では、信昌の活躍を描いた寺宝の「長篠合戦図」(襖絵)を見て、前庭を鑑賞。書院「高松軒」では、座敷の隣に設けられた茶室が船底天井で珍しかったです。
最後は、初公開の西福寺(浄土宗)です。あの世とこの世の境とされる鳥辺野の入口にあり、特別公開の「檀林皇后九相図」「地獄絵図(六道十界図)」「洛中洛外図屏風」を見学。
「檀林皇后九相図」は、嵯峨天皇の后の屍が朽ちて土に還るまでを九段階に分けて描き、通常はお盆の時期のみ公開。「地獄絵図」は、冥界の六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天界)を描き、こちらも通常は精霊迎えの時期のみの公開です。
前に訪れた六道珍皇寺といい、この辺には人の無常をおどろおどろしく伝える寺院が多く集まっています。
今回の京都・冬の旅では、一泊二日で六寺七院と一か所を巡りました。今回もツアーだったので、説明を聞きながら見学と撮影に集中できて楽ちんでした。
旅の機材はD40+18-55mmf/3.5-5.6GIIでした。小型軽量なので、まだまだ旅カメラとして現役です。