2017/04/28

君津・鹿野山のさんちょこ節

君津・鹿野山の九十九谷展望公園(鹿野山東天峪119-1)で行われたさんちょこ節を再訪。

20170428白鳥神社の例祭(毎年4月28日)は、「花嫁祭り」とも呼ばれ、勇壮な「梯子獅子舞」(県無形民俗文化財)が有名です。

今年は、梯子獅子舞の奉納はなく、「さんちょこ(山上娘)節」が披露されました。

さんちょこ節は、江戸期、娯楽がなかった鹿野山の女児たちが、お盆に縁台で唄いながら竹筒であやとり遊びをしたのが始まりとされます(県無形民俗文化財)。
歌詞は「心願・薬師如来・九十九谷・鳥居崎・春夏・秋冬・滝・烏(8)・烏(9)・富士山」の十番があり、この日は「心願・薬師如来・九十九谷・春夏・秋冬・烏(9)・富士山」の七番が披露されました。

また、「ごんた節」という唄も披露されました。こちらは、文化財指定ではありませんが、鹿野山の坊様と檀家の娘の悲恋を唄ったあやとり遊びで、主に盂蘭盆会で唄われたそうです。

【この日の進行スケジュール】
12:30~ 修祓(九十九里展望公園)
12:35~ さんちょこ節
心願→薬師如来→九十九谷→春夏→秋冬→烏(9)→富士山
12:45~ ごんた節
12:50ころ 終了

【メモ】
昨年は荒天で梯子獅子は中止となり、今年は晴天に恵まれたが保存会の都合で梯子獅子の奉納はなし(獅子は参列と修祓のみで舞なし)。さんちょこ節は、不定期公開なのでなかなか見る機会がない。この公園での披露は今回で2度目。前回は2009年だったから(当時の記事)、実に8年ぶり。前回と異なり、今回は見物人に背を向けて横一列に並ぶ形だったので、一般席からあや竹を操る手元がよく見えなかったのが残念。ごんた節は、初めて聞く内容で興味深かった。平日で見物人は30人ほどと少なく、報道ほかカメラマンは数人。公園に駐車場あり。

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2017/04/23

鴨川・吉保八幡神社の神楽

鴨川市・吉保八幡神社(仲253)の春季例大祭で奉納された獅子神楽を撮影。

20170423吉保八幡神社の春季例大祭(毎年4月第四日曜日)は、「春市」とも呼ばれ、境内に植木市や露店が立ち並び、地元の皆さんで賑わいます。

春季例大祭では、春祈祷として、その年の年番区により獅子神楽が奉納されます。
年番は氏子区の4区(仲・大川面・宮山・八丁)が順に務め、今年は大川面区が奉納しました。

吉保八幡神社は、秋季例大祭の流鏑馬(県無形民俗文化財)が有名で、県内外から大勢の観光客で賑わいます。この獅子神楽は、流鏑馬の後にも同じ演目が「まき納め」として演じられています。

【この日の進行スケジュール】
13:50~ 例大祭式典
14:50~ 獅子神楽奉納
宮舘(神社入り)→前がかり→御幣の舞→鈴の舞→狂い→宮舘(神社発)
15:20ころ 終了

【メモ】
午後1時に現地入り、645使いの神職とカメラ談義をして待機。式典は、拝殿外で修祓の後、昇殿して神事が行われた。式典後、大川面区の宮舘(神楽櫃)が練り込み、獅子神楽を奉納。ベテランの舞手ペアによる息の合った舞が見事。見物人は地元の皆さんが十数人ほど、カメラマンは自分のみ。神社Pは来賓専用(道の駅みんなみの里を利用)。獅子神楽舞を撮るのは、昨年10月の山武市富田以来で半年ぶり。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2017/04/04

葛飾八幡宮三十三周年式年大祭

市川市の葛飾八幡宮で行われた三十三周年式年大祭を撮影。

20170402葛飾八幡宮は、寛平年間(889-898)に宇多天皇の勅願により石清水八幡宮(京都)から勧請し、応神天皇・神功皇后・玉依姫命を祀っています。

33年に一度、地元で「八幡さまの御開帳」と親しまれる式年大祭が盛大に執り行われます。

前回の式年大祭は昭和59年で、5日間(4/1~5)にわたって行われました。今回は、4日間(3/31~4/3)の日程で催行され、稚児行列や宮神輿が渡御するほか、神楽殿や野外ステージ、隣接する市民ホールでは様々な奉納芸能が披露されました。

【今回の進行スケジュール】
3/31 16:30 宵宮
4/1 10:00 大祭式典、13:30 稚児行列、14:00 舞楽
4/2 9:00 御霊遷し、10:00 宮出し、15:40 宮入り、16:00 御霊還し、17:00 神楽
4/3 15:00 奉告祭

【メモ】
今回は好天に恵まれた4/2(日)の行事を見学。神門内で御霊遷しの後、随神門前から神輿2基(宮神輿・諏訪神社神輿)が氏子町内を渡御。担ぎ手は氏子と近郊の愛好団体が応援に入り総勢800人とか。途中、5か所の御神酒所を廻るが、都会ゆえに(交通規制の関係で)正確に時間どおり宮入り。この間、神楽殿では奉納芸能が、野外ステージと新装したばかりの市民ホールでは奉納演芸が披露された。夕方、神楽殿では、昭和30年代に廃絶した十二座神楽から、三座が復活奉納され、とても興味深かった。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2016/04/17

成田・吉岡の神楽舞い

成田市(旧大栄町)吉岡の八坂神社で奉納された獅子神楽を撮影。

20160417毎年4月17日に行われる春祈祷では、五穀豊穣を祈願して、神前で伊勢系の獅子神楽が奉納されます。
社殿を3周した後、四方舞、幣束舞、剣・鈴舞、怒りが演じられます。

夏の祇園祭では、明治~昭和30年ころまで、佐原から購入した人形山車(神武天皇)を曳き廻し、芝居小屋も出てたいそう賑わったそうです。古い資料によれば、区長・神社役員を先頭に、人形山車、万燈持ち、賽銭箱持ち、神輿の行列が続きました。残念ながら山車の運行が難しくなり、昭和36年に山車を解体して山車曳きは廃絶しています。

【この日の進行スケジュール】
14:15~ 神事(ふれあい会館)
14:30~ 獅子神楽奉納
サンギリ→四方舞→幣束舞→剣・鈴舞→怒り→サンギリ
14:45ころ 終了

【メモ】
この日は春の嵐となり、神社から数百m離れた「吉岡ふれあい会館」で催行。屋内で神職による神事の後、獅子神楽が奉納された。舞い時間は15分ほど。幣束舞と剣・鈴舞は一人舞で布持ちなし、四方舞と怒りは二人舞。舞とお囃子は吉岡下座保存会の皆さんが継承している。見学者は役員と地元の皆さん、カメラマンは自分のみ。神社・ふれあい会館に駐車場あり。
古い資料を見せて頂き、色々教えて頂いた区長さん、ありがとうございました。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2016/04/09

東庄・東大社桜井神幸祭

東庄町の東大社で行われた桜井神幸祭を撮影。

20160409社伝によれば、康和四年(1102)、銚子・外川浦が大荒れた際、朝廷の宣旨で銚子に神幸して祭事を行ったところ、神威により海神が鎮まり、海中から霊光が出現したことから、二十年ごとに「銚子大神幸」(銚子みゆき)が行われるようになり、その間、隔年に「利根川の桜井浜へ小規模の桜井神幸を行う」(桜井みゆき)と定められたのが始まりとされています。
早朝、東大社を出た行列は、途中、御手洗盃の井、御産宮に立ち寄った後、桜井浜の祭場に到着します。神輿は、鳥居を3回くぐった後、利根川へ入り揉まれた後、浜の祭場で祭典が執行されます。祭典の終わりには巫女舞(浦安の舞)が奉納され、最後に当番町の間で神輿の受け渡し式が行われます。

【この日の進行スケジュール】 
9:00~ 出御祭典(東大社)
東大社→御手洗盃の井→(車載移動)→敷薦(すくも)塚→御産宮
13:30~ 桜井浜到着
15:00~ 式典(浜の祭典場)
浜降り→祭典→巫女舞
15:40~ 受渡し式
16:00 桜井浜出立→東大社へ

【メモ】
旧行は4/8。ほら貝を響かせながら東大社を出た行列は、御霊代(金幣)を先頭に、神輿と分かれて御産宮へ向かう。御産宮では氏子が「蕗の黄粉あえ」を供える。御産宮で祭事の後、神輿と合流して浜鳥居がある桜井浜(桜井町公園)へ。グランドで神輿を揉みながら入場。浜降り前に神輿の飾りを外し、8の字を描くように3回鳥居をくぐって利根川に入る。川の水は汚く、ヘドロ臭に閉口。その後、再び神輿を飾りつけ、祭典を執行。最後に小学生の巫女4人が「浦安の舞」を奉納。その後に行われた当番の受渡し式は、三献の酒杯を交換した後、謡師による「四海波」と「千秋楽」が唄われる。16時ころ、神輿は銚子太鼓に送られて桜井浜を出立、東大社へ還御した。
この日は風が強いが汗ばむ陽気。見物人・カメラマンともかなり多く、早くからいいポジションで陣取っている。駐車場は桜井町公園か河川敷を利用。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2016/04/03

香取・木内神楽

香取市小見川の須賀神社で奉納された木内神楽を撮影。

20160403【香取市HPの説明】
「江戸時代後期、文化年間(1804~1818)には既に執行されていたといわれ、文政12(1829)年に神楽面11面が修理されたとの記録がある。明治以前は最寄りの神職が相会して奉仕し、明治初期ごろから土地の青年により行われるようになった。現在は地元の有志で組織する木内神楽保存会によって十二座神楽が継承され、氏子の安泰と五穀豊穣・商売繁盛を祈願し3月3日の祭礼に奉納。また、4月3日の須賀神社の祭礼にも奉納される。市の無形民俗文化財に指定。
〔演目〕猿田彦の命・三宝荒神・天ノ鈿女命・天児屋根太玉命・天ノ乙女命・手力男命・榊葉・受持の命・八幡・恵比寿・稲荷大明神 種子蒔・素戔嗚命」

【この日の進行スケジュール】
12:30~ 神楽奉納
猿田彦命→三方荒神→天鈿女命→天児屋根太玉命→天乙女命→手力男命→(休憩15分)→榊葉→受持の命→八幡(やはた)→恵比寿→稲荷大明神・種子蒔→素戔嗚命
16:30ころ 終了

【メモ】
この日は須賀神社での奉納。10時半ころ現地入り。初座の「猿田彦命」に始まり、終曲の「素戔嗚命」まで十二座を4時間で舞う。六座を舞い終わると休憩し、種子蒔では紅白の団子や鏡餅を撒く。神楽殿は床が低く、正面のみ開放。脚立は不要だが、正面中央に神座(御幣)、左手に囃子方が入るので、撮影の自由度はそれほど高くない。舞い手の動きが早い演目が多く、SS1/125では被写体ブレを量産。最後に素戔嗚命が切った〆縄を短く裁断して地元の人々が持ち帰る。花曇りでやや風が強く、途中で雨が降り出す中、見物人は十数人、カメラマンは自分のみ。神社に駐車場なし(周辺にスペースあり)。
甘酒などの接待を頂いた地区の皆さん、ありがとうございました。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2015/04/19

市原・高瀧神社の花嫁まつり

市原・高瀧神社で行われた花嫁まつりを撮影。

20150419高瀧神社は、白鳳二年(662)の鎮座と伝わり、御祭神に玉依姫命(たまよりひめのみこと)を祀っています。
安産・子育て・縁結びのご利益があり、毎年4月中酉(現在は、前後の日曜日)に行われる春季例大祭は、新婚の花嫁が婚礼衣装で参詣することから、「花嫁まつり」と呼ばれています。

もともと高滝地区では、大正期から、氏子に嫁入りした花嫁が仲人に付き添われ、婚礼衣装で神前に結婚を報告し、子宝に恵まれるよう祈願する慣習がありました。
戦時中は中断しましたが、戦後に復活。40年ほど前からは、春季大祭に行列を仕立てて数組が合同で参詣するようになりました。

この日は、3組の新婚カップルが猿田彦の露払いで参詣し、祝福の稚児行列が続きました。

【この日の進行スケジュール】
13:30~ 花嫁まつり
練り行列→神事(拝殿)→記念撮影
14:30ころ 終了

【メモ】
曇天で時折小雨が落ちる中、無事催行。練り行列は、猿田彦・花嫁が一の鳥居から(稚児は二の鳥居から合流)ゆっくり石段を登り、拝殿を右回りに1周してから昇殿する。拝殿神事は20分ほどで終わり、花嫁や稚児が拝殿前で記念撮影して解散。花嫁も花婿も、声をかけるととてもいい表情を見せてくれる。幸せのお裾分けをもらい、こちらまで気持ちが温かくなった。
見物人とカメラマンはものすごく多い。石段の上下から、爺さまカメラマンたちの怒号(「後ろのカメラマン、邪魔だよ」云々)が飛び交い、せっかくの幸せ気分が吹っ飛んでガッカリな感じに。神社に駐車場あるも、門前Pは植木市で利用不可、西参道Pは狭くて満車。周辺道路に路上駐車が溢れていた。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2015/04/12

市原・菊間八幡神社の神楽

市原・菊間八幡神社の春大祭で奉納された十二座神楽を撮影。

20150412b_2菊間八幡神社は、新興住宅街に囲まれた小高い丘の深い森に包まれて鎮座しています。

神社に伝わる十二座神楽は、起源は不詳ですが、江戸後期の1800年代には既に舞われていたと考えられています。
戦中~戦後に途絶えましたが、氏子の熱意で昭和20年代に古老の指導により復活。演目は「神子舞・庭掃き・猿田彦・狐・稲荷・八幡・外道・恵比寿・おかめ」が伝わります。

現在は、菊間八幡神社神楽保存会の皆さんが伝統を守っています。

【この日の進行スケジュール】
13:00~13:40 神子舞
14:00~ 神楽奉納
庭掃き→猿田彦→狐→外道→恵比寿→おかめ→(餅撒き)
15:00ころ 終了

【メモ】
毎年4月第二日曜日に奉納。神子舞は男児1・女児2が交互に舞う。狐の舞(上の写真)は、夫婦狐が鈴と幣束を手に跳ね回る。鈴は豊作を、舞台中央で二匹が交差するのは子孫繁栄を意味している。外道の舞は、別名「鬼の舞」とも呼ばれ、鬼2匹・鍾馗・医者どんと丁稚が登場するユニークな演目。
面と衣装が美しく、舞も本格的な里神楽だが、文化財指定は受けていない(十二座から演目落ちがあるのが理由か)。
神楽殿は、床が高く、正面と左が開いており、撮影は容易(脚立は3段を推奨)。見物人は十数人、カメラマンは7人。神社裏(若宮公民館の奥)に駐車場あり。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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袖ケ浦・飽富神社のお田植神事

袖ケ浦・飽富神社で行われたお田植神事を撮影。

20150412a【現地案内板の説明】
「稲の豊作を祈る神事で4月上旬に行われます。この神事の世話人は高橋孫右衛門宅が世襲で行っています。
当日は、氏子総代が刈ってきた葭(よし)と楢(なら)の小枝を、おばあさん達が苗結びに仕立て、約700本作って神前に供えます。関係者一同が祈願の後、稲籠に入れた葭苗を鳥居の前に運び、すげ笠にたすき姿の「早乙女」が石段下に集まった氏子たちに向かって、この葭苗を投げるという神事です。氏子は、この葭苗を田植えまで神棚に供え、田植えの時に水口に立てて豊作を祈願します。」

【この日の進行スケジュール】
9:00~ 葭苗作り
10:30~ 神事
10:50~ 田植えの儀・早苗振り
11:00ころ 終了

【メモ】
田植え前の予祝行事(旧行5月1日)。早乙女が投げる葭苗は、農家の御婦人方が、葭2本+小楢の枝1本を藁で縛って作る。早乙女役は小学低学年までの女児が勤めるが、地区に適齢の児童がおらず、氏子の関係者で賄っている(今年は4歳と2歳)。石段の最上段から葭苗を投げ、下段で待ち受ける農家の御婦人方が、散らばった葭苗を拾い集めて持ち帰る。神社周辺の水田には水が張られ、田植えに向けた準備が始まっていた。見物人は地元の皆さんほか数人、カメラマンは4人。神社に駐車場あり。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2014/04/20

印西・中根八幡神社の獅子舞

印西市(旧本埜村)中根の八幡神社で奉納された羯鼓舞を撮影。

20140420【現地案内板の説明】
「八幡神社の獅子舞の起源は、一説によると、後醍醐天皇の南北朝時代、落ち武者が中根辺田前地区に居住の地を求め、獅子の作法全般を伝授したことによると伝えられます。後に、「悪魔退散、「家内安全」、「五穀豊穣」を祈願する春祈祷として定着し、毎年春の種まき時期に、舞を地元の八幡神社と鳥見神社に奉納するようになりました。

現在は、毎年4月第三日曜日に奉納の行事が行われ、頭髪に麻や鳥の羽を使った獅子(鹿)の面をかぶったおやじ(親父)、かか(母)、せな(若者)の三人の踊り手が、笛の音に合わせて腹に抱えた小太鼓を打ちながら力強く踊って、稲の籾蒔きの終わりを祝い、豊穣を祈ります。」

【この日の進行スケジュール】
13:00~ 獅子舞奉納
東漸寺→八幡神社→鳥見神社→東漸寺
18:00ころ 終了

【メモ】
朝10時前に現地入り。辺田前コミュニティセンターでは最後の練習中(衣装なし)。獅子は、かか(母)・せな(息子)・おやじ(親父)の三匹が腹に付けた太鼓を叩きながら舞う。舞は1か所あたり十種類(本舞7、役舞3)で50分。各神社へは囃子ながら徒歩で移動。八幡神社では法螺貝が迎え、神事後に舞って最後に全員で祈祷。鳥見神社では舞った後に神事と直会。見物人は地元の皆さんほか生涯学習2グループで50人以上、カメラマンはケーブルTVなど10人と盛況。各神社に駐車場なし。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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