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2017/02/26

市川・団子あげ

市川市・北方子之神社(北方3-17-23)で行われた「団子あげ」を撮影。

 

20170226北方子之神社は、亀山帝の文永年間(1264-75)の創建で、大己貴命(大國主命)を祀ります。

 

「団子あげ」は、北方1~3丁目・4丁目(一部)に伝わるおびしゃ行事で、毎年2月26日(子之神社の祈年祭)に行われます。
無病息災と豊作を祈る予祝行事で、梅の小枝に団子で「餅花」を咲かせて奉納し、参詣者に配ります。
この団子を持ち帰り、焼いて食べると一年間風邪をひかないとされています。

 

【この日の進行スケジュール】
10:00~ 祈年祭
10:15~ 参詣者に配布
10:30ころ 終了

 

【メモ】
朝9時ころ、北方会館(公民館)に氏子総代・役員12人が集まり、梅の枝に団子をさして準備し、神前に奉納する。午前10時、拝殿で祈年祭の式典執行(15分)。その後、参詣者に配布される。昔は、氏子の家々が前年に収穫した米を粉に挽いて団子を作り、梅の小枝にさして奉納した。現在は、周囲は住宅街で農家はなく、業者に発注した団子を使って氏子役員のみで継承している。参詣者と見学者(取材含む)は計10人ほど。公民館に駐車スペース数台(狭いので付近のコイン駐車場を推奨)。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2017/02/19

香取・廻り祭頭

香取神宮で行われた鹿島神宮祭頭祭「廻り祭頭」を撮影。

20170219茨城・鹿行地域に春の訪れを告げる鹿島神宮の祭頭祭(毎年3月9日)。
大総督(当番区から卜定で選ばれた男児)を頭(かしら)に、陣笠・羽織袴の役員、色とりどりの祭衣・襷・鉢巻で樫棒を持った囃子人が数百人の行列で囃す勇壮な祭りです(国記録選択無形民俗文化財)。

本祭の前に、予行演習(棒揃え)を兼ねて大総督の地元を囃して廻る「廻り祭頭」が行われます。今年の右方大頭(清水郷)の大総督は、香取・西蔵院のお孫さん。その縁で、31年ぶりに香取神宮で廻り祭頭が披露されました。

【この日の進行スケジュール】
10:30~11:30 廻り祭頭(西蔵院)
13:30~14:30 廻り祭頭(香取神宮)
楽士一斉囃し(朱鳥居前)→棒ふり一斉囃し(総門前)→一斉囃し(拝殿前)

【メモ】
氏子66郷を南と北に分け、双方の当番区(左方大頭・右方大頭)で大総督が選ばれる。今年は左方(奥野谷郷)は大総督のもと16組500人が、右方(清水郷)は大総督のもと13組270人が「出陣」する。祭頭囃行列は、肩車された大総督を先頭に、高張提灯、幟旗、金馬簾(馬印)、大軍配、纒を立てた大行列で練り歩く。
右方(清水郷)の廻り祭頭では、朱鳥居前・総門前・拝殿前で一斉囃しが行われた。警護役人が囃し場を確保すると、大軍配が走り込み、大きく振り回して場を浄める。次に、纏も同様に繰り返す。その後、囃人が組ごとに走り込み、楽士(太鼓)を中心に円陣になり、祭頭唄を歌いながら六尺の棒を組んだり解いたりを繰り返す。房総には見られない芸態で大変珍しかった。
突然現れた祭人に観光客は大喜び。見物人もカメラマンも多数。神社に駐車場あり。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2017/02/14

京都・冬の特別拝観2017(洛東編)

続いて、洛東の金戒光明寺・知恩院・高台寺・建仁寺・西福寺を巡ります。

20170212c金戒光明寺(浄土宗)は、法然上人が念仏道場を開いた地で「くろ谷さん」の名で親しまれています。
京都守護職に任じられた会津藩主松平容保が本陣を置き、新選組を組織したことでも知られます。
特別公開の御影堂、大方丈と庭園を見学。
御影堂では、運慶作の獅子に乗った文殊菩薩像が興味深かったです(もとは三重塔に安置)。
大方丈では、近藤勇が松平容保に謁見した「謁見の間」、虎の襖絵が描かれた「虎の間」、松の襖絵が描かれた「松の間」を見て、庭園を見学。虎の絵は、襖の開け閉めで見え方が変わるマジックアートのようでした。寺宝の伊藤若冲の「宝珠に槌図」(軸)や、円山応挙の「鶏図」(抜けひよこで有名)も興味深かったです。

20170212d続いて、13年ぶり公開の塔頭・西翁院へ。江戸期の茶人・藤村庸軒の祖父が建立し、のち庸軒が造った茶室「反古庵」が有名です。
庸軒は、千宗旦の四弟子の一人で、侘び茶の奥義を極めた人です。
寺が大切にしている苔を傷めないよう、クロックスのサンダルに履き替えて庭を移動。「反古庵」では、飛び石伝いに一人ずつ、にじり口から中を見学。
三畳ほどの小さな庵で、中柱と壁で点前座と客座を仕切っているのが特徴です。点前座の左にある窓から、淀川が遠望できたので「淀看席」の名で呼ばれています。茶室前の蹲踞まで張り出した屋根が珍しかったです。

20170212e知恩院(浄土宗)は、法然上人が草庵を結んだ地で、江戸期、徳川将軍家が惜しみなく援助して大伽藍となりました。17年ぶり公開の大方丈・小方丈(いずれも国重文)と庭園を見学。
大方丈は、家光が寛永十八年(1641)に創建した建物です。上下二段の廊下は、知恩院の七不思議の一つ、鶯張りで、歩くとキュッキュッと鳴きます。将軍が上京の折、謁見に使った上段の間・中段の間・下段の間は、狩野派の絢爛豪華な金碧障壁画(襖絵)が見事で、徳川の権勢を誇示した造りになっています。菊の間では、抜け雀で知られる襖絵も公開されていました。対照的に、小方丈は水墨調の襖絵で、落ち着いた雰囲気でした。
境内の裏手にある長い石段を登り、勢至堂と御廟まで足を延ばしたら足が棒になりました。

20170212f高台寺(臨済宗建仁寺派)は、秀吉とねねの寺として知られています。慶長十一年(1606)に秀吉の正室ねね(北政所)が夫の菩提を弔うために開いた寺です。霊屋(国重文)の蒔絵、展望台、池にかかる臥龍廊を通る拝観ルートが特別公開中。
池に架かる長い臥龍廊を通って小高い霊屋へ。彩色で飾られた建物に、須弥壇があり、秀吉とねねの木像を祀っています。ねねは、自身の木像の2m下に眠っています。須弥壇と厨子には、漆と金箔で繊細な蒔絵(高台寺蒔絵)が施され、大変美しいものでした。
境内には、伏見城から移した茶室(傘亭・時雨亭、いずれも国重文)もあり、時雨亭は珍しい2階建てでした。

20170212g続いて、建仁寺へ移動して、20年ぶり公開の塔頭・久昌院へ。信長に仕えた美濃の武将・奥平信昌が菩提寺として開いた寺で、客殿と前庭、書院を見学。
信昌は、織田・徳川連合軍vs武田が戦った長篠の合戦(1575)で、長篠城に籠城して武田勢を撃破した勇将です。関ケ原には東軍として参戦し、初代の京都所司代に任ぜられています。
客殿では、信昌の活躍を描いた寺宝の「長篠合戦図」(襖絵)を見て、前庭を鑑賞。書院「高松軒」では、座敷の隣に設けられた茶室が船底天井で珍しかったです。

20170212h最後は、初公開の西福寺(浄土宗)です。あの世とこの世の境とされる鳥辺野の入口にあり、特別公開の「檀林皇后九相図」「地獄絵図(六道十界図)」「洛中洛外図屏風」を見学。
「檀林皇后九相図」は、嵯峨天皇の后の屍が朽ちて土に還るまでを九段階に分けて描き、通常はお盆の時期のみ公開。「地獄絵図」は、冥界の六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天界)を描き、こちらも通常は精霊迎えの時期のみの公開です。
前に訪れた六道珍皇寺といい、この辺には人の無常をおどろおどろしく伝える寺院が多く集まっています。

今回の京都・冬の旅では、一泊二日で六寺七院と一か所を巡りました。今回もツアーだったので、説明を聞きながら見学と撮影に集中できて楽ちんでした。
旅の機材はD40+18-55mmf/3.5-5.6GIIでした。小型軽量なので、まだまだ旅カメラとして現役です。

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2017/02/13

京都・冬の特別拝観2017(洛南編)

二日目の朝は、洛南の東寺へ。

20170212a世界遺産の東寺(真言宗)は、2度目の訪問です。桓武天皇が国家鎮護を願い、平安京の正門(羅城門)の東に造営した官寺で、のち嵯峨天皇が空海に下賜しました。
特別公開の五重塔(国宝)と、通年公開の金堂(国宝)、講堂(国重文)を見学。

金堂は、東寺の本堂に当たる建物で、延暦十五年(796)に建立されました。文明十八年(1486)、京都で起きた徳政一揆を室町幕府の軍勢が攻めた際、本尊仏とともに焼失。秀頼が慶長八年(1603)に再建しました。本尊・七仏薬師如来と日光菩薩・月光菩薩(いずれも国重文)が祀られています。

講堂は、東寺の中心的な建物で、承和六年(839)に建立されました。金堂とともに焼失しましたが、延徳三年(1491)にいち早く再建。大日如来の周りに五智如来、右側に五菩薩、左側に五大明王、四方に四天王・梵天・帝釈天など21体の仏像(うち16体が国宝、5体が国重文)を配し、空海の密教世界観を立体曼荼羅で具現しています。

20170212b五重塔は、元慶七年(883)に建立され、焼失と再建を繰り返し、現在の塔は寛永二十一年(1644)に再建された五代目。高さ55mの日本一高い五重塔で、京都のシンボルです。
初層の内部は、極彩色の文様が描かれた煌びやかな空間。中心を貫く心柱を大日如来に見立て、その四方を金色の四如来像と八菩薩像が守っています。四方の柱には金剛界曼荼羅が、四面の端柱には八大龍王が、壁には真言八祖像が描かれています。須弥壇の下の穴から、心柱を支える巨大な礎石を見ることができます。ちなみに二層から上は骨組みだけで空洞です。

東寺は、朝早くから拝観できるので、ツアーでは二日目の朝一番に組み込まれることが多いです。この時間帯は五重塔の全景を撮ると必ず逆光になるのが悩ましいところです。

次は、洛東の金戒光明寺へ移動します。

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2017/02/12

京都・冬の特別拝観2017(洛中編)

洛西から、洛東の聖護院・妙法院を巡って、洛中の壬生寺・島原角屋へ移動。

20170211d聖護院(修験宗)は、山伏で知られる修験の総本山です。江戸期には光格天皇が仮皇居としました。特別公開の宸殿・書院(国重文)と、御着替弁才天尊を見学。
宸殿は、絢爛な狩野派の障壁画(金地彩色の襖絵)が圧巻。書院は、御所の女院御殿を移した建物で、2つの床の間や透かし、釘隠しの意匠が雅でした。

聖護院は、明治の廃仏毀釈で廃された末寺の仏像を多く預かります。今回はその中から21体を公開。初公開の弁才天尊(旧才智院の本尊)は、明治まで春・秋に衣装替えした天女像で、衣装をまとった美しい姿は必見です。

20170211e続いて、13年ぶり公開の妙法院(天台宗)へ。天台三門跡の一つで、幕末に尊王攘夷派の三条実美らが失脚した「七卿落ち」の舞台となりました。特別公開の庫裏(国宝)と宸殿、大書院(国重文)と庭園を見学。
庫裏は、秀吉が「千僧供養」を行った際に建てた国内最大級の台所で、桃山期の建築。巨木を組んだ梁と三層の煙出しが豪壮です。宸殿では、寺宝の「七卿落図」が公開中。大書院は、御所の旧殿を移した建物で、狩野派の障壁画(金地彩色の襖絵)が絢爛豪華でした。
龍華蔵(宝物庫)も公開され、ポルトガル国印度副王信書(国宝)のレプリカが珍しかったです(本物は京都国立博物館に寄託中)。

20170211f洛中へ移動し、7年ぶり公開の壬生寺(律宗)へ。鎌倉期、円覚上人が教えを広めるため始めた無言劇は、「壬生大念仏狂言」(国重文)として今に伝え守られています。特別公開の本堂と初公開の狂言堂(国重文)を見学。
本堂で現存最古級の地蔵菩薩立像(国重文)と鑑真和上坐像(レプリカ)を見て、境内の狂言堂へ。演者の衣装や小道具の部屋を通って舞台に上がり、珍しい構造を見学。伊藤若冲が奉納した狂言面なども特別に展示され、民俗芸能好きには垂涎ものでした。
驚いたのは、舞台の目の前に寺の保育園の建物が迫るように建っていたこと。その保育園の2階ベランダ部分を狂言の観覧席に利用する大胆さに感心しました。

ちなみに、壬生寺は幕末に新選組が訓練所とした所です。境内の壬生塚(別料金)に、近藤勇の胸像と暗殺された芹沢鴨(初代局長)の墓があります。

20170211g初日の最後は、13年ぶり公開の島原角屋(国重文)へ。江戸期、花街として栄えた島原に残る唯一の揚げ屋建築です。一階の台所・網代の間・松の間を見学。
網代の間は、網代組みの黒い天井が特徴。松の間は、庭の臥龍松を望む大広間で、新選組が芹沢鴨を暗殺する夜に遊宴を開いた座敷です。
京の花街は、歌舞音曲の修行を積んだ舞妓を呼んで、客が和歌や俳諧など文芸を楽しんだ料亭的な存在で、いわゆる遊郭とは異なります。角屋の造作にも、端々に京文化の粋が感じられました。

夕方、四条大宮駅近くのホテルにチェックイン。夜は電車で河原町へ出て、祇園で夕食後、四条通をぶらぶら散策。

二日目は、洛南の東寺と、洛東の金戒光明寺・知恩院・高台寺・建仁寺・西福寺を巡ります。

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2017/02/11

京都・冬の特別拝観2017(洛西編)

2月の連休を利用して、妻と冬の京都を訪ねました。

初日は、洛西の妙心寺と、洛東の聖護院・妙法院、洛中の壬生寺・島原角屋を巡りました。

20170211a妙心寺(臨済宗妙心寺派)は、京都最大の禅寺で、2度目の訪問です。今回は、大庫裏と経蔵(いずれも国重文)が特別公開中。
大庫裏は、七堂伽藍の一つで、承応二年(1653)の再建。大竈や三十畳敷の食堂を備えた巨大な台所で、縦横に組んだ巨大な梁が豪壮な造り。経蔵は八角形の回転式輪蔵で、寛文十三年(1673)に大阪の豪商・淀屋が寄進したもの。経典6500巻を収め、一回転させると全巻を読んだのと同じ功徳とされます。後に淀屋は途絶えましたが、「淀屋橋」の地名に名を留めています。

20170211b続いて、初公開の塔頭・養徳院へ。秀吉の重臣・石河光重が父の菩提寺として建立しました。
本堂(方丈)と枯山水の庭園、寺宝の「酒茶論」や曽我直庵筆「鷹の図」を見学。酒茶論は、酒と茶の徳を論争した2000字の漢文軸で、、最後に引き分ける内容です。他に、鑑真和上の請来と伝わる鉄鉢(いくつも小穴が開いていた)も興味深かったです。

20170211c同じく初公開の塔頭・大雄(だいおう)院へ。こちらは尾張徳川家の家老・石河光忠が父の菩提寺として建立しました。
客殿と書院、池がある庭園を見学。客殿には柴田是真筆の、書院には土岐済美筆の襖絵(山水画)が描かれ、落ち着いた雰囲気を醸し出していました。

養徳院と大雄院を開いた石河氏は、もともと秀吉に仕える武将でした。関ケ原では、一族を東軍と西軍に分けて参戦。勝っても負けても一族が生き残る途を取り、東軍についた石河氏は、後に尾張徳川家の重臣となっています。

今回の妙心寺は、雪で新幹線が30分以上遅延した影響で、他の堂宇を見て廻る余裕がなかったのが残念でした。

次は、洛東の聖護院・妙法院と、洛中の壬生寺・島原角屋を巡ります。

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