福岡・今津の元寇防塁
博多湾の今津元寇防塁(福岡市西区)を見学。
文永十一年(1274)、元軍は博多湾に上陸し、鎌倉幕府軍と激戦を繰り広げました(文永の役)。
幕府は、再度の元の来襲に備えて、九州の御家人(筑前・筑後・豊前・豊後・肥前・日向・大隅・薩摩の9か国)に命じ、約6か月で博多湾の西部(今津)~東部(香椎)まで20kmにわたり石築地(元寇防塁)を築き、警備を固めました。
御家人は、所領の大きさに応じて築造を分担(田一反につき一寸)。西の端に当たる今津の防塁は、大隅と日向の御家人が担当し、最も長い3kmが築かれました。
幅3m・高さ3mに石を積み上げ、西側は花崗岩で内部は砂、東側は玄武岩で内部も石と、担当した国によって構造が違います。
玄界灘の強い波と風で、天端まで砂に埋まり松林になっていますが、一部(200m)が発掘の上、復元されています。
弘安の役(1281)では、元軍は元寇防塁や御家人の奮戦に阻まれ、博多の地には上陸できませんでした。
博多湾岸には、元寇防塁が8か所残っています。今津の防塁は、大正2年(1913)に発掘され、昭和6年(1931)に国史跡に指定されています。
次は、糸島の二見ヶ浦へ向かいます。
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