博多・十日恵比寿神社
博多は、古来から大陸との交易拠点で、重要な湊でした。中世には商人による合議制の自治が認められた商都に発展。戦国期、豊臣秀吉は九州征伐の際、博多に本営を置き、町割りを行いました。九州征伐の功で筑前三十二万石を拝領した小早川氏は名島に城を築き、多くの社寺を博多に寄進しています。
江戸期、黒田長政が筑前五十二万石で入ると、那珂川の対岸に城と城下を整備し「福岡」と改称。
以降、那珂川の東が「商人の町・博多」、西が「武家の町・福岡」として、それぞれ発展を遂げることになります。
博多の十日恵比寿神社は、七福神の恵比須さまを祀り、漁民・商家の篤い信仰を集めています。
社伝では、天正十九年(1591)、武内五右衛門が香椎宮・筥崎宮へ正月参詣の帰り、千代の松原の波打ち際で恵比寿さまの像を拾い、毎日拝んだところ商売繁盛し、拾った地に祠を祀ったのが始まりとされます。
正月の十日恵比寿祭りは、8日が「初えびす」、9日が「宵えびす」、10日が「正大祭」、11日が「残りえびす」で、博多芸妓衆の「徒歩(かち)参り」が華やかに行われます。
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