博多・筑前一之宮 筥崎宮
筑前一之宮・筥崎宮は、延長元年(923)の創建で、応神天皇(八幡大神)・神功皇后・玉依姫命を祀っています。
宇佐(大分)、石清水(京都)とともに日本三大八幡宮の一つで、鎌倉期以降は武家の信仰を集めました。
鎌倉期、博多は元寇の激戦地となりました。
文永の役(1274)では、上陸した元軍と鎌倉武士団の激しい攻防で、筥崎宮も焼失。時の亀山上皇は、「我が身を以て国難に代わらん」と異国降伏を祈祷。焼失した社殿を再建し、「敵国降伏」の宸筆を下賜したと伝わります。
現在の社殿は、本殿と拝殿が天文十五年(1546)に大内義隆(戦国大名)の 、楼門が文禄三年(1594)に小早川隆景(筑前・筑後領主)の再建(いずれも国重文)。 楼門の扁額「敵国降伏」の文字は、亀山上皇の宸筆を写したものとされ、伏敵門と呼ばれています。
参道の石造一之鳥居は、慶長十四年(1609)に黒田長政(福岡藩主)の寄進です。
毎年9月の「放生会(や)」は、博多三大祭り一つ。「梨も柿も放生会」と謳われ、豊穣を祈り、海と山の幸に感謝する祭礼です。海岸まで続く広い参道は数百軒の露店が並び、参詣者で埋め尽くされます。
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江戸期、黒田長政が筑前五十二万石で入ると、那珂川の対岸に城と城下を整備し「福岡」と改称。