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2016/11/20

松戸・二十世紀梨原樹跡

松戸市大橋にある二十世紀梨原樹跡を訪ねました。

20161120二十世紀梨は、明治21年、八柱村大橋(今の松戸市)の松戸覚之助(1875-1934)が偶然見つけた苗を、父の果樹園(錦果園)に植えたのが始まりです。

当時13歳の覚之助は、黒斑病に悩みながらも十年間世話を続け、ついに甘くて果汁たっぷりの梨の実が採れました。
当時人気の太白より美味いと評判になり、「新太白」と呼ばれましたが、明治37年(1904)、「この先、右に出る品種はない」として「二十世紀梨」と命名。数々の品評会で受賞し、その名のとおり、今世紀最高の梨と評されました。
覚之助は、苗木を独占することなく、希望する栽培農家に苗木を送ったので、全国的に広まりました。

原木は、昭和10年に国天然記念物に指定され、錦果園で大切に育てられていましたが、昭和20年の空襲で梨園は全滅。原木も昭和22年に枯死しました。
現在、錦果園跡は住宅地や公園となり、原樹の跡には「天然記念物二十世紀梨原樹」の碑と、平成14年に鳥取県から送られた「二十世紀梨感謝の碑」のモニュメントが立っています。

原木の一部(破片)は、松戸市立博物館に保存・展示され、見ることができます。

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2016/11/13

企画展「公爵・徳川慶喜家」

松戸市の戸定歴史館で開催中の「公爵・徳川慶喜家」展に、妻と散歩がてら行ってきました。

20161113この企画展は、明治35年の公爵・徳川慶喜家の誕生と、大正~昭和と受け継いだ二代慶久、三代慶光の足跡と家族の暮らしを紹介し、戦後、華族制度廃止により公爵家の終焉までの歴史を初公開資料50点余を交えて辿っています。

展示は、「慶喜、その前半生」(将軍後見職、禁裏守衛総督、征夷大将軍時代の慶喜)、「公爵家創設前夜」(29年間の隠棲生活)と振り返り、「公爵家の誕生と継承」では、公爵授爵の背景と明治の体制に組み込まれる意味を取り上げています。
「国際派公爵と有栖川宮家最後の王女」では、国際交流で活躍した二代慶久とその妻・有栖川宮実枝子妃の暮らしを紹介し、「少年公爵と妃殿下」では、父の急逝で9歳で跡を継いだ慶光と、幼い弟を支えた喜久子妃(高松宮妃)の暮らしを、戦争へと動く時代の中で振り返ります。「公爵家の終焉」では、慶光の出征と帰還を経て、華族制度廃止と公爵家の終焉を見つめます。

松戸は、最後の水戸藩主・徳川昭武(慶喜の弟)の邸宅が現存する関係で、戸定歴史館は江戸~明治の慶喜・昭武関連の展示が秀逸ですが、今回も珍しいテーマを掘り下げた企画で勉強になりました。

「公爵・徳川慶喜家」展は、前期が11/13(日)まで、後期が11/15(火)~12/23(祝)までです。

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2016/11/06

八街・八街大祭

八街市で行われた「八街大祭」を撮影。

20161106八街大祭は、鎮守・八街神社と5つの稲荷神社、大宮神社の七社合同祭です。

もとは、明治13年に八街神社が収穫を祝う秋祭りを行ったのが始まりで、後に祭礼日が同じ5つの稲荷神社(妻恋・女化・三光・豊川・熊谷)と大宮神社の祭礼を一緒に行うようになりました。
昭和54年からは、山車・屋台を出してお囃子や手踊りを行うようになり、以前は「八街秋祭り」と呼ばれていましたが、「八街大祭」と改称しました。

初日は地元の地区廻りがメインで、二日目は八街市役所でお囃子と踊りの競演が行われます。八街神社の宮神輿は、大年番区が担ぎます。

【この日の競演スケジュール】
11:30~ 各区入場
大東区→六区→四区→三区→一区→二区→五区(大年番区)の順
13:00~ 式典(挨拶)
13:20~ 各区競演
五区→四区→三区→二区→大東区→一区→六区の順
14:30~ 総踊り(大漁節)→三本〆(大年番区長)
14:40~ 各区退場
五区→六区→四区→三区→一区→二区→大東区の順
15:30ころ 終了

【メモ】
山車・屋台の巡行区域が広く、無計画に歩き回ってもなかなか屋台に遭遇できない八街大祭。今回は二日目を撮影。事前に各区のタイムテーブルを検討し取材ポイントを設定。競演会場では全区と宮神輿が揃うが、ロープが張られて近づけず、脚立と望遠ズームは必須か。競演会場を終えた後の巡行ルートで待ち構えて撮影する方が容易。ただし、初冬の夕方で光線状態は厳しい。夜は予想以上に冷え込む。
競演会場や沿道は見物人で混雑し、カメラマンも多数。駐車場は駅前臨時駐車場かコインパーキングを利用。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2016/11/03

佐倉・坂戸の念仏(大十夜)

佐倉市坂戸・西福寺の大十夜で行われた「坂戸の念仏」を撮影。

20161103【現地案内板の説明】
「浄土宗の西福寺に伝わる念仏で『おどり念仏』といわれている。
毎月(十二月を除く)九日の月並念仏のほか、十八日の観音講・春秋の彼岸・四月十五日の開山忌・お盆・十一月十四・十五日のお十夜などに行われている。
更に三十三年に一回の「大十夜」には万燈を先頭に念仏塚まで道中し、塚の前で「朝がお」・「しもつけ」という念仏踊りをする。また、折々に詠唱される和讃の曲目の豊富さは注目に値する。
由来は明らかでないが、浄土信仰の伝播のためにもたらされたものが、比較的芸能化されることなく今日まで伝えられたものと考えられる。
現在、坂戸踊躍念仏講中によって伝承されている。」

【この日の進行スケジュール】
9:00~ 開会・挨拶(西福寺)
9:30~ 踊り念仏(あさがお)
10:00~ 法要(西福寺)
12:00~ お練り行列(山門→美術館前→念仏塚)
13:00~ 法要(念仏塚)
13:30~ 踊り念仏(あさがお→しもつけ)
14:15~ 式典・挨拶(念仏塚)
14:45~ 餅投げ
14:55ころ 終了

【メモ】
西福寺は、応安年間(1368-74)に良栄上人が開き、託宣を受け踊り念仏を広めた。現在は、子安講の集まりはあるが念仏は唱えておらず、踊り念仏はほぼ休止している。
大十夜は、33年に一度の開山忌大法要で、上人像を奉載した輿が練り行列で念仏塚(十夜山)まで赴く。前回は昭和58年3月6日に開筵。今回は、平成19年から準備を始め、唄と踊りを復元する一大プロジェクトとなった。
秋晴れの下、寺の境内や行列沿道、念仏塚は見物人で溢れ、カメラマンも報道など数社ほか多数。事前情報が少なく、手探り状態での撮影。脚立を使用したが、念仏塚では望遠200mmでも役不足。駐車場は西福寺と坂戸区民館にあり。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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