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2024/08/04

知覧・知覧特攻平和会館

戦後79年目の8月、知覧特攻平和会館(鹿児島県南九州市)を訪ねました。

Dsc_5032知覧の大刀洗陸軍飛行学校知覧教育隊は、大戦末期の半年間、陸軍の特攻基地となりました。

昭和20年3月、米軍が沖縄に迫ると、大本営は特攻による戦局打開を命令。海軍は艦艇と航空隊による特攻を、陸軍は全航空機による航空特攻を立案し実行に移します。

陸軍の沖縄特攻は、知覧・万世・都城から「振武隊」が、健軍から「義烈空挺隊」が出撃。6月の沖縄陥落まで続き、1036名が戦死。最年少は17歳、最年長は32歳で、うち439名が知覧から出撃しています。

隊員たちは、知覧で出撃命令を待つ間、三角兵舎で寝泊まりし、富屋食堂で団らんしたり、知覧高等女学校の生徒たちの勤労奉仕に感謝しながら過ごしました。出撃命令が下ると、女生徒たちや町民に見送られ、開聞岳に別れを告げて沖縄を目指しました。

知覧特攻平和会館は、1036柱の遺影を出撃日の順に掲げ、遺書と遺品約6000点を展示。語り部の講話に、若き隊員たちが命をかけて守ろうとしたものが何だったのか、深く考えさせられました。

館内には、陸軍の戦闘機「隼」(レプリカ)と「疾風」(世界で唯一の実機)のほか、海軍の零戦52丙型(昭和20年5月、甑島沖で不時着水し、引き上げられた実機)と特攻艇「震洋」(レプリカ)が展示されています(零戦のみ撮影可)。

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