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2023/12/26

春日・奴国の王都

奴国は、弥生後期に北部九州に存在した国の一つです。

20231226_300文献に登場する最も古い倭人の国で、後漢書に、AD57年、光武帝に朝貢し金印(漢委奴国王印)を授けられたこと、魏志倭人伝に、邪馬台国に服属している3世紀ころの様子が記されています。

王都は、王墓が発見された須玖岡本遺跡(福岡県春日市)付近と比定されています。

明治期、民家の改築時、巨石の下から一つの甕棺墓が見つかり、副葬品として多数の中国製銅鏡、銅剣や銅矛、ガラス製の玉・壁が出土。威信財の多さから、奴国王(金印を授けられた数世代前)の王墓とされました。

現在、遺跡の大部分は住宅街に変わり、一部が「奴国の丘歴史公園」として残っています。ドーム状の覆い屋で甕棺墓群が保存され、王墓の上石が移設されています(王墓の発見地点は住宅街の空地になっています)。

周辺では、複数の青銅器工房やガラス工房の跡が見つかっており、大陸の先進技術が集積したハイテク都市国家として栄えた様子がうかがえます。

併設の歴史資料館では、出土遺物やジオラマ(王墓、青銅器工房)で、この地に王都があったことを解説しています。

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2023/12/25

福岡・金隈遺跡の墓地遺構

金隈(かねのくま)遺跡(福岡市博多区)は、弥生前期~後期(BC300年~AD300年ころ)の共同墓地の跡です。

20231225_300丘陵のほぼ全域が墓地で、計469基の墓(甕棺墓348、土壙墓119、石棺墓2)と人骨136体、副葬品が見つかりました。
墓地として使われた約600年の間に、埋葬の形態は土壙墓(弥生前期)~甕棺墓(弥生中期)~石棺墓(弥生後期)と変遷。弥生時代の墓制と埋葬ルールを知る上で重要な遺跡です。

副葬品として、被葬者の腕から貝輪が発見されています。奄美・沖縄以南に生息する種類の貝で作られていたことから、南方文化との交流があったと考えられています。

現在、丘陵には墓の密集場所を覆う形で「金隈遺跡甕棺展示館」が建っていて、土壙墓34基、甕棺墓91基、人骨4体を発掘当時の状態で保存・公開しています。

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2023/12/24

福岡・板付遺跡の環濠集落

板付遺跡(福岡市博多区、国史跡)は、日本最古の水田跡(縄文晩期~弥生早期)が発見されたことで知られています。

20231224a_300300縄文晩期の土器(夜臼式)と弥生早期の土器(板付I式)が一緒に出土し、その後の調査では、畦で区切られた水田跡から、用水路と井堰、木製農具と人の足跡が多数見つかりました。

縄文晩期(BC1000年~BC300年ころ)に水稲栽培が行われていたことが証明され、稲作の始まり(=弥生時代の始まり)の定説を塗り替える大発見となりました。

弥生前期になると、人々は二つの川に挟まれた低台地上に環濠集落を作ります。集落を取り囲む環濠は幅6m×深さ3m。中央に広場、その周囲に竪穴住居を建て、一部に貯蔵の穴蔵の区域が設けられました。周辺の低地に水を引いて水田に変え、大きな農耕集落(ムラ)に発展して、弥生後期(奴国の誕生)まで続いたと考えられています。

現在、遺跡の周辺は住宅街に変わり、環濠集落と水田の一部が復元されています。隣接のガイダンス施設「板付弥生館」では、弥生前期の環濠集落の様子(ジオラマ)や出土遺物、弥生人の足跡などを展示しています。

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2023/12/10

岡山・犬養木堂生家

5.15事件で凶弾に倒れた首相・犬養毅(号を木堂)の生家と記念館(岡山市北区)を訪ねました。

20231210_300木堂(1855~1932)は、吉備津彦神社の寺領守護を務めた備中庭瀬村の大庄屋の二男に生まれました。

小田県庁(今の笠岡市)に勤めて国際法に触れ(17歳)、英語を学ぼうと上京(20歳)。新聞社で働きながら慶応義塾で福沢諭吉に学びました。西南戦争(1877)では戦地探偵人(従軍記者)として活躍。

国会開設の詔(1881)が出ると政治家を目指し、第一回衆議院選挙で当選(35歳)。大隈重信内閣(憲政党)で文部大臣に就任(43歳)。藩閥政治を批判し、大正初期の憲政擁護運動では尾崎行雄とともに「憲政の神様」と称されました(58歳)。第二次山本内閣で逓信大臣兼文部大臣(68歳)、加藤高明内閣で逓信大臣(69歳)を務め、普通選挙制を実現させて政界から引退(70歳)。

しかし周囲が隠居を許さず、74歳で政友会総裁に推挙されます。昭和6年(1931)、76歳で内閣総理大臣の大命を受け、犬養内閣を組閣。関東軍が起こした満州事変の対応で退陣した若槻内閣に代わり、中国(中華民国)との関係修復を図ります。しかし、海軍が上海事変を起こし中国が態度を硬化。犬養内閣として武力侵略不支持を表明した矢先、海軍青年将校らが首相官邸を襲撃し、暗殺されました(5.15事件)。

英国流の立憲君主制を目指し、民衆の意見が政治に反映されるべきと説いた犬養。「まあ待て、話を聞こう」と対話を促す犬養に「問答無用」と発砲した青年将校ら。撃たれた後も「今の若者たちを呼んで来い。話して聞かせてやる」と呼びかけた犬養の死とともに、戦前の政党政治も終焉しました。

木堂の生家は、江戸前期の姿に復原され、隣接する記念館では遺品や写真、手紙や書などを展示して、郷土の偉人を顕彰しています。

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