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2015/11/28

モネ展

妻と一緒に、東京都美術館で開催中の「モネ展」に行ってきました。

20151128クロード・モネ(1840-1926)は、印象派を代表するフランスの画家です。移りゆく光と色彩の変化を追求した色彩感あふれる作風が特徴で、「睡蓮」の絵はあまりにも有名です。

今回のモネ展は、パリのマルモッタン・モネ美術館が収蔵するコレクションの中から90点を展示しています。
展示は、画家の生涯をテーマごとに分けて紹介。10代後半のカリカチュア(戯画)を集めた「若き日のモネ」、生前は発表されることのなかった「家族の肖像」、円熟期の代表的な連作を展示した「睡蓮と花」、荒々しく抽象的なタッチの「最晩年の作品」と、年代ごとにモネの感性や意識が変化していく様子がよく分かりました。

有名な「睡蓮」は、ジヴェルニーの自宅の庭に作った池で睡蓮を描いた連作の1枚。水面に移った周囲の木々にモネのこだわりがよく表れています。モネは、庭に和風の太鼓橋を作り、晩年に「日本の橋」という作品を数点残しています。そう言えば、モネには「ラ・ジャポネーズ」(ボストン美術館蔵)という、妻カミーユの和装姿を描いた作品があり、相当の日本贔屓だったようです。

モネ展は、12月13日まで開催しています。

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2015/11/25

京都・秋の旅(大原野編)

西山の里、大原野に光明寺、大原野神社、勝持寺を訪ねました。

20151123f光明寺は、建久九年(1198)、法然上人が念仏を唱えて浄土宗を開いた地に建てられた西山浄土宗の総本山です。応仁、元亀、天正の兵火と江戸中期の火災で伽藍を焼失し、現在の建物は大半が江戸期の再建です。
境内には、法然上人の遺骸を墓から移した際に光明を放ち、寺名の素になった石棺や上人の舎利を収めた御廟などがあります。

薬医門から総門に続く脇参道は「もみじ参道」とも呼ばれ、秋は紅葉の名所です。こちらも色づきは…。

続いて、大原野神社へ移動します。

20151123g大原野神社は、延暦三年(784)、桓武帝が長岡京に遷都した際、奈良・春日大社から藤原氏一族の氏神を分祀した古社です。長岡京に都が置かれたのは十年ほどですが、平安京に遷都後も朝廷の崇敬が厚く、紫式部の源氏物語にもこの地が詠まれています。

雅な春日造りの社殿は、春日大社と同じ四殿が並び、猿沢池を模した鯉沢池があり、古くから「京春日」と呼ばれています。手水舎の鹿像は伏鹿手水所(春日大社)のミニチュア版。狛犬は、犬ならぬ鹿が可愛い目で参詣者を出迎えてくれます。
秋には参道や境内の紅葉が美しく、隠れた名所になっています。

最後は勝持寺です。

20151123h勝持寺(天台宗)は、白鳳八年(679)、天武帝の命により開かれました。平安期に伝教大師最澄が伽藍を再建し、隆盛期には多くの塔頭寺院を持ちましたが、応仁の乱で伽藍を焼失。現在の建物は、仁王門を除いて天正年間の再建です。

瑠璃光殿にある本尊の薬師如来像(鎌倉期)、胎内仏の薬師如来像(平安期)、眷属仏の日光・月光菩薩と十二神将像(鎌倉期)、巨大な金剛力士像(鎌倉期)はいずれも国重文です。

平安末期、西行法師が出家して庵を結び、桜(西行桜)を吟愛したので「花の寺」と呼ばれ、秋は紅葉が美しい所です。大原野神社から林を抜けてショートカットできますが、仁王門からの参道は長くて急な坂道が続き、息が切れました。

今回の京都・秋の旅では、六寺一院三社を巡りました。
一泊二日の紅葉ツアーでしたが、今年の京都の紅葉はどこも厳しかったです。秋に暖かい日が続いた上、天気が悪い日が多かったので、色づく前に立ち枯れたり、斑に色焼けた木が多い印象でした。

旅の機材はRICHO GRでした。28mmだけで撮り歩くのはあれこれ工夫が必要ですが面白かったです。

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2015/11/24

京都・秋の旅(嵯峨野編)

嵯峨野は、小倉山の麓で、後嵯峨上皇が嵯峨御所(大覚寺)で院政を布いた地です。嵯峨野路では祇王寺、二尊院、化野(あだしの)念仏寺を巡りました。

20151123c祇王寺(真言宗)は、平家物語で平清盛の寵愛を受けた祇王(舞女)が、仏御前に心移りした清盛に都を追われて出家した悲恋の尼寺です。明治初めに廃寺になり、のちに現在の草庵を移築して再興された大覚寺の塔頭寺です。

平家物語では、諸行無常を感じた仏御前が尼僧姿で祇王の庵を訪ね、終生を共にしたとされます。仏間に祇王、母、妹と仏御前の像(いずれも鎌倉期の作)が並び、墓(宝筐印塔)も残っています。
秋は苔庭を赤く染める散り紅葉が美しい寺ですが、今年は…。

続いて二尊院へ足を延ばします。

二尊院(天台宗)は、承和年間(834-847)に慈覚大師が開き、「発遣の釈迦」(来世へ送り出す)と「来迎の弥陀」(極楽へ迎え入れる)の二尊を祀っています。

20151123d応仁の乱で焼失しましたが、本堂と唐門(勅使門)は三条西家が再建。総門は伏見城の薬医門を移築しています。御所の仏事を司った名門で、旧摂関家(二条・鷹司・三条・四条)の菩提寺でもあります。

訪れた時は、本堂が修復中で二尊は写真拝観となりました。秋の参道は「紅葉の馬場」と称される名所で、6割くらいの色づき。唐門の周りは綺麗に紅葉していました。

来た道を戻り、化野(あだしの)念仏寺へ。

20151123eあだし野は、古くから風葬の地でした。弘仁二年(811)、弘法大師が野ざらしの遺骸を手厚く葬り弔ったのが始まりで、のちに法然上人の常念仏道場となりました。

境内の「西院の河原」に立つ無数の石塔は、この地に葬られた無縁仏を祀っています。その数は8000体とも云われ、静かに佇む石塔の光景は、無言で説法を聴く亡者のようにも見えます。毎年8月、地蔵盆の夜、石塔に蝋燭を灯す千灯供養が行われています。

一帯が風葬の地ですから独特の雰囲気がありましたが、皮肉なことに紅葉は綺麗でした。

次は大原野へ移動します。

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2015/11/23

京都・秋の旅(洛北・洛中編)

大原から洛北の上賀茂神社へ。

20151122c上賀茂神社は、賀茂別雷大神を祀り、その母神・玉依姫を祀る下加茂神社とは親子関係にあります。
伊勢神宮に次ぐ社格を誇り、古来から平安京の守り神とされました。伊勢の斎宮に倣って加茂斎院が置かれ、その斎王代の行列を再現した葵祭(5月)が有名です。

今回は夜間特別参拝で、普段入れない本殿・権殿(いずれも国宝)まで進み、神職の説明と修祓を頂きました。本殿の扉を守る青い狛獅子が珍しかったです。
今年は21年ごとの式年遷宮で、社殿の屋根が葺き替えられました。権殿は、その間に御神体が移る仮宮で、本殿と仮宮が常時並び建つ例は珍しいそうです。

20151122d続いて橋殿や細殿も見学。細殿の前に盛った立砂(上の写真)は、加茂別雷大神が降臨した神山(こうやま)を模しています。頂に松葉を立てて陰陽一対とし、盛り塩の起源とされます。

この日は庭園(渉渓園)も特別にライトアップ。神職によれば、こちらの紅葉も今年は色づきが今ひとつ…。

この後、いったんホテルに戻り、夜の祇園へ。
四条通は夜も大渋滞で、途中でタクシーを降りて歩きます。八坂の塔(法観寺)や八坂神社に立ち寄り、祇園のしゃぶしゃぶ屋さんで遅い夕食。京都の街は深夜まで大勢の観光客で賑わっていました。

二日目は、洛中の北野天満宮と嵯峨野~大原野を巡ります。

20151123a北野天満宮は、天暦元年(947)、菅原道真公を祀って創建された全国天満宮の総本社です。和魂漢才の菅公にちなみ、学問の神として崇められています。

八棟造(権現造)の社殿は、楽の間・拝殿・石の間・本殿が一つになった桃山期の建築(国宝)。境内には、菅公の京の邸宅「紅梅殿」と、太宰府へ去る際に別れを惜しんだ「別離の庭」が復元されています。

20151123b北野天満宮では、天正年間に豊臣秀吉が大規模な茶会(北野大茶湯)を開いたり、御土居(土塁)を築いたり、慶長年間には秀頼が社殿を造営したりしています。

紅葉シーズンは史跡・御土居のもみじ苑が公開されています。紙屋川の鶯橋と紅葉が織りなすロケーションが人気ですが、ここも色づきは5割くらい…。それでも、朝は人が少なめでゆっくり散策できました。

次は、嵯峨野へ向かいます。

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2015/11/22

京都・秋の旅(大原編)

11月の連休を利用して、妻と秋の京都を訪ねました。

初日は、大原の宝泉院と三千院門跡、洛北の上賀茂神社を巡ります。

20151122a京都市中から郊外の大原へ。比叡山延暦寺(天台宗)の麓で多くの里坊(僧の住居)が置かれた所です。
宝泉院も、長和二年(1012)に開かれた大原寺(勝林院)の坊で、額縁庭園と血天井で知られます。

客殿で抹茶と菓子をいただきながら眺める庭(盤桓園)は風情があって、柱と柱に囲まれた額縁絵のようでした。
廊下の天井は、伏見城の床板を張っています。関ケ原の前哨戦・伏見城の戦い(1600)で敗れた徳川方は城中で自害し、遺骸は長く放置されていたと云います。のちに京都の寺々が、供養のため血で染まった床板を天井に張って祀り、血天井と呼ばれるようになりました。宝泉院もその一つで、当時の鎧や足形が黒い跡になって残っています。

20151122b続いて、三千院(梶井門跡)へ。伝教大師最澄が草庵を結んだ里坊(円融坊)に始まり、明治になって現在地に移り三千院と称するようになりました。天台宗五箇室門跡の一つで、代々皇族が住職を勤めた名門です。

客殿と宸殿を見て、苔に覆われた庭園(有泉園)を散策。ここは、わらべ地蔵さんが人気です。
境内の往生極楽院は、もとは平安期から続く極楽院という独立の寺でした。本尊の阿弥陀三尊像(国宝)は、両脇の菩薩像が少し前屈みの「大和坐り」です。天井は、大きな光背を堂内に収めるために折り上げた「舟底型天井」です。極彩色で描かれた絵は、千数百年の煤でよく見えませんでした(宝物殿の円融蔵に復元模写があります)。

次は、大原から洛北へ移動します

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