モネ展
妻と一緒に、東京都美術館で開催中の「モネ展」に行ってきました。
クロード・モネ(1840-1926)は、印象派を代表するフランスの画家です。移りゆく光と色彩の変化を追求した色彩感あふれる作風が特徴で、「睡蓮」の絵はあまりにも有名です。
今回のモネ展は、パリのマルモッタン・モネ美術館が収蔵するコレクションの中から90点を展示しています。
展示は、画家の生涯をテーマごとに分けて紹介。10代後半のカリカチュア(戯画)を集めた「若き日のモネ」、生前は発表されることのなかった「家族の肖像」、円熟期の代表的な連作を展示した「睡蓮と花」、荒々しく抽象的なタッチの「最晩年の作品」と、年代ごとにモネの感性や意識が変化していく様子がよく分かりました。
有名な「睡蓮」は、ジヴェルニーの自宅の庭に作った池で睡蓮を描いた連作の1枚。水面に移った周囲の木々にモネのこだわりがよく表れています。モネは、庭に和風の太鼓橋を作り、晩年に「日本の橋」という作品を数点残しています。そう言えば、モネには「ラ・ジャポネーズ」(ボストン美術館蔵)という、妻カミーユの和装姿を描いた作品があり、相当の日本贔屓だったようです。
モネ展は、12月13日まで開催しています。
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光明寺は、建久九年(1198)、法然上人が念仏を唱えて浄土宗を開いた地に建てられた西山浄土宗の総本山です。応仁、元亀、天正の兵火と江戸中期の火災で伽藍を焼失し、現在の建物は大半が江戸期の再建です。
大原野神社は、延暦三年(784)、桓武帝が長岡京に遷都した際、奈良・春日大社から藤原氏一族の氏神を分祀した古社です。長岡京に都が置かれたのは十年ほどですが、平安京に遷都後も朝廷の崇敬が厚く、紫式部の源氏物語にもこの地が詠まれています。
勝持寺(天台宗)は、白鳳八年(679)、天武帝の命により開かれました。平安期に伝教大師最澄が伽藍を再建し、隆盛期には多くの塔頭寺院を持ちましたが、応仁の乱で伽藍を焼失。現在の建物は、仁王門を除いて天正年間の再建です。
祇王寺(真言宗)は、平家物語で平清盛の寵愛を受けた祇王(舞女)が、仏御前に心移りした清盛に都を追われて出家した悲恋の尼寺です。明治初めに廃寺になり、のちに現在の草庵を移築して再興された大覚寺の塔頭寺です。
応仁の乱で焼失しましたが、本堂と唐門(勅使門)は三条西家が再建。総門は伏見城の薬医門を移築しています。御所の仏事を司った名門で、旧摂関家(二条・鷹司・三条・四条)の菩提寺でもあります。
あだし野は、古くから風葬の地でした。弘仁二年(811)、弘法大師が野ざらしの遺骸を手厚く葬り弔ったのが始まりで、のちに法然上人の常念仏道場となりました。
上賀茂神社は、賀茂別雷大神を祀り、その母神・玉依姫を祀る下加茂神社とは親子関係にあります。
続いて橋殿や細殿も見学。細殿の前に盛った立砂(上の写真)は、加茂別雷大神が降臨した神山(こうやま)を模しています。頂に松葉を立てて陰陽一対とし、盛り塩の起源とされます。
北野天満宮は、天暦元年(947)、菅原道真公を祀って創建された全国天満宮の総本社です。和魂漢才の菅公にちなみ、学問の神として崇められています。
北野天満宮では、天正年間に豊臣秀吉が大規模な茶会(北野大茶湯)を開いたり、御土居(土塁)を築いたり、慶長年間には秀頼が社殿を造営したりしています。
京都市中から郊外の大原へ。比叡山延暦寺(天台宗)の麓で多くの里坊(僧の住居)が置かれた所です。
続いて、三千院(梶井門跡)へ。伝教大師最澄が草庵を結んだ里坊(円融坊)に始まり、明治になって現在地に移り三千院と称するようになりました。天台宗五箇室門跡の一つで、代々皇族が住職を勤めた名門です。