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2023/06/26

志賀島・元寇史蹟蒙古塚

金印公園から蒙古塚へ。

20230624d

鎌倉期、蒙古のフビライ・ハンは、日本に服属を要求しましたが、執権・北条時宗はこれを黙殺。蒙古の大軍が日本を襲います(元寇)。

「文永の役」(1274)では、蒙古軍が対馬・壱岐、肥前の沿岸を蹂躙し博多湾から上陸。
九州の御家人は苦戦しますが、やがて蒙古軍が撤退(軍の消耗が激しく継戦不能、将軍の負傷など諸説あり)。

「弘安の役」(1281)では、さらに大軍で来襲。蒙古の軍船が博多湾を埋め尽くし、西国から集まった御家人は防塁を築き上陸を阻止。
志賀島を巡る激戦の末、蒙古軍が後退(この後、伊万里湾に集結した蒙古軍を台風が直撃。蒙古軍は軍船と兵力のほとんどを失い撤退します)。

志賀島では、多くの蒙古兵が捕らえられ処刑されました。異国で命を落とした兵の鎮魂として、昭和2年(1927)に「蒙古軍供養塔」(蒙古塚)が建立されました。

碑の揮毫と讃に田中義一首相(山東出兵で知られた対中強硬派)と張作霖(中国北方軍閥)の名があり、時代背景を感じさせます。昭和13年(1938)には、蒙古自治政府の徳王が参拝しています。

元寇の歴史を語り継ぐ蒙古塚は、訪れる人もなくひっそりとしていました。

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2023/06/25

志賀島・漢委奴國王金印発光之處

宗像大社から志賀島(福岡市東区)へ。

20230624c志賀島は、砂州(海の中道)で九州本土と繋がった陸繋島です(全周約11km)。

神功皇后が三韓征伐の際に立ち寄り(筑前風土記)、万葉集に「大君の遠の朝廷とあり通ふ、島門を見れば神代し思ほゆ」と詠まれ、元寇で蒙古軍との激戦地になりました。

江戸後期、この島で金印(漢委奴國王)が発見されました。島の南部、周回道路に「漢委奴國王金印発光之處」の石碑(大正11年)があります。発見地点は石碑から海に向かい右斜め前の地点とされ、周辺一帯が金印公園として整備されています。

発見したのは農民で、農作業で偶然掘り起こしたとも、大きな石の下の箱に入っていたとも伝わり、諸説あります。郡奉行に届け出て、藩主黒田家に代々引き継がれました。現在は、黒田家から寄贈を受けた福岡市が所蔵し、福岡市立博物館で常設展示しています。

この金印、「後漢書(東夷伝)」に登場する印綬(1世紀)と同定されています(国宝)。同時代の遺物が一切出土しないことから、島の外部から持ち込まれたものと考えられていますが、その経緯は謎のままです。

しばし歴史ロマンに想いを馳せ、次は「蒙古塚」へ向かいます。

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2023/06/24

宗像・宗像大社(辺津宮)

妻と宗像大社(福岡県宗像市)と志賀島に行って来ました。

20230624a宗像大社(創建不明)の御祭神は、天照大神の三人の姫神です。天孫降臨に先立ち、大陸との要衝・玄界灘に降臨したとされます。

長女・田心(たごり)姫を祀る沖津宮(沖ノ島)、二女・湍津(たぎつ)姫を祀る中津宮(大島)、三女・市杵島(いちきしま)姫を祀る辺津宮(九州本土)に分かれ、辺津宮が総社です。

沖津宮がある沖ノ島(立入禁止)では、4世紀後半の三角縁神獣鏡、5世紀後半の金製指輪、金銅製馬具、シルクロードのカットグラス片、6~7世紀の金銅製龍頭、8世紀の奈良三彩小壺などが出土(いずれも国宝)。

古事記(712)に宗像三社の記述があることから、古代から続く海人の祭祀が、海洋豪族・宗像氏のヤマト政権への服属を経て、国家祭祀に組み込まれていったと考えられています。

20230624b総社・辺津宮の本殿(1578)・拝殿(1590)は、桃山初期の再建で国重文。沖ノ島と並ぶ神聖な場所「高宮斎場」は、神社以前の神籬祭祀の形態を今に伝える古代祭場で必見です。

また、沖津宮を分祀した第二宮(ていにぐう)、中津宮を分祀した第三宮(ていさんぐう)をたどると、一度に宗像三神を参拝できます(下の写真)。

神宝館では、沖ノ島についてVTRを見た後、実際の出土遺物を見学。数多くの国宝が展示され、圧巻でした。

宗像大社と新原・奴山古墳群(宗像氏の墳墓)は、「神宿る島、宗像・沖ノ島と関連遺産群」として世界文化遺産に登録されています。

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2023/06/15

小郡・九州歴史資料館

九州歴史資料館(福岡県小郡市)に立ち寄りました。

20230615この資料館は、古くから文化の入口となった九州の歴史とその特質をテーマにした県の博物館です。

もとは太宰府天満宮近くにあった県の歴史博物館でしたが、九州国立博物館の開館にともなって移転。2010年に現在地でリニューアルオープンしました。

常設展示は、通史展示(第1展示室)、基準資料展示(第3展示室)、遺構展示(第4展示室)に分かれています。

通史展示は、旧石器~現代にかけて、福岡県域の歴史資料を展示。特に古代九州の政治の中枢・太宰府関連の資料は見応えがあります。

基準資料展示は、各時代や地域性を研究する上で基準となる資料(土器など)を陳列して公開。他の資料館にはない珍しい試みと感じました。

遺構展示は、九州各地の遺構をそのままガラスの床下に復原しており、上から覗き見るスタイル。銅矛など、遺物が発見された状態がよく分かる体験型の展示です。

九州国立博物館のような派手さはありませんが、展示解説シートが充実しており、発掘調査の成果物をゆっくり見学できる施設でした。

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