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2025/02/24

田川・旧三井田川鉱業所跡

明治期に全国出炭量の半分を占め、日本の富国強兵化と産業革命に大きな役割を果たした筑豊炭田。

Dsc_6344筑豊では、大手資本と地場資本(麻生・貝島・安川)が競って石炭産業が急成長。中でも三井田川鉱業所は筑豊炭田で最大の出炭量を誇りました。

その主力坑が伊田竪坑で、明治末期に第一竪坑(深さ314m)と第二竪坑(深さ349m)が相次いで竣工。
動力ボイラー室の高い煙突は、炭坑節に「あんまり煙突が高いので、さぞやお月さん煙たかろ」と唄われました。

石炭産業は、第一次大戦で活況を呈し、大正~昭和初期の世界恐慌で合理化を余儀なくされました。昭和初期の満州事変~日中戦争で増産に拍車がかかりましたが、太平洋戦争が激化すると出炭量は激減。戦後は朝鮮戦争の特需で石炭景気に沸いたものの、昭和30年代後半には石油と安い外国炭に押され、筑豊の炭坑は次々に閉山しました。

昭和39年に閉山した三井田川鉱業所の跡地には、第一堅坑櫓と、田川の二本煙突と親しまれ、炭坑節にも唄われた煙突(高さ45.45m)が残っています(国史跡) 。

隣接の田川市石炭・歴史博物館では、明治の手掘り~昭和の機械採掘の様子を再現し、炭坑住宅(復元)や炭車や採炭機材を展示。ユネスコ世界記憶遺産に選定された山本作兵衛翁の炭坑記録画も公開しています。

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2025/02/23

飯塚・旧伊藤伝右衛門邸

筑豊の炭鉱王・伊藤伝右衛門の旧邸(福岡県飯塚市)を訪ねました。

Dsc_6226伊藤伝右衛門(1860-1947)は、飯塚の貧しい家に生まれ、幼いころから魚売りの行商、鉱夫、川舟の船頭、丁稚奉公で家計を助けました。

父親の石炭堀りを手伝い、28歳で石炭業に進出。手がけた炭鉱が日清・日露戦争の特需で急成長し、筑豊御三家(麻生家・貝島家・安川家)と並ぶ炭鉱主となりました。

成功した伝右衛門は、銀行経営で実業界にも進出。衆議院議員となり、遠賀川の氾濫から炭鉱を守る河川改修に尽力しています。

成功を収めたころ、妻を亡くし、後妻として東京の柳原伯爵家から燁子(白蓮)を迎えます。親子ほどの年齢差、身分と教養の違いなど、世間では政略結婚で「華族の令嬢が金で買われた」と話題になりました。

伝右衛門は、自邸の二階に白蓮の部屋を増築し、廊下を畳敷にするなど大改装し、邸内での言葉遣いや食事の習慣を改めて白蓮を迎え入れます。家風に馴染めず文学に傾倒する白蓮のため、別府の別邸を白蓮と文人らに自由に使わせ、出版費用を援助しています。

結局、白蓮は、別府の別邸で知り合った編集者の宮崎龍介と駆け落ちし、新聞紙上に伝右衛門への絶縁状を掲載。これに伝右衛門が反論を掲載する騒ぎとなります(白蓮事件)。最後は、伝右衛門が離縁し、柳原伯爵は貴族院議員を引責辞職、白蓮は華族除籍となりました。

旧邸を訪れた日は、「いいづか雛のまつり」が開催中。27畳の本座敷・次之間に飾られた座敷雛が圧巻でした。

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2025/02/01

杵築・重光邸(無迹庵)

重光葵の実家「無迹庵」(大分県杵築市)を訪問しました。

Img_8265重光葵(1887-1957)は、戦艦ミズーリで降伏調印文書に日本全権代表として署名したことで知られます。

豊後大野の郡長を務める家に二男として誕生。3歳のとき、一家は八坂村(今の杵築市)に転居。地元の八坂尋常小学校、杵築高等小学校に通いました。

11歳で重光本家(国東)の養子に入りますが、そのまま実家から旧制杵築中学(現杵築高校)に通います。17歳で第五高等学校(現熊本大学)独法科に進学。外交官を目指し、独語教師ハーンの書生をして勉学に励みました。

東京帝国大学法学部に進み、外交官試験は首席で合格。独・英・米での勤務を経て、上海に赴任。折しも陸軍による満州事変が起き、事態の収束に尽力しますが、爆弾テロで右足を失いました。

ソ・英・中で公使・大使を務め、戦時下の東条英機内閣では外相、敗戦処理の東久邇宮内閣でも外相に就任。昭和20年(1945)9月2日の降伏文書調印式で日本側代表として署名しました。

公職追放後の極東軍事裁判でA級戦犯として4年7か月服役。講和恩赦後、鳩山一郎内閣で外相を務め、昭和31年(1956)に日本の国連復帰を実現。国連総会で「日本は東西の架け橋となる」と演説。帰国の翌月、湯河原の別荘で急逝しました(享年69歳)。

マッカーサーに談判し、進駐軍による直接軍政を阻止して日本政府による間接統治を認めさせた功績は、国の主権と通貨「円」を守り、のちに日本が独立を果たす原動力となりました。

杵築重光邸には、葵が3歳~17歳までを過ごした実家(写真左)と蔵の2階の勉強部屋(写真右)が今も残っています。

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