長崎・大浦天主堂
世界遺産・大浦天主堂(国宝)へ。
正式には「日本二十六聖殉教者聖堂」といい、元治元年(1864)の建築。日本現存最古のキリスト教建築物です。
大浦天主堂は、慶長元年(1597)に豊臣秀吉が長崎で処刑した二十六聖人に捧げられた教会です。
幕末、ローマ教皇庁は開国した日本への再布教をパリ外国宣教会に委託。
長崎に派遣された神父は、二十六聖人殉教の地(西坂)に教会建設を希望しましたが、居留地外には許されず、現在地に西坂に向けて建てられました。
献堂式から1か月後の慶応元年(1865)3月17日、浦上から潜伏キリシタンの一団が現れ、プティジャン神父に信仰を告白。歴史的な「信徒発見」となりました。
明治六年(1873)、禁教令が解かれ、潜伏からカトリックへの復帰が本格化。手狭になった天主堂は、明治十二年(1879)、創建当時の聖堂を包み込む形で増改築され、現在の姿が完成。原爆の被害(1945)を乗り越えて、美しい姿を今に伝えています。
隣接して建つ「旧羅典神学校」(1875、国重文)と「旧長崎大司教館」(1915、県文化財)は、カトリック長崎大司教区の「大浦天主堂キリシタン博物館」として公開されています。
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英国人トーマス・グラバー(1838-1911)は、安政六年(1859)、貿易商の代理人として来日。日本語に長け、人脈を築いて「グラバー商会」(1862ー1870)を設立。茶・生糸の輸出、織物・香辛料・鉄の輸入のほか、討幕派に武器弾薬や蒸気船を提供して財を成しました。
幕府は、島原の乱(1637)後、ポルトガル船の来航を禁じ、出島のポルトガル人を追放(1639)。
二人は肥後水俣の郷士の家に生まれ、明治三年、父の藩庁出仕に伴い熊本大江に転居しました(蘇峰7歳、蘆花2歳)。