岡山・備前岡山城
令和の大改修を終えた岡山城(岡山市北区)を訪ねました。
豊臣政権の大大名宇喜多秀家(備前・美作・備中・播磨五十七万四千石)が、天正十八年(1590)から7年かけて築城。旭川を迂回させて城域を広げ、城下町を整備。天守の完成は慶長二年(1597)と云われています。
五層六階、黒漆塗り下見板張りの外壁、金の軒瓦で飾った天守は、大坂城に次ぐ格式を誇り、豊臣の威光を天下に示しました。
秀家は、関ヶ原(1600)で西軍副将として主力を率いて奮戦。小早川秀秋(筑前・筑後五十九万石)の寝返りで総崩れとなり、薩摩に落ち延びた後、八丈島に流刑となりました。
その小早川秀秋は、関ケ原後、備前の旧宇喜多領に五十五万石で転封され岡山城主となります。外堀(廿日堀)の追加、家臣団の強化を行いますが、翌年に急逝。無嗣断絶で改易されました。
慶長八年(1603)、家康の外孫・池田忠継(池田輝政(姫路藩五十二万石)の子)が五歳で岡山藩二十八万石の藩主として入封。以降、池田家は山陽道を守る外様の雄藩として徳川の信頼厚く、明治維新まで十代240年にわたり藩主を務めました。
城は、明治維新後も破却を免れ、国宝として長く市民に親しまれましたが、終戦直前の岡山空襲で焼失。現在の天守は昭和41年(1966)の再建で、戦災を免れた月見櫓は国重文です。
天守台と一層が不等辺五角形で、安土桃山期の特徴を残す城として知られ、平成の改修では金箔瓦を再現。令和の大改修(2022)で耐震補強と化粧直しを実施。内部展示もリニューアルし、最新鋭の設備で宇喜多~小早川~池田の各時代を解説。近代的な博物館のように生まれ変わりました。
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