市川・真間めぐり
よく晴れた3連休の中日、市川市の真間地区を散策。
今回は、真間山下バス停から、弘法寺→手児奈霊神堂→真間の継橋と回る逆巡りのコースです。
まずは真間山弘法寺(日蓮宗)へ向かいます。
もとは奈良期に行基が手児奈の霊を供養するため建立した「求法寺」で、平安期に弘法大師が七堂を整えたときに寺名を改めました。
鎌倉期に日蓮宗に転じ、室町期には門前町(真間・市川宿)が発達してたいそう賑わいました。明治21年(1888)の大火で諸堂を焼失しましたが、仁王門・赤門・鐘楼堂は残りました。他の建物は大火後の再建です。
祖師堂前の伏姫桜は、樹齢400年と云われています。近年は樹勢の衰えが激しいようですが、春には満開の枝垂れ桜が見事です。地元では、隠れた桜の名所として知られ、大勢の人やカメラマンで賑わいます。
訪れた日は、まだ蕾でしたから、開花はもう少し先になりそうです。
弘法寺の長い石段を下ると、参道のすぐ左手に手児奈霊神堂があります。
手児奈は、今から1300年ほど前、この地に住んでいた美しい里娘で、男らが自分を巡って争うのを苦に、「自分さえいなければ」と真間の入江に入水したと伝わります。手児奈伝説は、都に伝わり、万葉集にも数多く詠われました。
「われも見つ 人にも告げむ 葛飾の 真間の手児奈が奥津城処(おくつきどころ)」
地元では、良縁成就・孝子受胎・無事安産・健児育成の女神として親しまれ、10月の手児奈まつりでは女神輿が渡御します。
さらに参道を進むと、「真間の継橋(つぎはし)」が見えてきます。
国府台に下総国府があったころ、この一帯は古東京湾が入り組む入江でした。いくつもの砂州を橋でつないで官道が通っていたと考えられており、万葉集にも既に「真間の継橋」として詠われています。
「足(あ)の音せず 行かむ駒もが 葛飾の 真間の継橋やまず通わむ」
橋の元の位置や形状は不明で、現在は、朱色の欄干のモニュメントがありますが、橋の下に水は流れていません。
いつも通過することが多い市川ですが、改めて目を向けると、万葉の旧跡があちこちに残り興味深かったです。この後、真間川まで歩いて再びバス停に戻りました。
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