添田・英彦山神宮
福岡県と大分県の県境に位置する英彦山。奈良・大峰山、山形・羽黒山と並び日本三大修験道霊山に数えられます。
中岳(標高1200m)は天忍穂耳尊(日子神=天照大神の子)の御神体とされ、古くは「日子山」と呼ばれ、平安期に嵯峨帝の詔により「彦山」と改めました。
修験道は、日本古来の神道と、インド起源の仏教と中国起源の陰陽道、山岳信仰の道教が習合した信仰です。修験者(山伏、行者)の修行は、古い自分と決別して生まれ変わるために集団で擬死再生の峰入を重ね、心身を鍛えて験力を獲得することで人々の希望を叶える、俗塵に染まった自己を心気一新し活力を得て日常に戻るなど、自己の胆力を鍛えることを目的としています。
彦山では、阿弥陀仏が日子神の姿を借りて出現した「彦山権現」として信仰されました(本地垂迹説)。
最盛期の中世には八百坊三千人が暮らしましたが、戦国期には多くの僧兵を抱え、豊前領主大友氏に攻められ焦土と化し、秀吉の九州征伐(1587)で寺社領を没収され衰退。江戸期に細川氏(豊前小倉藩主)や鍋島氏(肥前藩主)が再興し、江戸中期に霊元法皇の院宣により「英」の字を賜り「英彦山」と改称。九州総鎮守英彦山霊仙寺として栄え、元禄期には二百五十坊を数えました。明治の神仏分離で英彦山神社(昭和50年から神宮)となって現在に至り、近年では修験の再興に力を入れています。
参道の銅鳥居(1637)、中腹の奉幣殿(旧大講堂、1616)は国重文。奉幣殿のすぐ上に下津宮が、山頂に御本社(上宮、修復工事で閉鎖中)が祀られています。
参道の石段は約400段ですが、スロープカーで奉幣殿まで登ることができます(起点の幸駅は廃止、花駅(旧英彦山小学校)~神駅間のみ運行)。
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