五木・五木の子守唄
五木村(熊本県球磨郡)は、険しい山間部の集落で、焼畑農業や林業が生業の厳しい環境でした。

かつて、貧しい家々では、幼い娘を「口減らし」のため子守奉公に出すことも多かったと云います。
奉公先では十分な食事も与えられず、子守だけでなく、家事や雑用など過酷な労働を強いられました。
奉公先の裕福さと自分の境遇を比べつつ、幼い娘たちは、子守をしながら悲哀を込めて唄い、自らを慰めました。これらの唄が「五木の子守唄」として伝承されています。
「おどま 盆ぎり盆ぎり 盆から先ゃおらんど」
口伝のため、70種類以上の歌詞があり、どれが1番でどれが2番という決まりはないとのこと。戦後、作曲家・古関裕而の編曲で、NHKラジオが放送し、「五木の子守唄」として全国に知られるようになりました。
子守唄の里(公園)やヒストリアテラス五木谷(歴史文化交流館)では、古老による「正調・五木の子守唄」を聴くことができます(音声VTR)。
| 固定リンク | 0
戦時中の昭和18年(1943)11月に建設が始まり、人吉海軍航空隊が置かれました。
平成27年(2015)の調査で多くの遺構が見つかり、地下魚雷調整場(上の写真)、兵舎壕、地下作戦室・無線室、庁舎居住地区や松根油乾溜作業所跡などを確認。