2017/03/04

習志野・剣(つるぎ)祭

習志野市鷺沼の八剣神社で行われた「剣」祭を撮影。

20170304【現地掲示資料の説明】
「八剣神社祭礼『剣』とは、今から300年有余前の江戸時代初期、徳川幕府第4代将軍徳川家綱の時代から続いていると言われています。
八剣神社で祝詞奏上と玉串奉奠の神事後、触太鼓先導に、御神酒、御神米を振る舞う若者と共に『悪事災難逃れるように』と唱えながら、八名の剣士が氏子の家々へ土足のまま入り、家の中の悪霊を追い払うものです。
また、旧の村境の幕張、津田沼、藤崎、大久保の4か所の境で『辻切り』を行い悪霊を追い払います。」

【この日の進行スケジュール】
13:00~ 集合(根神社社務所)
13:30~ 練り行列(根神社→八剣神社)
14:00~ 祈願祭(八剣神社)
14:30~22:20 ムラ廻り
八剣神社発14:30→5丁目→辻切り(幕張インター)15:10
→3丁目→宿(個人宅)16:00→1丁目→辻切り(1丁目)17:40
→1丁目宿(個人宅)18:00→2丁目→13町会方面→辻切り(跨線橋たもと)19:30
→2丁目宿(社務所)19:50→4丁目→辻切り(4丁目東町会)21:20
→4丁目宿(東町集会所)21:30→根神社戻り22:20
22:30~ 直会、剣士慰労
23:00ころ 終了

【メモ】
旧行3/1だったが、昨年から3月第一土曜日に変更(剣士役の中高生が集まらない)。旧鷺沼村の産土・根神社社務所で出発式。鷺沼囃子とばか面踊りに見送られ、練り行列で末社・八剣神社へ移動。道中、地元の人々が天狗の持つ大榊の小枝をむしり取り、魔除けとして持ち帰る。八剱神社で祈願祭後、剣(鉾)を持ってムラ廻りへ。1本だけ長い親剣をリーダーに旧集落240戸を廻る。現在は門口で祓い、土足で上がることはなくなった。辻切りでは、齋竹に塞坐三柱(八衢彦神・八衢姫神・久那戸神)の護符を祀り、神職が神事を催行。
見物人とカメラマンは、八剣神社では多数。ムラ廻りの同行撮影は、剣士が疾走しながらハイペースで廻るのでかなり困難(先回りはルートが複雑すぎて無理)。両神社に駐車場なし。
詳しく教えて頂いた役員の皆さん、ありがとうございました。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2016/04/03

香取・木内神楽

香取市小見川の須賀神社で奉納された木内神楽を撮影。

20160403【香取市HPの説明】
「江戸時代後期、文化年間(1804~1818)には既に執行されていたといわれ、文政12(1829)年に神楽面11面が修理されたとの記録がある。明治以前は最寄りの神職が相会して奉仕し、明治初期ごろから土地の青年により行われるようになった。現在は地元の有志で組織する木内神楽保存会によって十二座神楽が継承され、氏子の安泰と五穀豊穣・商売繁盛を祈願し3月3日の祭礼に奉納。また、4月3日の須賀神社の祭礼にも奉納される。市の無形民俗文化財に指定。
〔演目〕猿田彦の命・三宝荒神・天ノ鈿女命・天児屋根太玉命・天ノ乙女命・手力男命・榊葉・受持の命・八幡・恵比寿・稲荷大明神 種子蒔・素戔嗚命」

【この日の進行スケジュール】
12:30~ 神楽奉納
猿田彦命→三方荒神→天鈿女命→天児屋根太玉命→天乙女命→手力男命→(休憩15分)→榊葉→受持の命→八幡(やはた)→恵比寿→稲荷大明神・種子蒔→素戔嗚命
16:30ころ 終了

【メモ】
この日は須賀神社での奉納。10時半ころ現地入り。初座の「猿田彦命」に始まり、終曲の「素戔嗚命」まで十二座を4時間で舞う。六座を舞い終わると休憩し、種子蒔では紅白の団子や鏡餅を撒く。神楽殿は床が低く、正面のみ開放。脚立は不要だが、正面中央に神座(御幣)、左手に囃子方が入るので、撮影の自由度はそれほど高くない。舞い手の動きが早い演目が多く、SS1/125では被写体ブレを量産。最後に素戔嗚命が切った〆縄を短く裁断して地元の人々が持ち帰る。花曇りでやや風が強く、途中で雨が降り出す中、見物人は十数人、カメラマンは自分のみ。神社に駐車場なし(周辺にスペースあり)。
甘酒などの接待を頂いた地区の皆さん、ありがとうございました。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2016/02/27

南房総・小戸の初午祭り

南房総市白浜町の小戸稲荷神社で行われた初午祭を撮影。

20160227【現地案内板の説明】
「小戸の初午祭りは口碑の上では江戸時代後期から行われてきたとされる。
初午祭りには獅子神楽舞、小歌踊りなどの芸能が奉納されてきた。しかし、昭和にはいり戦時中は中断しており、昭和二十二年に復活している。そして、昭和五十一年から五十五年まで中断した後、昭和五十六年に五年ぶりに復活。さらに、昭和六十年に館山の市民センターで一部が演じられた後、再び中断していて、平成元年、八年ぶりに再興を遂げた。それ以来、平成四年には三年ごとに実施する事が決まり、平成七年に笛と漫才が復活したという経緯をたどっている。
初午祭りは稲荷神社の祭礼である。祭礼当日は二日にわたって奉納芸が演じられる。初日は山祭りと呼び、祭典のあと稲荷神社の境内に架設された舞台で『神楽獅子舞』をはじめとして『鳥刺し舞』『三番叟』などが演じられる。演目のなかには『小奴』『大奴』や『野毛の山』『かっぽれ』に『伊勢音頭』、『おかめ前立ち』や『狐おかざき』に『漫才』や『玉獅子』などの演目もあり、『鬼鍾馗』や『院長薬盛』の神楽狂言も加わるなど多彩な芸能が演じられる。二日目を浜祭りと呼んでおり、海岸に架設した舞台で前日同様の芸能が奉納される。
初午祭りに奉納される芸能には、近隣地区の奉納芸に匹敵する内容豊かな演目が継承されており、民俗芸能として貴重なものもあって、その資料的価値は高い。」

【この日の進行スケジュール】
13:00~ 初午祭
山神楽→三番叟→鳥刺し→小奴→大奴→伊勢音頭→野毛の山→(休憩)→おかざき→万歳→かっぽれ→おかめ前立ち→玉獅子~大獅子→鬼・鍾馗→院長さん薬盛り
16:10ころ 終了

【メモ】
小戸稲荷神社の例大祭で、三年毎に催行(旧行3月1日、現在はその近くの土日)。今回は初日の「山祭り」を撮影。午前中、花万燈・高張提灯の先導で獅子神楽がムラ廻り。午後、神社境内で14種類の芸能を奉納。演者は地区のお年寄りから小さな子供たちで、1月下旬から練習に励んだ。熱演に集落の皆さんが声援を送り、ムラ祭りの風情を色濃く残す。
見物人は集落の皆さんが多数、カメラマンは10人ほど。駐車場は自然休養村管理センターを利用。二日目の「浜祭り」は、現在は浜ではなく自然休養村管理センターで行われている。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2015/03/14

山武・本柏稲荷神社の神楽

山武市松尾町・本柏稲荷神社の初午祭で奉納された十二座神楽を撮影。

20150314本柏稲荷神社は、大同二年(807)の創建と伝わり、稲の神・倉稲魂命(うかのみたまのみこと)を祀っています。

神社に伝わる十二座神楽は、起源は不詳ですが、明治30年に暴徒により社殿が焼失し、いったん途絶えました。
神社の再建とともに神楽も復活しましたが、昭和38年に再び中断。その後は長く中断していましたが、地元の熱意で昭和52年に再び復活しました。現在は、本柏神楽保存会の皆さんにより受け継がれています。

演目は、「翁の舞・猿田彦の舞・三宝荒神の舞・田耕(たうない)の舞・巫女の舞・種まきの舞・庭掃きの舞・恵比寿の舞・八幡の舞・三韓の舞・岩戸の舞・注連切り」の十二座が伝わります(第十座「三韓の舞」と第十一座「岩戸の舞」は休止中です)。

【この日の進行スケジュール】
10:00~ 祭典
11:00~ 宮かたし、子供みこし
12:45~ 開会挨拶→神楽奉納(十座)
15:00~ 抽選会
15:30ころ 終了

【メモ】
現在、初午祭は3月第二土曜日に催行。十座を約二時間で奉納。「田耕」は狐が化けた乙女の早変わりが面白い。「巫女舞」は舞手が男性で意外(以前は女性)。「庭掃き」は鬼の煌びやかな衣装が見事。「恵比寿」は釣り上げた鯛2匹(の形をした砂糖袋)を観客に投げる。「八幡」は参道方向に鏑矢を1本放つ。特設舞台は、床がやや高く、正面左右の三方が開いており撮影は容易(脚立は3段を推奨)。背景の神楽面を吊した葭簀がいい風情を醸し出すが、楽屋左右を覆うブルーシートが写り込むのが残念。
見物人は30人前後、カメラマンは13人。神社に駐車場なし(本柏共同施設は関係者が駐車)。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2014/03/15

四街道・内黒田はだか参り

四街道市内黒田の熊野神社で行われた「はだか参り」を撮影。

20140315五穀豊穣と無病息災を祈願して、毎年3月15日、地区の産土様・熊野神社で裸の男衆(=裸坊)がお百度を踏み、その年の豊凶を占う神事です。

裸坊は、藁の束でタライの水を体にふりかけ、身を清めてからお百度を踏みます。藁の束は、前年に収穫した稲の藁を箸の長さほどに揃え、一握り分を束ねています。以前は四斗樽に水を溜め、さらに昔は清水が湧く下の池で水垢離をしたそうです。

鳥居~拝殿間を7往復して稲藁を投げ込み、投げ込まれた稲藁の散らばり具合で神社総代がその年の豊凶を占います。
中入り(休憩)の声がかかると、焚き火(かまやき)で体を温め、地区の女衆が手料理で接待します。焚き火は護摩とされており、この火にあたると風邪をひかないと云われています。

中入り後、さらに5往復し、本殿を三周したあと、神社総代・区長・裸坊の代表者の順に胴上げします。最後に「妙見締め」という独特の手締めで終了します。

このはだか参りは、四街道市無形民俗文化財に指定されています。

【この日の進行スケジュール】
16:00~ 神事(修祓、お神酒)
16:05~ はだか参り(7往復→中入り→5往復→本殿3周→胴上げ・手締め)
16:40ころ 終了

【メモ】
今年は地区の氏子の他、助っ人の若者6人が参加。投げ込んだ稲藁での豊凶占いは、現在は行われておらず、最後に集めて焚き火で焚き上げていた。稲藁を手に裸で百度参りをする習俗は四街道に多く見られる(和良比はだか祭りにもその名残り)。この日は暖かな土曜日で見物人は30人前後、カメラマンは20人くらい。夕方の日差しが強く、日陰とのコントラストが強いカメラマン泣かせのコンディション。神社横に駐車スペース数台あり。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2013/03/30

香取・返田の壱萬燈祭

香取市(旧佐原)・返田地区で行われた「壱萬燈祭」を撮影。

20130330毎年3月最終土曜日の夜、地区の鎮守・返田神社の境内で、獅子神楽と余興演目が奉納されます。

獅子神楽は、「小牧の舞」「剣の舞」「幣の舞」「くるい」の4演目が演じられています。
江戸時代に信州から伝わったと云われ、長く途絶えていましたが、昭和55年に復活。

余興は、「鬼」「鍾馗大神」「医者と看護婦」「鳥刺し」「万才」「おかめ」の演目が伝えられています。

提灯の薄明かりの中、境内に筵(とブルーシート)を敷いた舞場で、返田区芸能保存会の皆さんが演じています。
周囲には地区の皆さんによる屋台が出ます。

【この日の進行スケジュール】
18:00~
お囃子(馬鹿囃子→砂切→道→さんば)
神楽(小牧の舞→剣の舞→幣の舞)
踊り(あんば・大漁節・船頭小唄・吉野・佐原小唄・ラッパ節・大杉アンバ)
神楽(くるい)
余興(鬼→鍾馗大神→医者と看護婦→鳥刺し)
神楽(幣の舞)
20:30ころ 終了

【メモ】
獅子神楽の「小牧の舞」と、鳥の所作のような「くるい」は、房総の他地域で見かけない舞型で興味深い。踊りは、本来は囃子に合わせて婦人方が踊ったと思われるが、現在は踊り手がおらず、囃子の演奏のみ。余興は、「万才」と「おかめ」を除く演目が披露された。青鬼役や獅子の胴布持ちを、地区の子供たちが演じている。鳥刺しのこっけいな踊りに子供たちが飛び入りで参加したりと、ムラ祭りの面影を残したいい祭りで楽しかった。
見物人は地元の皆さんが多数、カメラマンは6人。神社に駐車スペース数台。反省点は、レンズの選択ミス。広角と標準のレンズで臨んだが、思ったより舞場が広く、長玉でアップを狙うのもよかったかも。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

(2015.3.28追記)壱萬燈祭は2014年を最後に廃絶し、現在は3月最終日曜日の10:00ころから神楽舞のみが奉納されています。

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2012/03/18

山武・白幡八幡神社の神楽

山武市白幡の白幡八幡神社講社祭で奉納された神楽を撮影。

20120318白幡八幡宮は、伊豆石橋山の戦いで敗れ安房に逃れた源頼朝が、再起を誓って白旗を奉納した由緒ある古社です。

古くから区外に氏子が多く、地域ごとに講社(12講社約120世帯)が形成され、春(3月15日)と秋(旧暦8月15日)に神社に参詣する「講社祭」が行われます。

講社祭では、儀式の後、直会を兼ねて、伝承文化保存会により十二座神楽と稚児舞が奉納されます。

【この日の進行スケジュール】
10:00~ お練り(御子道中)
11:30~ 講社祭々典(拝殿)
12:30~ 神楽奉納(神楽殿)
猿田彦命→鈿女命→八幡大神→稚児舞(御子舞)→三宝荒神→稚児舞(カンカン能)→種蒔→蛭子舞→稲荷之舞→出雲切
14:45ころ 終了

【メモ】
講社祭は、現在は春・秋ともその日に近い日曜日に催行(追記:2013年から神楽は春のみに変更されたようです)。この日は神楽8座と稚児舞2座が演じられた。八幡大神の面が武神らしく凛々しいのと、蛭子舞で登場するえびす・大黒の賑やかな衣装が特徴。稚児舞は小学2~4年生の5人による「御子舞」と「カンカン能」(天冠と水干なし)。カンカン能の名の由来は謎(地元の人も分からないとのこと)。神楽・稚児舞とも奏楽は絶えており、テープを流していた。神楽殿は床が高く、脚立を使用。
途中で雨が降ったが、見物人は30人くらい、カメラマンは5人。駐車場あり。
※詳細記事は,本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2012/03/11

横芝光・宮川の神楽

横芝光町・宮川の熊野神社で奉納された神楽を撮影。

20120311b【現地案内板の解説】
「熊野神社は、貞観十八年勧請された社で、古くは、熊野新宮大権現と言い、明治二年、熊野神社と改称しました。
当社に伝わる神楽は、十三座(十三面)十二舞六曲の謡があり、農作業の安全と五穀豊穣を祈願して春季大祭(三月十五日)に奉納されています。
1天狗 2鈿女命 3三宝荒神 4榊葉 5春日之社人 6お多 7保食神 8田うなひ 9種子蒔 10八幡大武神 11恵比寿 12七五三切
以上の舞で構成されています。」

【この日の進行スケジュール】
13:00~ 神楽奉納
天狗→鈿女命→三宝荒神→榊葉→春日之社人→お多→保食神→田うなひ→種子蒔→八幡大武神→恵比寿→七五三切
16:30ころ 終了

【メモ】
船橋→山武64kmを1時間で移動。現在は、毎年3月第二日曜日に奉納。昨年は、直前に東日本大震災が起きて中止となり、2年ぶりの催行。舞に謡が入る演目が多いのが特徴。「恵比寿」では、九十九里地方の神楽らしく大漁節を踊る。この日は、大震災からちょうど一年。午後2時46分、全員で東北地方に向かい黙祷して続けられた。神楽殿は正面と左右の三方が開き、床はそれほど高くないので撮りやすい。最後の「七五三切」はあっという間で撮り逃がした。
見物人は地元の皆さんが多数、カメラマンは8人。駐車場あり。現地で詳しく教えていただいたHさん、護符を頂いた社友会の皆さん、ありがとうございました。
※詳細記事は,本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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船橋・海神の天道念仏

船橋・海神の念仏堂で行われた天道念仏を撮影。

20120311a天道念仏は、農耕が始まる春先に、太陽(てんとう)を拝んで五穀豊穣を祈願する仏教行事です。
福島以南の関東に多く見られ、千葉県内では下総地方で広く行われていました。

海神地区では、毎年3月8日に近い日曜日、念仏堂で行われます。仏様(大日如来)を華やかな梵天で飾り、供え物をして香を焚きます。唱念仏の後、鉦や太鼓を叩き、「念仏踊り」をしながら梵天の周りを回ります。

昭和初期に中断しましたが、昭和56年(1981)に保存会が結成されて再開されました。

【この日の進行スケジュール】
11:00~ 唱念仏→念仏踊り
13:00~ 念仏踊り

【メモ】
場所は、国道14号とJR総武線に囲まれた小さな空間。念仏は、天道念仏→般若心経→廻向文を唱える。念仏踊りは、扇を手に梵天の周りを右回りで踊る素朴な踊りで、唄や念仏はない。念仏堂の木造阿弥陀如来立像は、平安末期の作で市有形文化財。見学者は十数人、カメラマンは5人。甘酒の振る舞いを頂きました。駐車場なし(スペースもなく、コインPを利用)。
※詳細記事は,本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2011/03/06

香取・本矢作伊勢神楽

香取市(旧佐原市)本矢作の天宮神社と天降神社で奉納された伊勢神楽を撮影。

110306_b五穀豊穣と天下泰平を祈願して,天宮神社と天降神社の春祈祷(毎年3月第一日曜日)と御鎮事(毎年12月第一日曜日)で,境内で奉納されます。もとは江戸中期,矢作地区に両神社が造営された際,神楽舞を奉納したのが始まり。伊勢太神楽の系統で,演目は「布舞」「剣の舞」「鈴舞」「御頭の舞」があります。
しばらく中断した後,昭和63年に保存会が結成されて復活し,現在まで続いています(市無形民俗文化財)。

【この日の進行スケジュール】
14:40~15:20 伊勢神楽奉納(天宮神社)
練り込み→馬鹿囃子→砂切→布舞→剣の舞→鈴舞→御頭の舞

15:40~16:10 伊勢神楽奉納(天降神社)  
練り込み→馬鹿囃子→砂切→布舞→剣の舞→鈴舞→御頭の舞

【メモ】
織幡→本矢作6kmを15分で移動。天宮神社で舞った後,天降神社に移動して舞う。この日は1時間遅れで始まったので,天宮神社での舞から見学。七反の胴布を高く掲げる御頭の舞が見どころ。見物人は,天宮神社では地区のお年寄りや子どもたちが数人,天降神社ではなし。カメラマンは8人。両神社とも駐車場なし(スペースあり)。
※詳細記事は,本宅サイト「ぐるり房総」に掲載。

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