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2025/04/28

五木・五木の子守唄

五木村(熊本県球磨郡)は、険しい山間部の集落で、焼畑農業や林業が生業の厳しい環境でした。

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かつて、貧しい家々では、幼い娘を「口減らし」のため子守奉公に出すことも多かったと云います。

奉公先では十分な食事も与えられず、子守だけでなく、家事や雑用など過酷な労働を強いられました。

奉公先の裕福さと自分の境遇を比べつつ、幼い娘たちは、子守をしながら悲哀を込めて唄い、自らを慰めました。これらの唄が「五木の子守唄」として伝承されています。

「おどま 盆ぎり盆ぎり 盆から先ゃおらんど」

口伝のため、70種類以上の歌詞があり、どれが1番でどれが2番という決まりはないとのこと。戦後、作曲家・古関裕而の編曲で、NHKラジオが放送し、「五木の子守唄」として全国に知られるようになりました。

子守唄の里(公園)やヒストリアテラス五木谷(歴史文化交流館)では、古老による「正調・五木の子守唄」を聴くことができます(音声VTR)。

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2025/04/27

錦町・人吉海軍航空基地跡

旧人吉海軍航空基地跡(熊本県球磨郡錦町)を訪ねました。

Dsc_6479_300戦時中の昭和18年(1943)11月に建設が始まり、人吉海軍航空隊が置かれました。

南九州の各海軍航空隊(出水、鹿屋、宮崎)の中継地点として便が良く、滑走路1本(長さ1500m・幅50m、コンクリート舗装)、実習棟や兵舎があり、九三式中間練習機(赤とんぼ)で整備兵と予科練生(少年航空兵)の教育を行いました。

戦局の悪化に伴ない、米軍の上陸に備えて工場や発電所など戦闘継続のための軍事施設が急ピッチで整備されました。

米軍が沖縄に上陸(昭和20年3月)すると、同年6月、九州での地上戦に備え、決戦部隊に改編され航空隊も解隊。
米軍の九州上陸作戦(オリンピック作戦、11月1日予定)の前に日本が降伏したため、九州での地上戦は回避され、人吉基地から特攻機が出撃することもありませんでした。

地下施設は軍事機密で、地元の人々ですら詳細は知らされず、基地は1年9か月で廃止され、跡地は農地などに変貌したため、戦後も長く全容は不明のままでした。

Dsc_6460平成27年(2015)の調査で多くの遺構が見つかり、地下魚雷調整場(上の写真)、兵舎壕、地下作戦室・無線室、庁舎居住地区や松根油乾溜作業所跡などを確認。
「町立ひみつ基地ミュージアム」(2018)では、赤とんぼ(実物大模型)の展示、地下施設の遺構を巡るガイドツアーで、戦争の記憶と平和の尊さを後世に伝える努力が続けられています。

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