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2019/02/25

「下勝田の獅子舞」の獅子頭

かつて佐倉市下勝田・天満神社で奉納されていた「下勝田の獅子舞」。

20190225後継者難で平成16年を最後に廃絶し、現在はその舞を見ることはできません。

佐倉市史に次のような記述がありました。

「下勝田の三匹獅子舞は、毎年七月十五日(旧くは二月二十五日、九月三日も演じた)の午後、三十三歳まで若連が下勝田の天満神社で演じ、夜は下勝田共同館(旧くは西光寺)で舞う。夜の獅子を模範獅子といい、年配の舞手が演じ、猿という役が加わる。この獅子舞には、天下泰平、五穀成就、家内安全と書かれたダシという万灯が出る。獅子頭の名称は、雌獅子、中獅子、雄獅子といい、雌獅子には角がなく、中獅子と雄獅子に角がある。(~中略~)獅子舞を囃す楽器は、篠笛と鋲打ち太鼓である。これらは囃子方が担当する。獅子の腰に付けた太鼓は、ほどんど音がしない。また手に鈴や御幣を持って舞うことがある。」

演目は、神楽(庭固め→雌獅子→中獅子→よつあげ→雄獅子→デンツクデン)、幣束(庭固め→雌獅子→幣束がえし→よつあげ→雄獅子)、橋渡り(振り込み→庭固め→雌獅子→中獅子→よつあげ→雄獅子→デンツクデン→橋渡り)の3つの舞があったようです。

夜の「模範獅子」は、年配の舞手が猿面に蓑笠の衣装で踊ったようで、佐倉市史は「仮面をつけるということは個性を超えた存在を示すことであり、蓑笠をつけた衣装は非常に遠いところからお出でになることを意味するもので、山の神とか祖霊神のなり変わりであるとされるので(~中略~)神人一体の舞であると解される」と書いています。

このほか、昼の獅子舞の演目の間に(夜は獅子舞の前に)、輪になって弥勒踊りを踊ったといいます。

廃絶して久しい「下勝田の獅子舞」ですが、その獅子頭は、和田ふるさと館歴史民俗資料室に良い状態で保管・展示されています。
今も年2回、春祈祷(2月25日)と祭礼日(7月15日)に天満神社に里帰りし、神事が行われているそうです。

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2019/02/24

佐倉・百万遍(春祈祷)

佐倉市天辺・宝寿院の春祈祷で行われた「百万遍」を見学。

20190224宝寿院(真言宗)は、弘法大師ゆかりの地蔵菩薩を祀り、「渋なし蕨」の伝承が残っています。

春祈祷(毎年2月24日)では、農事が始まる節の折目に五穀豊穣を祈願して「百万遍」が行われます。

地区の人々が、長さ約六間(10.9m)の大数珠の周りに輪になって座り、中央には鉦叩き役と数取り役が座ります。鉦の音に合わせて念仏を唱えながら、大数珠を左回りに廻します。途中、房が付いた親玉が廻ってくると、少し高く掲げて一礼し、次の人に廻します。
数珠の廻った回数は、数取り役が「一千遍」「一万遍」などと書かれた木札で数えます。

この行事は、地元では「地蔵さまのオビシャ」と呼ばれ、大切に受け継がれています。

【この日の進行スケジュール】
12:30~ 準備(天辺青年館)
13:30~ 百万遍
13:45~ 直会
14:30ころ 終了

【採訪メモ】
かつては本堂で行ったが、現在は地蔵堂そばの天辺青年館で行われる。導師はおらず、区長さんの合図で鉦に合わせながら大数珠を左に廻す。念仏を唱えながら廻す形態から、和気藹々とおしゃべりしながら廻す形に変化しており、信仰行事としての性格は薄れている。親玉が廻る度、数取り役が木札を数枚ずつ移し、木札がなくなると終了。昔はもっと長い時間を廻したが、実際に百万回も廻した訳ではないという。
百万遍のあと、茶菓子で直会して1時間ほどで解散。この日は19世帯から21人が参加。女人講による地区が多い中、天辺では男性も参加するのが特徴。見学者は私を含め2人、寺に駐車場なし(和田ふるさと館から徒歩推奨)。
詳しい資料を頂いた上、現地で案内を頂いた和田公民館のEさん、詳しく教えて頂いた宝金剛寺住職さん、お世話になった区長さんはじめ地区の皆さん、ありがとうございました。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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