2017/12/27

横芝光町・成田山御本尊上陸地

横芝光町・尾垂浜で行われた「成田山御本尊上陸聖地報恩法会」を撮影。

20171227尾垂浜は、成田山新勝寺の本尊・不動明王が上陸した地です。
平将門の乱(939)の時、朱雀帝の命により、寛朝僧正が不動明王像を奉じて海路で房総に入り、公津(成田)の地で将門調伏の護摩祈祷をしたのが、新勝寺の始まりです。

ちなみに、調伏祈願の満願日に将門が討ち取られたことから、今でも平将門を祀る神田明神の氏子は新勝寺に参拝せず、新勝寺の門徒は神田明神に参詣しないそうです。

上陸地には、開山1060年祭(1998)で波切不動尊像が建立され、毎年5/27と12/27、新勝寺の僧侶が巡錫して上陸聖地報恩法会が行われます。

【この日の進行スケジュール】
11:00~ 法会開始
洒水加持→読経→参拝者焼香→法話
11:20ころ 終了

【メモ】
鳥居前~不動明王像まで練り行列で入る。像前で儀式と焼香が行われ、導師の法話があり、20分ほどで終了。法話の内容は、お不動さまの教えの他、地元の人々による上陸地への奉仕活動に対する謝辞、来年は開山1080年祭で当地では4/22に稚児行列が予定されていることなど。
参拝者は地元の皆さんが十数人、カメラマンはなし。自分も1年間の感謝を込めて焼香。終了後、下げた供物のお裾分けで果物まで頂き、恐縮した。上陸地に駐車場なし(付近にスペースあり)。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2016/12/11

船橋・大火揚(おおびよ)

船橋市三山の二宮神社で行われた「大火揚」(おおびよ)を撮影。

20161211

平安期の治承四年(1180)、都から当地に流された藤原師経の一行を、里人たちが大篝火を焚いて出迎えたことに因み、毎年旧暦11月13日の夜に行われます。

参道の石段を下りた御手洗池の流れの傍で、藁束を燃やして篝火を焚きます。かつては茅を燃やしたそうですが、現在は、入手困難な茅に替えて藁になり、、周辺の住宅街に配慮して数束だけ燃やしています。

師経は、翌年、赦されて都へ帰ることになります。その際、里人たちが師経らの舟を見送ったことに因み、御手洗池の流れに2艘のススキ舟を浮かべる「お舟流し」(7月15日)が行われています。

【この日の進行スケジュール】
17:55~ 神事(拝殿)
18:05~ 大火揚(石段下の参道)
点火→火守り
18:20ころ 終了

【メモ】
神社に氏子総代4人が集まり、御手洗池の流れに近い参道に少量の藁束を積み、バケツの水を用意する。拝殿で神事の後、全員が参道に移動。神職が祓い、氏子総代が藁束に火を点ける。その昔、火の粉で延焼したことがあったので、現在は藁2~3束を燃やす程度とか。藁は、周辺に農家がなくなり、知り合いの農家から入手している。火守りをしながら、神職と総代が世間話をしている間に燃え尽き、15分ほどで終了。見学者はなく、カメラマンは私のみ。神社に駐車場あり。
いろいろ教えて頂いた氏子総代の皆さん、ありがとうございました。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2014/12/28

成田・新勝寺の納め不動

成田山新勝寺で行われた「納め不動」(納め札お焚き上げ柴灯大護摩供)を撮影。

20141228関東三大不動の一つ、成田山新勝寺では、毎年12月28日に納め札お焚き上げ柴灯大護摩供が行われます。

この日は一年で最後の縁日なので「納め不動」と呼ばれ、人々が一年間お不動さまの分身として祀った古い護摩札を持ち寄り、一年の加護に感謝を込めて大護摩の炎の中に返します。

真言密教の作法で、斧の作法(護摩壇を作る所作をする)、法弓の作法(四方を弓矢で浄める)、宝剣の作法(剣で天地の悪魔を払う)、洒水(祭壇や参詣者を清める)の儀が行われ、「のうまく さんまんだ ばさらだん せんだん まかろしゃだや…」と唱えながら、大小の護摩札を焚き上げます。

平成23年からは、東日本大震災で被災した岩手・陸前高田市の高田松原の松で作った護摩木も焚き上げて(上の写真)、犠牲者の供養と被災地の復興を祈っています。

【この日の進行スケジュール】
10:20~ 導師・山伏の入場
斧の作法→法弓の作法→宝剣の作法→洒水の儀→点火→大護摩供
11:50ころ 終了

【メモ】
この日の成田は最高気温6度。朝9時30分に現地に入ると、いいポジションはカメラマンで埋まっていた。忌み竹と注連縄で六角形に区切られた結界は、正面奥に祭壇、中央に護摩壇、その手前に導師が座る。護摩壇の右側に山伏(と古い護摩札の山)、左手前には説明者のマイクと太鼓。今回は護摩壇の右側から撮影したが、左右それぞれからでなければ撮れないカットがあるので悩ましい。

終了後、祭壇の供物と注連縄が参詣者に分けられた。見物人は信者さんや観光客が多数。何重にも人垣ができ、途中で撮影場所の移動は困難(脚立も無理)。カメラマンも数え切れず、マスコミや広報も多数。駐車場は近隣の有料Pを利用。来年もリベンジかな。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2014/12/07

栄・安食の酉市

栄町安食の大鷲神社で行われた酉市。今年は魂生さまの町内巡行が行われたので、昨年に引き続き撮影。

20141207魂生(こんせい)大明神は、大鷲神社の境内社で、子授け、安産、夫婦和合に霊験があります。
願をかける人は、他人が奉納した「小さな男根」を借り受け、大願成就の暁には、借り受けたものと新たに作ったもの計2体を感謝を込めて奉納する習わしです。

かつては、子孫繁栄を願って、ムラの女性たちが木製の「御神体」を担ぎ、酉市で賑わう町内を練り歩きました。
時代の流れで、御神体の渡御は永く途絶えていましたが、今年は17年ぶりに女性たちによる御神体の町内巡行が実現。榊と巫女の先導で、紅白幕の台車に鎮座した御神体を女性たちが曳き廻しました。

【この日の進行スケジュール】
10:10~ 魂生大明神の曳き廻し(さわやか通り)
11:30ころ 曳き廻し終了

【メモ】
魂生大明神の曳き廻しは、交通量の多い旧街道を避け、さわやか通りの大鷲神社入口~安食小付近300mほどを一往復。外見からは紅白幕に囲まれて台車の中が見えず、魂生さまの曳き廻しと気付かなかった人も多かった様子。神事の復活というより「いっさいがっさいフェステバル」のイベントとしての位置づけと思われる。駐車場は栄町役場の隣に臨時Pあり。
※本宅サイト「ぐるり房総」>「房総の祭り」>「210.安食の酉市」に写真追加。

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2013/12/14

芝山・あらい祭り

芝山町山田地区で行われた「あらい祭り」を撮影。

20131214旧暦11月吉日、地区の人々が集まり、鎮守大宮神社に厄除けと五穀豊穣を祈願する行事で、江戸末期から続くと伝わります。

当時、村に災厄(子供の早世や大火)が続き、多古・日本寺の修行僧から「神社で厄除けと五穀豊穣を祈願せよ」と教えられ、嘉永三年十一月に祭事を行ったところ、災厄が去って村が栄えたのが始まりとされます。

当番家に村人が集まり、「神の物」(大根で作った男女の性器)を飾り、子宝に恵まれ子孫繁栄の願いを込めながら、皆で「神の食」(精進料理)を食べます。

新旧年番の引継ぎ(トウワタシ)が行われると、いよいよ神社へ移動します。

子供たちは、神社にカヤヤグラを立て、大根の輪切りを準備して、道々大人たちを迎え撃ちます。子供たちが力いっぱい大根を投げつけ、大人たちはゴザで神主を守りながら神社へ進みます。「あらい(=荒い)祭り」とか「大根祭り」と呼ばれる所以で、子供たちが元気に育っている証(あかし)とされます。

神主が神社に到着すると、カヤヤグラに火が放たれます。拝殿では、神事と紐解き(七五三)の子供たちの成長祈願が行われます。

【この日の進行スケジュール】
11:00~ 神の物、神の食(この間、獅子が出る)(山田集会所)
13:00~ 大根投げ→拝殿神事(大宮神社)
14:00ころ 終了

【メモ】
現在は、毎年12月14日に催行。山田集会所で「神の食」とトウオクリが行われる。トウ(年番)は、山田地区の荒場組・沖組・戸崎組・田向組・一本松組が順番に担当。ホントウ(年番)が主催し、シタトウ(昨年の年番)、ウケトウ(来年の年番)が協力する。その年の新妻が「神の物」を前に置いて「神の食」を食べ、子宝を願うとされるが今年は該当者なし。同じ膳が見学者にも振る舞われた。途中で獅子が出るが舞はない。拝殿での紐解き祝いは該当する子供がおらず神事のみが行われた。
見学者は地区の皆さんほか数人、カメラマンは町広報さんほか15人。子供たちの大根投げではカメラマンが周囲に殺到し、牧歌的な構図は無理かも。集会所前に駐車場あり。詳しく教えて頂いた上「神の食」の膳までご馳走になり、地区の皆さん、ありがとうございました。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2013/12/07

香取・香取神宮団碁祭

香取神宮で行われた団碁祭を撮影。

20131207b先週行われた大饗祭で神々の饗応役を務めた姫神を慰労する神事とされます。

神饌として、新穀の米粉で作った団子を山のように供えることから「八石八斗団子祭」(団碁祭)と呼ばれます。
特殊神饌は鴨の羽盛(雌雄一対)、その他に干魚、酢蕪や米なども供えられますが、姫神さまの宴(うたげ)なのでお酒はありません。
数ある香取神宮の神事の中で、御神酒の奉献がないのはこの神事だけです。

団子には、竹串で輪状にして三宝に積んだ大団子と、行器(ほかい)に山盛りの小団子があります。
神事が終了すると、神前から下げた小団子を参拝者に配ります。この団子を食べると、一年間無病息災と云われます。

【この日の進行スケジュール】
18:00~ 神事(拝殿前)
祝詞奏上・修祓→献饌→巫女舞→神職拝礼
19:00ころ 終了

【メモ】
毎年11月30日の大饗祭の1週間後に催行。神饌殿で神官が団子や特殊神饌(雌雄一対の鴨をさばいて盛りつけた鴨羽盛)を用意。夜、篝火が燃える中、神饌殿の扉が開かれ、神職から神職へと手渡しで運ばれ拝殿の祭壇に供えられる。神饌が揃うと、巫女2人による巫女舞が奉納され、最後に神職一同が拝礼して終了。
終了後、昇殿して祭壇の神饌を見学できる。神職の説明が面白く分かり易い。見学者は20~30人、カメラマンは4人。神社に駐車場あり。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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栄・安食の酉市

栄町安食の大鷲神社で行われた酉市を撮影。

20131207大鷲神社は、天慶二年(939)の創建で、天乃日鷲尊(あめのひわしのみこと)を祀っています。

伝承によれば、日本武尊が東征の折、ここに錦旗を立てて仮の野立所とし、祖神を奉斉して仰ぎみたところ、大鷲が飛来して道標となり、無事に目的を達成したと伝わります。

また、江戸期、春日局の崇敬が厚く、竹千代(後の家光)が三代将軍に就いた御礼に、御座船の舳先に掲げられていた金の大鷲を神社に奉納したとされます。

このため、大鷲神社(地元では「大鷲さま」)は、出世開運の守護神として、毎年12月初酉の例祭には福を祈る人々で賑わいます。

例祭に合わせて開かれる酉市は、関東で最も遅い酉の市で、かつては熊手の露店が並び大変な賑わいだったといいます。現在は、町おこしのイベント「いっさいがっさいフェスティバル」も行われています。

【メモ】
酉市は12月の初酉を含む3日間行われる。正面参道に熊手を売る露店が2軒あり、常連客が新年の熊手を買い求めていた。神社は参道正面の急な石段を上がると本殿、参道右手のやや緩やかな石段を上がると魂生神社(金精さま)がある。酉市は地元のお年寄りや小中学生で賑わっていた。駐車場は栄町役場の隣に臨時Pあり。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2012/12/31

千葉・千葉笑い

千葉市中央区の千葉寺(せんようじ)で行われた千葉笑いを撮影。

20121231江戸後期、大晦日に村人が千葉寺に集まり、お面やかぶり物をして、役人に対する不平不満から始まり、集落内の人の悪口を大声で言い合って大笑いをする風習がありました。
やり玉に上がった役人や村人は、二度と笑われないように自らの行状を改め慎んだといわれます。

一年間の憂さ晴らしと他人の行状をいさめるこの風習は、いつしか「千葉笑い」と呼ばれるようになりました。

文政元年(1818)の「相馬日記」には、「また千葉笑いとて、としごとのしはすのつごもりの夜、各おもておほひして、地頭村長(むらおさ)などの邪曲事(よこしまごと)よりはじめ、人のよからぬふるまひどもを、あげつらひののしりあふことありといえり。こは人々のおこたりをいさむるわざなれば、筑波嶺のかがひなどには、いといとまされる風俗といふべし」と書かれています。また、文政六年(1823)には、小林一茶が「千葉寺や 隅に子どもも むり笑ひ」と詠んでいます。

この風習も、明治維新以降は途絶えましたが、平成22年の暮れ、地元自治会や商店会で作る千葉笑い復活振興会の皆さんが町おこしで復活させました。

【この日の進行スケジュール】
15:00~ 第1部 寄せ太鼓と踊り(千葉笑い音頭)
15:30~ 第2部 千葉笑い
16:00ころ 終了

【メモ】
この日は、振興会のメンバー13人が村人の衣装に扮して熱演。四隅に斎竹を立て注連縄を張った中で、「貧しくて、食うためには娘を売らなければなんねえだ。代官、聞いてんのか?」などと不平不満をぶちまけては、全員が大声で笑い飛ばす。台詞は昨年と同様だったが、言い得て妙で面白い。見学者は30人位、カメラマンはケーブルTVのほか5~6人。駐車場は寺の裏手にあり。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2012/12/24

横芝光・小田部の火防

横芝光町小田部地区に伝わる火防(ひぶせ)を撮影。

20121224江戸中期、集落で大火があった際、猿と獅子の面が伝わる伊藤家が延焼を免れたことから、毎年この時期に集落の火災除けを願って行われる伝統行事です。

集落の子供たちが、猿1匹、オス獅子2匹、メス獅子1匹の面をかぶり、地区内を廻って家々を浄めます。
面をかぶる役は、玄関から座敷に入ると、竹の御幣を振りながら「悪魔逃げろ」と繰り返し唱え、入ってきたのと別の場所から屋敷の外に出ます。その間、草履取り役の小さな子供たちが、履物を運んで手伝います。

村廻りに使う面は、その昔、地域の有力者が伊藤家から取り上げたところ、夜中に面がカチカチと歯を鳴らして帰りたがったので、今も伊藤家に伝えられているそうです。

【この日の進行スケジュール】
12:30~ 星宮神社
みんなで参拝→「せんどうもうせ、まんどうもうせ」と唱えながら境内を3周
12:45~ 村廻り
夕方ころ 終了

【メモ】
今年は12月23日の予定が子供たちの都合がつかず、24日に変更して催行。集落の子供たちと大人が星宮神社に参拝後(特に神事はなし)、村廻りに出発。面をかぶるのは小学生で、6年生、4年生、3年生二人の4人が参加。大人たちによれば「昔は子供たちが我先に面を取り合った」とか。今は集落の子供は5~6人とのことで、後継者難が深刻。面役の子供たちは、集落の全戸(40戸ほど)を廻り、座敷内をひと回りして出てくる。旧集落の十数軒を1時間ほどで廻り、区内の新興住宅地へクルマで移動するところで見学を終了。
他に見学者はなく、地元の皆さんのみ。カメラマンは7人と町広報さん。座敷での見学を快諾いただいた集落の皆さん、ありがとうございました。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2011/12/10

房総の郷土芸能2011

銚子市の青少年文化会館で行われた「房総の郷土芸能2011」を見に行ってきました。

20111210参加団体は,銚子・銚子民謡(川四友和会),旭・倉橋の弥勒三番叟(倉橋弥勒三番叟保存会),銚子・高神地区の神楽(高神連),旭・袋でんでん(袋お囃子保存会),匝瑳・仁組獅子舞(仁組獅子舞保存会),横芝光・宮内神楽(宮内神楽保存会),横芝光・中台梯子獅子舞(中台神楽保存会)の7団体でした。

今年は海匝地区の伝統芸能がテーマでした。
仁組獅子舞は,梯子獅子ではなく芸獅子の「釣り玉」を披露。保存会長さんの話では,舞手が足りず梯子獅子の復活は当面無理のようでした。
中台梯子獅子舞は,練習用の短梯子でしたが,梯子の演技が決まるたび,会場から驚きの声と大喝采を浴びていました。
個人的には,まだ訪れたことのない高神地区の神楽(獅子),宮内神楽(十三座)に興味を惹かれました。

千葉県無形民俗文化財連絡協議会の会長さん(鬼来迎保存会の会長さんでもある)の挨拶は,今年も心に響くいい内容でした。最後は,祭事の祭典らしく,観客も一緒に大きな三本締めでお開きとなりました。

今日はステージ公演なので,情報収集のみで撮影はなしです(部分的にiPhoneでHD録画)。現地を訪れるのを楽しみに,音録りをして,舞の順序と展開を予習しました。

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