« 2022年5月 | トップページ | 2022年7月 »

2022/06/21

大阪・大阪城天守閣

大坂城は、天正十一年(1583)、天下人となった羽柴秀吉が石山本願寺跡に築城しました。

20220619b豊臣の大坂城は、大坂夏の陣(1615)で炎上して落城。秀頼と淀殿は山里曲輪で自害し、豊臣家は滅亡しました。

徳川秀忠は、豊臣大坂城を埋め戻し、その上に新たな大坂城を築城。大坂は天領となり、将軍家直轄の城として、譜代大名から任ぜられた大坂城代が管理しました。

大坂城の天守閣は、豊臣天守(1585~1615)、徳川天守(1626~1665)に続き、現在の天守(1931~)が三代目です。

外観は、徳川風の城郭と豊臣風の意匠(5層)を折衷した復興天守で、天守台の石垣は徳川大坂城のものです。史実の城とは異なりますが、昭和20年の大阪大空襲にも耐え抜き、歴史上もっとも永く存在する大阪城として、人々に愛されています。

内部は「大阪城天守閣」という名の博物館で、秀吉と大坂城の歴史を中心に展示。本丸には旧陸軍第四師団司令部の建物が残り、二の丸に秀吉を祀る豊国神社があります。

| | | コメント (0)

2022/06/20

大阪・難波宮跡と大阪歴史博物館

かつて大阪には、飛鳥期と奈良期に「難波宮」と呼ばれる都が置かれていました。

20220619c飛鳥期の難波宮(645~686)は、孝徳帝が遷都。唐の都に習い、内裏(帝の居住域)と朝堂院(政務場所)を区別して配し、宮殿の周辺に官衙が置かれました。

孝徳帝は、難波宮で皇太子の中大兄皇子、内臣の中臣鎌足らと大化の改新後の制度改革を行いました。天武帝のとき、飛鳥宮との二都制になった後、686年に火災で焼失。

この前期難波宮は、条坊制以前の都として貴重ですが、詳細は不明で今後の研究が待たれます。

奈良期の難波宮(726~745)は、聖武帝が平城京の副都として造営。前期難波宮とほぼ同じ場所に内裏や朝堂院が再建され、後期難波宮は条坊制の整然とした都であったと考えられています。

聖武帝は、疫病や謀反で混乱する社会を仏教と遷都で鎮めようとしました。平城京から恭仁京を経て、744年に難波京へ遷都。翌年には紫香楽宮を経て平城京に都を戻しています。大極殿などの建物は、桓武帝の長岡京遷都(784)で解体移築されました。

旧難波宮跡に建つ大阪歴史博物館では、後期難波宮の大極殿で遷都の詔が発せられた儀式を再現。10Fから後期難波宮の大極殿跡が一望でき、B1Fに前期難波宮の遺跡をそのまま保存しています。

| | | コメント (0)

2022/06/19

大阪・四天王寺

大阪に行ったついでに、四天王寺に立ち寄りました。

20220619a推古天皇元年(593)、聖徳太子が創建した日本最古の官寺です。

日本書紀によれば、仏教の受容を巡り対立していた蘇我馬子(崇仏派)と物部守屋(排仏派)が武力衝突した際、用明帝の第二子だった聖徳太子が自ら四天王像を彫り物部討伐を祈願したのが始まりとされます。

戦勝後、推古帝の摂政となった聖徳太子は、冠位十二階や十七条の憲法など、律令制による統治で諸外国に比肩する国造りを目指しました。

施政では仏法を重んじ、四天王寺では四箇院の制(寺院+施薬院+療病院+社会福祉施設)を採って万民救済を実践しました。

伽藍は中国式に習った「四天王寺式伽藍配置」です。南北一直線に中門(仁王門)・五重塔・金堂・講堂が並び、回廊で囲む配置は、後の寺院建築の基本となりました。その伽藍は、平安~昭和期まで天災と戦乱で何度も焼失し(直近は昭和20年3月13日の大阪大空襲)、その度に再建されています。

現在の四天王寺は、どの宗派にも属さない「和宗」で、金堂では御本尊の救世観世音菩薩(如意輪観音)の四方を四天王が守っています。

| | | コメント (0)

2022/06/04

筑前・大刀洗平和記念館

筑前町の大刀洗平和記念館を訪ねました。

20220528bこの一帯には、大正8年から昭和20年まで、東洋一と謳われた陸軍大刀洗飛行場がありました。

飛行第四連隊と教育隊、飛行学校、航空廠技能者養成所が置かれ、九州飛行機の工場を併設。最盛期には3万人を擁する西日本最大の陸軍飛行場でした。

戦争末期は特攻出撃の中継拠点となり、飛行学校生だけでなく、教官や助手ら熟練操縦士も飛び立って行きました。昭和20年3月27日、B29による大空襲で飛行場は壊滅。頓田の森や三軒屋の森に避難中の小学生34人を含む多くの犠牲者が出ました。

記念館は「飛行場の概要と航空技術」「大刀洗飛行場と人々の生活」「大刀洗大空襲と特攻隊」「追憶の部屋」の4テーマに分けて展示しています。実機は、零戦三二型(海軍機、マーシャル諸島で発見)と九七式戦闘機(陸軍機、博多湾から引き揚げ)を公開。どちらも世界で唯一現存する機体です。

展示「戦禍の彼方に」では、大刀洗から飛び立った若者と空襲犠牲者の遺影が掲げられ、遺品や遺書の展示とともに、鎮魂と平和の尊さを語り継ぐ施設となっています。

(2020年7月10日追記)
7月10日に再訪したところ、幻の戦闘機「震電」実物大模型の展示開始(7月6日~)に伴い、これまで撮影禁止だった「九七式戦闘機」も撮影可に変更されていました(館員確認済)。

| | | コメント (0)

« 2022年5月 | トップページ | 2022年7月 »