妻と一緒に、国東半島(大分県)の六郷満山開山1300年で行われた非公開文化財特別公開を巡りました。
国東半島は、奈良~平安期に、宇佐神宮の八幡信仰と仏教(主に天台密教)が結びつき、神仏習合の「六郷満山」と呼ばれる独自の仏教文化が発展しました。山々に点在する六つの集落(郷)が丸ごと寺を形成し、多くは養老年間に仁聞(にんもん)菩薩(宇佐八幡神の化身)が開基したとされ、2018年で開山1300年を迎えます。
今回は、宇佐神宮・富貴寺・文殊仙寺の3社寺で非公開文化財の特別公開が行われました。
初めに訪ねたのは、文殊仙寺(国東市)です。
正式には峨眉山文殊仙寺(天台宗)で、大化四年(648)、役之行者(えんのぎょうじゃ)の開基と伝わります。断崖の岩窟に文殊菩薩を奉って修験を極めたとされ、鬱蒼として昼なお暗い山中を、長い石段をやっとの思いで登ると、岩肌に張り付くように建つ本殿(文殊堂)が現れ、ここが厳しい修験の場であることを感じさせます。
今回は、文殊堂奥之院内陣と岩窟内の特別拝観(説明付き)と、寺宝の両界曼荼羅2幅・鬼会面5面を特別公開。「三人寄れば文殊の知恵」という言葉が生まれた寺で、岩窟内に湧き出る「智慧の水」を頂きました。
鬼会面は、満山の各寺に伝わる修正鬼会で使われた鬼の面です。かつては、旧暦1月7日、僧侶が鬼に扮して松明の火を掲げ、各戸を祓って廻りました。当地では、鬼は邪悪でなく、先祖の化身で福をもたらす「鬼さま」で手厚くもてなされます。現在は、多くの寺で廃絶し、天念寺(豊後高田市)と岩戸寺(国東市)で行われています(国重要無形民俗文化財)。
続いて、富貴寺(豊後高田市)へ。
正式には蓮華山富貴寺(天台宗)で、養老二年(718)、仁聞菩薩の開基と伝わります。国宝の大堂は九州最古の木造建築で、阿弥陀如来坐像と内陣の壁画(いずれも国重文)が有名です。
こちらは10年ぶりの再訪で、今回は一般公開の大堂と、本堂で特別公開の寺宝・観世音菩薩坐像と満山最古の鬼会面(鈴鬼男女2面と菩薩面)を見学しました。
大堂の壁画は、千年の時を経て色あせ、図柄が分からなくなっていますが、大分県立歴史博物館に実物大の復元があり、極彩色で描かれた極楽浄土の壁画が再現されています。
最後に、宇佐神宮(宇佐市)を訪ねます。
全国八幡社の総本宮で、神亀二年(725)、八幡大神(応神天皇)を祀ったのが始まりです。八幡神が菩薩に化身して六郷満山を開いたとされ、古来の神道と外来の仏教が融合した神仏習合の発祥地です。天平十年(738)、境内に神宮寺として弥勒寺が建立され、僧侶たちはここから六郷満山に修行の場を広げていきました。
今回は、八幡造りの本殿(国宝)と北辰神社の特別拝観と、一般公開の宝物館で孔雀文馨(国宝)を見学。本殿は、一ノ御殿(応神天皇)・二之御殿(比売大神)・三之御殿(神功皇后)が並び建ち、八幡造りの美しい社殿でした(撮影禁止なので、写真は回廊の楼門です)。
今回の非公開文化財特別公開は3社寺のみでしたが、今年10月~来年3月には15か寺で特別公開が予定されているとのことです。
この他にも、六郷満山の寺をいくつか廻りました。
真木大堂(豊後高田市)は、かつて満山の本山寺八か寺の一つで最大規模を誇った馬城山伝乗寺の跡にあります。
伝乗寺と36坊は中世ころに衰退し、その諸仏像のうち、700年前の大火をくぐり抜けた9体の仏像(不動明王と二童子像、阿弥陀如来坐像、四天王立像、大威徳明王像)を今に受け継いでいるのが真木大堂です。
これらの仏像は、いずれも国宝に指定され、完全空調・遮光の立派な収蔵庫でガラス越しに見学できます。中でも、水牛に跨った大威徳明王像は日本最大とされ、とても迫力がありました(撮影禁止なので、写真は伝乗寺で唯一残る本堂です)。
両子寺(国東市)は、養老二年(718)、仁聞菩薩の開基と伝わります。満山の中山本寺(根本道場)で、江戸期には杵築藩の最高祈願所として、満山を統括しました。
一般公開されている護摩堂の大聖不動明王像(鎌倉期)や大講堂の阿弥陀如来坐像(鎌倉末期)を拝観。寺域は青紅葉が美しく、紅葉の時期はさぞやと思わせます(写真は、大講堂)。
特に、朱塗りの無明橋から仁王像が立つ山門に続く石段は、国東の石造文化を感じさせる古刹らしい雰囲気です。ガイドブックやパンフレットの写真に取り上げられる理由がよく分かりました。
次は、国東半島の各地に社寺以外を訪ねます。