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2023/09/11

総社・鬼ノ城(きのじょう)

吉備の国に鬼ノ城(岡山県総社市)を訪ねました。

20230910古代吉備の中心だった総社平野を見下ろす標高400mの山頂に築かれた古代山城です。

史書に記載がなく、誰がいつ何のために築いたのか不明とされ、5~6世紀に吉備豪族が築いたとする説や、7世紀後半にヤマト王権が築いたとする説など諸説あります。

5~6世紀とすれば、ヤマト王権が西日本~九州の豪族を平定して統一を進め、九州で「磐井の乱」(527)が起きた時期です。
また、7世紀後半とすれば、倭が朝鮮半島で白村江の戦(663)に大敗し、唐・新羅連合軍の来襲に備えて、大宰府を内陸に移し、筑紫に水城を築いて防人を置き、金田城(対馬)、大野城(福岡)、基肄城(佐賀)、屋嶋城(香川)に朝鮮式山城を急ぎ築城した時期と重なります。

山の八~九合目にかけて、断崖に築かれた城壁、4つの城門、6つの排水門、広大な城域に貯水池跡、鍛冶炉跡、建物の礎石群が見つかり、大規模な神籠石系山城の存在が確認されたのは昭和53年(1978)のこと。

平成16年(2004)、西門の楼閣(推定)と左右の版築土塁、角楼が復元され、古代の姿が蘇りました。西門から反時計回りに城壁を歩くと、南門跡~東門跡~屏風折れの高石垣~北門跡の全周約2.8kmを約2時間で一周できます(アップダウンが激しい荒れ路で、足が棒になりました)。

吉備地方には、吉備津彦命が温羅という鬼を退治した伝承が残ります(桃太郎伝説)。巨大な岩だらけの鬼ノ城は、ひょっとしたら鬼(温羅)の館だったのでは…と思わせるロマン漂う場所でした。

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