京都・冬の特別拝観2017(洛西編)
2月の連休を利用して、妻と冬の京都を訪ねました。
初日は、洛西の妙心寺と、洛東の聖護院・妙法院、洛中の壬生寺・島原角屋を巡りました。
妙心寺(臨済宗妙心寺派)は、京都最大の禅寺で、2度目の訪問です。今回は、大庫裏と経蔵(いずれも国重文)が特別公開中。
大庫裏は、七堂伽藍の一つで、承応二年(1653)の再建。大竈や三十畳敷の食堂を備えた巨大な台所で、縦横に組んだ巨大な梁が豪壮な造り。経蔵は八角形の回転式輪蔵で、寛文十三年(1673)に大阪の豪商・淀屋が寄進したもの。経典6500巻を収め、一回転させると全巻を読んだのと同じ功徳とされます。後に淀屋は途絶えましたが、「淀屋橋」の地名に名を留めています。
続いて、初公開の塔頭・養徳院へ。秀吉の重臣・石河光重が父の菩提寺として建立しました。
本堂(方丈)と枯山水の庭園、寺宝の「酒茶論」や曽我直庵筆「鷹の図」を見学。酒茶論は、酒と茶の徳を論争した2000字の漢文軸で、、最後に引き分ける内容です。他に、鑑真和上の請来と伝わる鉄鉢(いくつも小穴が開いていた)も興味深かったです。
同じく初公開の塔頭・大雄(だいおう)院へ。こちらは尾張徳川家の家老・石河光忠が父の菩提寺として建立しました。
客殿と書院、池がある庭園を見学。客殿には柴田是真筆の、書院には土岐済美筆の襖絵(山水画)が描かれ、落ち着いた雰囲気を醸し出していました。
養徳院と大雄院を開いた石河氏は、もともと秀吉に仕える武将でした。関ケ原では、一族を東軍と西軍に分けて参戦。勝っても負けても一族が生き残る途を取り、東軍についた石河氏は、後に尾張徳川家の重臣となっています。
今回の妙心寺は、雪で新幹線が30分以上遅延した影響で、他の堂宇を見て廻る余裕がなかったのが残念でした。
次は、洛東の聖護院・妙法院と、洛中の壬生寺・島原角屋を巡ります。
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