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2024/08/03

知覧・知覧麓の武家屋敷

江戸期、薩摩藩は藩内を百十三の外城(行政区画)に分け、鹿児島城下に武士団を集結させることなく分散統治しました。

Dsc_4965各外城には、「御仮屋」(行政庁)を中心に「麓」(ふもと)と呼ばれる武士集落が置かれ、町屋・村落と続いていました。

知覧もその外城の一つです。島津分家の佐多氏が御仮屋を置き、鍵状に曲げた馬場(大通り)に沿って、石垣と生垣で区切られた武家屋敷が門を連ねました。

現在残る知覧麓の武家屋敷群は、江戸中期、佐多氏十八代久峰(1732ー72)のころに形成されたと考えられています。

知覧は、琉球貿易の拠点として栄えた地でもあり、武家の屋敷には母ケ岳を借景に枯山水の和庭園が造られ、武家は和歌をたしなんだと伝わります。各屋敷には、門から邸内を隠す屏風岩(琉球のヒンブン)が立ち、三つ辻には「石敢当」(琉球の魔除け)が置かれるなど、琉球の影響が感じられます。

武家屋敷地区は、薩摩の麓の旧観をよく残し、昭和56年、重要伝統的建造物群保存地区に指定。佐多氏の重臣だった森家の庭園(池泉式)など七つの庭園が「知覧麓庭園」として国名勝に指定され、一般公開されています。

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