大阪・大阪城天守閣
大坂城は、天正十一年(1583)、天下人となった羽柴秀吉が石山本願寺跡に築城しました。
豊臣の大坂城は、大坂夏の陣(1615)で炎上して落城。秀頼と淀殿は山里曲輪で自害し、豊臣家は滅亡しました。
徳川秀忠は、豊臣大坂城を埋め戻し、その上に新たな大坂城を築城。大坂は天領となり、将軍家直轄の城として、譜代大名から任ぜられた大坂城代が管理しました。
大坂城の天守閣は、豊臣天守(1585~1615)、徳川天守(1626~1665)に続き、現在の天守(1931~)が三代目です。
外観は、徳川風の城郭と豊臣風の意匠(5層)を折衷した復興天守で、天守台の石垣は徳川大坂城のものです。史実の城とは異なりますが、昭和20年の大阪大空襲にも耐え抜き、歴史上もっとも永く存在する大阪城として、人々に愛されています。
内部は「大阪城天守閣」という名の博物館で、秀吉と大坂城の歴史を中心に展示。本丸には旧陸軍第四師団司令部の建物が残り、二の丸に秀吉を祀る豊国神社があります。