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2024/03/20

天草・天草四郎ミュージアム

天草五橋を渡って天草のキリシタン史を巡りました。

まず、大矢野島の天草四郎ミュージアムを訪ねます。

Dsc_4475_300島原の乱(1637)の首領として知られる天草四郎ですが、その実像は謎のままです。

旧小西行長家臣の家に生まれ、名を益田四郎時貞(洗礼名フランシスコ)といいました。

もともと天草地方は、キリシタン大名小西行長(関ヶ原の敗戦で斬首)の庇護の下、領民の多くがキリシタンでした。

徳川幕府の禁教令と、新たな天草領主・寺沢広高(唐津藩十二万石)の重税と迫害に、領民は疲弊。絶望した人々は、当時十代半ばの四郎を、かつて宣教師が予言したデウスの再来として、四郎のもとに結束しました。

追い詰められた領民は、島原勢の一揆に呼応して蜂起。富岡城代を猛攻し落城寸前にしますが、体制を立て直すため撤退。対岸の島原勢と合流し、原城に籠城しました。一揆勢は、数か月の兵糧攻めで瓦解し、幕府軍の総攻撃で全滅。四郎も原城で落命したとされます。

近年の研究で、島原の乱はキリシタンの反乱ではなく、酷政に対する領民の「天草・島原一揆」だったと再定義されています。体制に不満を持った旧小西家臣の浪人らが指揮を執り、領民が信頼を寄せる四郎を首領として担いだというのが実態のようです。

次は、天草に置かれたコレジヨの足跡を訪ねて、下島に向かいます。

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