平戸・平戸城と松浦史料博物館
妻と一緒に、久留米IC~長崎道~西九州道~R204~平戸大橋で平戸島へ。
まずは平戸藩松浦氏六万三千石の居城を訪ねます。
平戸松浦氏は、古くから続く武士集団「松浦党」の一派で、織豊期に隆信・鎮信の二代で壱岐と肥前松浦・彼杵を領する戦国大名となりました。
最初の平戸城(日の岳城)は、初代平戸藩主となった松浦鎮信(しげのぶ)公が築きました。この城は、江戸幕府の疑念を晴らすため、完成直後の慶長十八年(1613)、自ら焼き払ったとされます。
その後、約百年間、平戸藩は城を持たず、藩政は対岸の藩主の館で行われました。
現在の平戸城(亀岡城)は、五代藩主松浦棟(たかし)公が、幕府から城の再建を許され、享保三年(1718)に完成しました。山鹿流軍法を取り入れた設計で、天守はなく乾櫓が代用されたようです。
江戸中期に外様大名が築城を許されるのは異例ですが、棟公は五代将軍綱吉の諮問役と寺社奉行(本来は譜代大名の職)を務めるなど、将軍の信頼が厚かったものと思われます。
藩政期の建物は、北虎口門と多聞楼(狸楼)が現存。乾櫓・地蔵坂櫓・見奏櫓・懐柔櫓・模擬天守(旧沖見櫓)は昭和37年の再建です。
対岸の藩主の館(御館)跡には、明治期に旧藩主邸「鶴ヶ峰邸」が建てられ、現在はそのまま松浦史料博物館になっています。
長崎県で最古の博物館で、松浦家に伝わる3万点余の資料から約200点を展示。中でも、戦国期のポルトガル交易、秀吉の伴天連追放令(キリシタン禁制定書)、江戸初期のオランダ・イギリスとの交易、伊能忠敬の平戸島図などは、平戸ならではの大変興味深いものでした。
庭園の茶室「閑雲亭」では、四代藩主鎮信(ちんしん)公が隠居後に興した茶道鎮信流の呈茶が楽しめます。対岸にお城を眺めながら、抹茶と復刻和菓子カスドースでまったり休憩しました。