多久・東原庠舎と多久聖廟
東原庠舎と多久聖廟(佐賀県多久市)を訪ねました。
江戸中期、佐賀藩多久領の四代邑主・多久茂文が開いた学問所と孔子廟です。
多久氏は、肥前の戦国大名龍造寺氏の傍流です。龍造寺家臣の筆頭・鍋島氏が佐賀藩主の座に就くと、多久氏は親類同格として佐賀藩の請役家老など要職を務めました。
しかし、旧主君筋という微妙な立場のため、本藩から様々な圧迫を受け、財政は困窮し、人心は疲弊していました。
17歳で家督を継いだ茂文公は、多久の再興を教育に託します。孝徳を重んじる儒学を奨励し、元禄十二年(1699)、学問所を開設(東原庠舎=とうげんしょうしゃ)。講堂に儒教の祖・孔子の像を祀り、庶民でも志さえあれば学ぶことができました。
さらに宝永五年(1708)、孔子を祀る恭安殿(多久聖廟)を建立。禅宗様仏堂形式に中国(明朝)の伝統的な装飾(鳳凰、饕餮、龍、象、麒麟)を施し、入口に仰高門と左右に半池を備えた折衷様式です(国重文)。廟内には、孔子像を祀る八角形の厨子(聖龕、国重文)と、四配(顔子・曽子・子思子・孟子)の像が祀られています。
以来、「多久の雀は論語をさえずる」と言われるほど論語教育が根付きました。東原庠舎からは、幕末~明治に活躍した鶴田晧(明治刑法草案を作成)、高取伊好(唐津の炭鉱王)、志田林三郎(初の工学博士で電気学会を設立)などの偉人を輩出。
茂文公は、自ら祭官として孔子を称える祭礼「釈采」(せきさい)を催行したとされます。釈采は、現在も春と秋に行われ、多久市長と多久市立東原庠舎中央校・東部校・西渓校の校長など教育関係者が、明王朝の衣装をまとった祭官と献官を務めています。
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開館20周年記念の企画展で、九州・沖縄ゆかりの国宝と、同館が所蔵するイチオシの品々を紹介する特別展です。