倉敷・楯築弥生墳丘墓と施帯文石
岡山県倉敷市にある楯築弥生墳丘墓(2世紀末)を訪ねました。
弥生後期の墳丘墓では国内最大級で、古代の吉備勢力を取りまとめた大首長の墓とされます。
形は双方中円墳で、円丘部のみ現存しています。墳頂に5つの巨大な環状列石(ストーンサークル)があり、その中央に丹を敷き詰めた木棺が埋葬されていました。副葬品は、鉄剣やガラス玉などが見つかっています。
墳頂を覆っていた円礫の層からは、特殊器台や特殊壺などの供献土器、弧帯文(こたいもん)石の破片が出土。これらは埋葬後の祭祀儀式で使われ、意図的に壊して墳丘上に置いたものと考えられています。
2世紀末といえば、後漢書が「倭国大乱」と伝える時代と重なります。豪族間の勢力争いが続き、吉備地方でも各豪族をまとめる強いリーダーが必要だったと思われます。
墳頂には、大正期まで楯築神社がありました。
御神体の旋帯文(せんたいもん)石は、破片で出土した弧帯文石と同じ独特の模様が彫り巡らされ、正面には人面らしきものが彫られています(国重文)。
普段は墳丘墓の収蔵庫に納められ見ることはできませんが(東京国立博物館にレプリカあり)、破片を復元した弧帯文石よりふた回りほど大きく、2つの石の関係は謎のままです。
訪れた日は、たまたま旋帯文石を間近で見る機会に恵まれ、貴重な体験でした。
双方中円墳と特殊器台は、後の前方後円墳と埴輪のルーツとされ、この墳丘墓は弥生期~古墳時代にかけて墓制の変遷を考える上で重要な遺跡とされています(国史跡)。