天草・天草コレジヨ館
下島に渡り、旧河内浦(天草市)の天草コレジヨ館へ。
コレジヨは、キリスト教の最高学府です。日本では、イエズス会の日本地区責任者ヴァリニャーノ神父が、織田信長の許可を得て、天正九年(1581)に豊後府内(大分)に初めて設置しました。
その後、イエズス会は、秀吉の伴天連追放令(1587)や豊後大友氏(キリシタン大名)の衰退で、布教拠点を他に移します。
コレジヨも、肥前島原の加津佐を経て、天正十九年(1591)に肥後天草の河内浦へ移転。もともと河内浦は、戦国末期に領主天草氏が布教を許し、キリスト教を奨励した地で、コレジヨの誘致にも積極的だったと云われています。
天草のコレジヨでは、神学、ラテン語、哲学など西洋の最新の学問を教授。長崎に移転(1597)するまで、多くの日本人学生が学びました。その中には、ヨーロッパから帰国した天正遣欧使節の4人(原マルチノ・中浦ジュリアン・伊東マンショ・千々石ミゲル)や、長崎で殉教した三木パウロ(26聖人の一人)などがいます。
また、天正遣欧使節がヨーロッパから持ち帰ったグーテンベルク印刷機を使い、教科書や辞書、翻訳本(「平家物語」や「伊會保(イソップ)物語」など)を大量に出版。これらは「天草本」と呼ばれ、日本初の金属活字による印刷物となりました。
天草コレジヨ館では、河内浦のキリスト教史、コレジヨと天正遣欧使節の足取り、グーテンベルク印刷機の複製などを展示しています。
次は、世界遺産の構成要素の一つ、崎津集落へ向かいます。
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