小国・北里柴三郎博士旧邸
新千円札の顔となった北里柴三郎博士の旧邸(熊本県小国町)を訪ねました。
北里柴三郎博士(1853-1931)は、山深い旧小国郷北里村の庄屋の家に生まれ、熊本医学校で学びました。
明治8年、東京医学校(今の東大医学部)に進学。卒業後は内務省衛生局に入り、ドイツへ留学(33歳)。ドイツでは「細菌学の父」と呼ばれたコッホ博士に師事し、破傷風菌の純粋培養に成功。世界で初めて血清療法を発見しました。
明治25年に帰国し、福澤諭吉の援助で「伝染病研究所」を設立(39歳)。のち「国立伝染病研究所」に移管され、所長に就任(46歳)。大正3年、臨床と研究を分離する国の方針に猛抗議して辞任。自ら「北里研究所」を設立(61歳)し、臨床重視の姿勢を貫いた。
その後は、慶応義塾に医学科を創設し初代医学科長を無償で引受け(諭吉に対する恩返し)、日本医師会を創設するなど、日本の公衆衛生の楚を築き、「近代日本医学の父」と呼ばれました。
昭和6年、東京で没(享年79歳)。
小国町の北里柴三郎記念館では、川沿いにあった生家の一部を移築し、大正5年に郷里の子どもたちのために建てた図書館「北里文庫」と賓客をもてなした「貴賓館」とともに保存・公開しています。
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