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2024/04/08

博多・筑前一之宮 筥崎宮

筑前一之宮・筥崎宮は、延長元年(923)の創建で、応神天皇(八幡大神)・神功皇后・玉依姫命を祀っています。

Dsc_4677_300宇佐(大分)、石清水(京都)とともに日本三大八幡宮の一つで、鎌倉期以降は武家の信仰を集めました。

鎌倉期、博多は元寇の激戦地となりました。

文永の役(1274)では、上陸した元軍と鎌倉武士団の激しい攻防で、筥崎宮も焼失。時の亀山上皇は、「我が身を以て国難に代わらん」と異国降伏を祈祷。焼失した社殿を再建し、「敵国降伏」の宸筆を下賜したと伝わります。

現在の社殿は、本殿と拝殿が天文十五年(1546)に大内義隆(戦国大名)の 、楼門が文禄三年(1594)に小早川隆景(筑前・筑後領主)の再建(いずれも国重文)。 楼門の扁額「敵国降伏」の文字は、亀山上皇の宸筆を写したものとされ、伏敵門と呼ばれています。

参道の石造一之鳥居は、慶長十四年(1609)に黒田長政(福岡藩主)の寄進です。

毎年9月の「放生会(や)」は、博多三大祭り一つ。「梨も柿も放生会」と謳われ、豊穣を祈り、海と山の幸に感謝する祭礼です。海岸まで続く広い参道は数百軒の露店が並び、参詣者で埋め尽くされます。

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2024/04/07

博多・十日恵比寿神社

博多は、古来から大陸との交易拠点で、重要な湊でした。中世には商人による合議制の自治が認められた商都に発展。戦国期、豊臣秀吉は九州征伐の際、博多に本営を置き、町割りを行いました。九州征伐の功で筑前三十二万石を拝領した小早川氏は名島に城を築き、多くの社寺を博多に寄進しています。

Dsc_4647江戸期、黒田長政が筑前五十二万石で入ると、那珂川の対岸に城と城下を整備し「福岡」と改称。

以降、那珂川の東が「商人の町・博多」、西が「武家の町・福岡」として、それぞれ発展を遂げることになります。

博多の十日恵比寿神社は、七福神の恵比須さまを祀り、漁民・商家の篤い信仰を集めています。

社伝では、天正十九年(1591)、武内五右衛門が香椎宮・筥崎宮へ正月参詣の帰り、千代の松原の波打ち際で恵比寿さまの像を拾い、毎日拝んだところ商売繁盛し、拾った地に祠を祀ったのが始まりとされます。

正月の十日恵比寿祭りは、8日が「初えびす」、9日が「宵えびす」、10日が「正大祭」、11日が「残りえびす」で、博多芸妓衆の「徒歩(かち)参り」が華やかに行われます。

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