うきは・筑後吉井
妻と筑後吉井の町並み(福岡県うきは市)を散策。
筑後吉井は、江戸期、城下町の久留米と天領日田を結ぶ豊後街道の宿駅として栄えました。
江戸前期、五人の庄屋が中心となり、村をあげて筑後川から水を引くことに成功。吉井は、荒れた土地から一転、豊かな作物が集まり、製粉、製麺、酒造、製蝋など加工業が発達。吉井の商家が産み出す財は「吉井銀(がね)」と呼ばれ、この地方の金融に影響力を持ったと云います。
明治2年まで3度の大火に見舞われ、商家は耐火性の土蔵と居館がひとつになった「居蔵造り」に。軒下まで漆喰で塗り固めた白壁の家々が軒を連ね、最盛期の大正期に現在の町の姿になりました。
旧海産商松源本店(町並み交流館)、製蝋業で財を成した旧松田家分家(居蔵の館)、旧郡役所官舎(鏡田屋敷)の3館が公開。旧街道沿いには土蔵造り商家を改装したおしゃれなショップが点在しています。
平成8年、福岡県内で第1号の国重要伝統的建造物群保存地区に指定。