松浦・鷹島海底遺跡の元寇船
伊万里湾口に浮かぶ鷹島(長崎県松浦市)は、人口約1700人が暮らす漁業と農業の島です。
弘安の役(1281)で、博多湾進攻のため集結した元の軍船4400隻が暴風雨に遭い、壊滅した地として知られています。
島の南岸では、昔から漁網に壺や刀剣、碇石がかかり、元寇の伝承が裏付けられていました。
神埼地区の海域では、昭和49年に「管軍総把印」(部隊長の公印)が、平成6年に軍船の碇大小4基が、平成23年に軍船の船底と両舷の外板(鷹島1号沈没船)が、平成27年に2隻目の船底と両舷の外板、隔壁とバラストの石(鷹島2号沈没船)が、それぞれ発見されました。
学術調査で、1号沈没船は全長27m前後、2号沈没船は全長20m前後と推定。また、軍船は、暴風雨を避け島裏に退避したものの、強い南風で島側に吹き寄せられて沈んだと考えられています。
鷹島海底遺跡のうち神崎の沖合一帯は、平成24年、水中遺跡として初の国史跡「鷹島神埼遺跡」に指定されました。
上の写真は、海底の2号沈没船(実物大模型)。2隻の沈没船は、保存のため埋め戻し、モニタリングを継続。741年ぶりに引き揚げられた一石型木製大碇は、新しい保存処理(トレハロース含浸法)を施して松浦市立埋蔵文化財センターで公開されています。令和5年には2号沈没船の近くで新たに3隻目の残骸が発見され、調査が進んでいます。
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