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2018/09/29

袖ケ浦の郷土芸能

袖ケ浦市の市民会館大ホールで行われた「袖ケ浦の郷土芸能」を見に行ってきました。

20180929市内に伝わる神楽やお囃子が一堂に集まるのは今回で4回目、実に5年ぶりの開催です(第1回は平成18年、第2回は平成21年、第3回は平成25年に開催)。

出演団体は、蔵波祭りばやし保存会、横田本郷祭囃子保存会、奈良輪神楽愛好会、大曽根太鼓保存会、久保田太鼓保存会、野里太鼓保存会、代宿太鼓保存会、神納神楽ばやし保存会、横田熊野神社祭りばやし保存会、上蔵波太鼓保存会の10団体。

今回のお目当ては、奈良輪神楽愛好会と神納神楽ばやし保存会でした。

「奈良輪の神楽」は、舞かかり・幣束の舞・剣の舞・狂いの舞を短縮版(20分)で披露。福王神社の祭礼で奉納される獅子神楽で、かつては青年団が舞いましたが、その青年団も昭和46年に解散。受け継いだ保存会も10年ほどで解散し、現在は青年団OBによる愛好会が継承しています。会長さんの話では、後継者がおらず絶滅寸前とのこと。

「神納神楽ばやし」(獅子)は、舞かかり、鈴の舞、幣束の舞、狂いの舞を披露。江戸中期に始まり、卒土神社の祭礼で奉納されていましたが、昭和初期から長く中断。昭和52年に復活し、現在は保存会が継承しています(市無形民俗文化財)。

このほか、代宿太鼓保存会のお囃子では、道化(大笑い、一文字、狐)の子供たちが可愛い(しかしキレのある)踊りを披露(上の写真)。ぜひ現地(迦具土神社祭礼)で見たいと思わせる内容でした。

会場は大勢のお客さんで盛況でした。参加団体と袖ケ浦市民俗芸能連絡協議会の皆さん、お疲れ様でした。

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2018/09/24

劇団四季Cats(キャッツ)

妻と一緒に、大井町キャッツシアターに劇団四季の「Cats」を観に行ってきました。

20180924Catsは、作曲家アンドリュー・ロイド=ウェバーが、英国の詩人T・S・エリオットの詩集「Old Possum's Book of Practical Cats(猫と付き合う方法)」をもとにミュージカル化したものです。

世界的な大ヒット作で、日本では劇団四季が初演(1983)以来、通算約1万公演、観客動員数述べ960万人という記録的なロングラン公演中です。今回の東京公演は、2018年8月11日~2019年6月30日まで、大井町のキャッツ・シアターで行われています。

ストーリーの舞台は、都会のごみ捨て場。年に一度、長老猫が最も純粋なジェリクルキャッツ(飼い馴らされることなく、逆境に負けずしたたかに一生を謳歌する強靭な思想と個性、行動力を持った猫)を選ぶ夜。猫たちが自らの一生を歌い踊りアピールします。その中から選ばれ、天上で新たな命を得る猫は…。

この日のキャストは、江畑昌慧(娼婦猫グリザベラ)、金本和起(長老猫オールドデュトロノミー)、藤田光之(老俳優猫アスパラガス)、加藤迪(兄貴分猫マンカストラップ)、松尾優(子猫シラバブ)ほか。

キャッツ・シアターは、客席と舞台がごみ捨て場をイメージ。キャストが度々客席に降りて演じる場面があって、観客と一体化した演出が楽しかったです。今回、下の娘がいい席をプレゼントしてくれたので、キャストの演技と歌の迫力を存分に楽しめました。中でもグリザベラとシラバブの歌声は感動的です。

終演後、何度もカーテンコールに応えるキャストに、満員の観客からスタンディングオベーションが送られました。

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2018/09/18

秋田・秋田市内の文化財めぐり

三日目は秋田市内を巡ります。

20180916aまずは秋田市立赤れんが郷土館へ。
明治末期に旧秋田銀行本店として建築された建物で、外観は白タイルと赤レンガのお洒落なルネサンス様式、内装は高い天井の格調高いバロック様式です(国重文)。

豪華な内装もさることながら、郷土館ということで、秋田出身の鍛金家・関谷四郎(人間国宝)の作品を展示した記念室と、生涯秋田を離れず独特の刻線と色彩で習俗を描き続けた版画家・勝平得之の作品を展示した記念館を併設しており、どちらも興味深かったです。

続いて、郊外の秋田城(出羽柵)跡へ。
奈良期(733)に蝦夷対策として山形から移され、出羽国府が置かれた最北の古代城柵官衙遺跡です(国史跡)。ここを秋田城と呼ぶため、江戸期の藩公佐竹氏の居城は「久保田城」の名で区別されました。

20180916b最初に歴史資料館で発掘された様子や出土品について予備知識を得てから、少し離れた史跡公園へ移動します。
史跡公園では、奈良期の技法で復元された東門や古代水洗厠舎があり、ボランティアガイドさんが詳しく説明してくれました。
中でも、復元された古代水洗厠舎は、緩い傾斜の木管で沼に流す方式で日本唯一の遺構です。出土した沈殿物の特徴から、大陸の渤海国からの使者が使ったと考えられています。

再び秋田市内に戻り、旧金子家住宅へ。
江戸後期に質屋・古着商を営み、明治期に呉服卸商として栄えた旧家で、昭和50年まで営業していました。江戸後期の間口に比べて奥が長い建物と、雪国ならではの屋内と連結した土蔵が公開されています(市有形文化財)。屋根には火除けの大きな水桶が載っています。

20180916c最後に、秋田市民俗芸能伝承館(ねぶり流し会館)で竿燈を見学。
市内に伝わる秋田の竿燈(国重要無形民俗文化財)、土崎神明社祭の曳山行事(同)、広面赤沼の梵天祭を詳しく紹介するほか、秋田万歳(県無形民俗文化財)、下浜羽川の羽川剣ばやし(市無形民俗文化財)、金足黒川の黒川番楽(同)、太平山谷の山谷番楽(同)の解説もあります。
練習室も完備され、市内の民俗芸能の伝承のために練習の場を提供しています。

この日は上亀之丁竿燈会による実演で、大きな竿燈を自在に操る妙技を間近で見学。一番小さな「幼若」(重さ5kg)に挑戦しましたが、見るとやるとでは大違い、真っすぐ立てるのすら難しかったです。

秋田の旅はとても印象深いものでした。帰りは秋田南IC→東北道→常磐道で渋滞もなく23時ころ帰宅。
旅の機材は、初投入のオリンパスOM-D EM10Mk3+M.ZUIKO 14-42/3.5-5.6 EZ、ED 40-150/4.0-5.6 Rでした。

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2018/09/17

秋田・男鹿半島めぐり

真山から移動して、入道崎から半島をぐるっと巡ります。

20180915d入道崎は、日本海に突き出した男鹿半島の最北端で、断崖絶壁(高さ30m)と穏やかな芝生の大地、どこまでも青い日本海が織りなす大パノラマが絶景です。

入道埼灯台は、明治31年(1898)に設置された古い灯台で、高さ27.9m。一般公開されている数少ない灯台の一つで、日本の灯台50選に選ばれています。

大地には北緯40度のモニュメントがあり、地図石に日時計石を置いた「太陽の舞台」と、その周りを「波の石舞台」が取り巻く造形で、男鹿産の安山岩で造られています。
日時計石の海側に立つ「北斗の石」と、陸側に並ぶ4つの石を結ぶ線が真北のラインで、この真北ラインと陸側4番目の石で直角に交わるラインが北緯40度線になるようです(ちょっとややこしい)。
同じ緯度には、北京、マドリード、ニューヨークなどがあります。

お昼は数軒並ぶ土産物店で名物「時空を超えた海鮮丼」を堪能し、男鹿水族館GAOへ。

20180915e秋田県唯一の水族館で、秋田の県魚ハタハタや男鹿の海に生息する400種1万点の海洋生物を展示。寒い地域に住むホッキョクグマやアシカ、アザラシの生態も観察できます。
周辺の荒々しい海岸は、3000年前(古第三紀)に溶岩が固まったもので、男鹿半島・大潟ジオパークの一部です。

水族館ではちょうど大水槽やペンギン、アザラシ、アシカの給餌時間で、飼育係のお姉さんが解説しながら巧みに餌を与える様子を見ることができました。この日は汗ばむ陽気でしたが、ホッキョクグマの豪太くんも元気に動き回っていました。

荒々しい海岸線を見下ろしながら走り、赤神神社五社堂へ立ち寄ります。

20180915f貞観二年(860)に慈覚大師が開き、平安末期に天台密教の修験道場として発展。鎌倉期に比叡山を模して建て替えられ、江戸期には9か寺48坊あり、明治の神仏分離で赤神神社になりました。

駐車場には「五社堂へ徒歩20分」の案内板が…。入口に用意された竹杖を頼りに妻と登り始めましたが、鬼が一晩で積んだという999段の石段が延々と続き、相当きつい。日頃の運動不足を反省しながら、やっとの思いで五社堂へ辿り着きました。

静かな山中に同型式の社殿五棟が並び、とても珍しい光景です。現在の社殿は、江戸中期の再建で、向かって右から三の宮堂、客人権現堂、赤神権現堂、八王子堂、十禅師堂(いずれも国重文)。秋田の昔話には、漢から武帝が連れて来た5匹の鬼を祀り、ナマハゲの起源となったという説も。
ともあれ、心静かに手を合わせると登りの苦労も吹き飛びました。が、すぐに下りの苦労が待っていましたけど…。

夕陽に染まる日本海を眺めながら海岸線をひた走り、男鹿半島を後にします。
二日目は秋田市内で泊。明日は秋田市内を巡ります。

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2018/09/16

秋田・男鹿のナマハゲ習俗

二日目は男鹿半島へ。まずはナマハゲ習俗を訪ねます。

20180915a男鹿半島に伝わるナマハゲ習俗は、大晦日(旧行は小正月)に怠惰や不和などの悪事を諫め、災いを祓いに山から降りてくる来訪神です。「悪いコはいねがー、泣ぐコはいねがー」と奇声をあげながら家中を探して暴れ回ります。家人は正装で出迎え、酒肴を振る舞ってナマハゲから問答を受け、丁重に送り返します。

半島の中央部・真山(567m)の麓にある「なまはげ館」は、真山地区に伝わるナマハゲの記録映像や、男鹿各地のナマハゲ110体を展示して、男鹿のナマハゲ習俗を詳しく紹介。隣接の古民家「男鹿真山伝承館」では実際にナマハゲの実演があり、その迫力と雰囲気を体感することができます。

20180915bまず先立がナマハゲの来訪を告げ、主人と挨拶を交わし、ナマハゲ2匹が現れます。
ナマハゲは、玄関でシコを7回踏むと家に上がり、「ウォー。泣ぐコはいねがー、怠け者はいねがー、親の面倒みない悪りい嫁はいねがー。ウォー」と奇声をあげ、床を踏み鳴らし、板戸をバンバン叩きながら家中を探し回ります。
主人がとりなして膳を勧めると、ナマハゲはシコを5回踏んで座につきます。
ナマハゲは、酒肴の接待を受けながら、主人と問答を始めます。稲の作柄に始まり、子らは言うことを聞くか、嫁は親不孝でないかなど、家人の悪行を聞き出そうとしますが、主人は家人を庇って善い事しか言いません。
すると、ナマハゲは台帳を取り出し、「本当だが?庇っても悪事は台帳に全部書いてあるど」と脅し、もう一回探すと言って立ち上がり、再び家中をウォー、ドタンバタンと暴れ回ります。
主人は、頃合いを見計らいナマハゲに餅の土産を持たせて丁重に見送り、ナマハゲはシコを3回踏むと来年の再訪を約束して去って行きました。

20180915cナマハゲ習俗は、かつて半島一円の集落で行われましたが、現在は徐々に姿を消しつつあるそうです(国重要無形民俗文化財)。

冬、働かずに囲炉裏にばかりあたっていると、手足にできる紅い斑紋(ナモミ)。ナモミは怠け者の証しで、これを剥いで懲らしめるナモミハギが「ナマハゲ」の語源とされます。
怠惰を戒め、家々の安全と子らの成長を見守るナマハゲの役割も、近年は少子高齢化で高齢者の見守りに変化しているとか。ともあれ、集落の安全を願うやさしい来訪神の行事がこれからもずっと続いて欲しいものです。

次は男鹿半島をぐるっと巡ります。

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2018/09/15

秋田・角館の武家屋敷

角館は、慶長七年(1602)、常陸から出羽に遷った藩主佐竹公が、一族の芦名氏の知行地とし、芦名氏断絶後は佐竹北家の所預り(支配地)となりました。

20180914c黒板塀の門構えや枡形に交差する路など、芦名氏が整備した町割りが今も残っています(重要伝統的建造物群保存地区)。

武家屋敷にほど近い宿にチェックインし、ぶらぶらと散策。黒板塀に沿って小田野家→角館武家屋敷資料館→岩橋家→石黒家→旧青柳家と歩きます。

小田野家は、佐竹北家組下の中級武士で、解体新書の挿絵を描いた小田野直武はこの家の本家筋です。建物は明治33年(1900)の大火後の再建(無料公開)。

20180914d角館武家屋敷資料館は、河原田家(修復工事中)の米蔵を改装して佐竹北家の陣幕や武具などを展示。愛好家グループが熱心に見入っていましたが、観光客にはちょっとディープな内容でした(有料施設)。

岩橋家は、芦名氏断絶後に佐竹北家組下となった中級武士(八十六石)です。建物は幕末の改修後の姿をそのまま伝えており、映画「たそがれ清兵衛」のロケでも使われました(無料公開)。

石黒家は、佐竹北家で勘定役を務めた上級武士(百五十石)です。薬医門は文化六年(1809)の建築で角館最古。座敷に上がって説明を聞きながら見学できる唯一の武家屋敷です(法人組織による有料公開)。

20180914e旧青柳家は、芦名氏断絶後に佐竹北家組下となり、最終的には百四石の家格でした。上級武士にしか許されない薬医門を特に許され、築200年を超えるの母屋のほか、広大な敷地に様々な展示館が点在して歴史テーマパークのようです。
小田野直武の親戚筋に当たる関係で直武が描いた解体新書附図などを展示した「解体新書記念館」もありました(法人組織による有料公開)。

武家屋敷の門構え、門前の馬つなぎ石や馬乗り石、黒板塀とのぞき窓、側溝の疎水と大威徳石の積石、樹齢百年以上の巨木が織りなす景観はとても風情があります。地元の人によれば、春の桜は美しいけれど、秋の落ち葉と冬の積雪(1.6m位)は大変だとのことでした。

初日は角館できりたんぽ鍋を堪能して泊。明日は男鹿半島へ向かいます。

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2018/09/14

秋田・田沢湖と辰子姫伝説

9月の連休を利用して、妻と一緒に秋田を訪ねました。

20180914a外環道→東北道盛岡ICからR46で田沢湖へ。
瑠璃色の水が美しい田沢湖は、火山が噴火して陥没したカルデラ湖です。日本一深い湖で、水深は423.4m。かつては摩周湖に次ぐ透明度(31m)がありました(現在は8mほど)。

東岸から高速遊覧船に乗って湖を1周。船上から湖畔の発電所、姫観音や御座石神社、たつこ像や浮木神社などを眺めながら40分ほどの船旅でした。

西岸の院内岳の麓には、辰子姫伝説が伝わります。
その昔、院内に辰子という美しい娘がいました。美しさと若さを永遠に保ちたいと願い、大蔵観音に願をかけ、満願の日、「北の泉を飲めば願いがかなう」とお告げを受けます。
辰子は、院内岳の森に湧く泉を見つけて水を飲みますが、飲んでも飲んでも喉が渇き、飲み続けて大きな龍に化身しました。龍となった辰子は湖底に深く沈み、湖神となりました。

20180914bちなみに、八郎潟(男鹿半島)の龍神・八郎太郎は辰子姫と夫婦神で、秋になると辰子を訪ねて田沢湖で冬を過ごします。このため、冬は主が不在の八郎潟は凍り、2人が過ごす田沢湖は凍らないとか。

有名な湖畔の「たつこ像」(1968)は、岩手出身の彫刻家で東京芸大名誉教授も務めた舟越保武の作品。青銅金箔漆塗仕上げで、羞じらいながら待つ辰子の乙女心を表現した田沢湖のシンボルです。

次はR105を南下して、角館へ向かいます。

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2018/09/09

機材の整理

久々に旅のお伴のカメラ機材を更新しました。

これまで、旅のお伴はもっぱらD40+DXズームまたはリコーGRでした。
一眼レフのD40は旅にはちと嵩張るし、既に補修部品在庫が払底。最近はコンパクトなGRを持ち出すことが多かったですが、単焦点なので旅先でズームが欲しい場面もあり…

ということで、D40+DXズームレンズ2本とGRを処分して、オリンパスOM-D E-M10Mark3を導入しました(下の写真は公式サイトから引用)。
20180909

初のマイクロフォーサーズ(MFT)は、驚くほどコンパクト。パンケーキの14-42/3.5-5.6と40-150/4-5.6 Rがお出かけバッグに入ってしまいます。これで35mm換算28~300mmまでカバーできるとは恐るべし。

OM-Dシリーズの末弟ですが、121点AF、強力なボティ内5軸手振れ補正、見やすいEVF、8.6コマ/秒の連写、最新の画像処理エンジンなど、エントリー機らしからぬ仕上がり(4K動画も撮れます)。MFTって進化してますねえ。

動き物を撮ると感じるシャッタータイムラグ、連写中のEVFの画像消失時間など気になる点もありますが、旅のお伴にちょうどいい感じです。

(追記)2020年1月、中野のフジヤカメラに売却して手放しました。

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