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2015/05/06

信州・無言館

旅の終りに、上田市の無言館へ立ち寄ります。

20150506静かな丘に建つ小さな美術館で、戦没画学生の遺作を収集・展示しています。
ずい分前にその存在を知って、いつか訪ねてみたいと思っていました。

この美術館は、窪島誠一郎氏(故水上勉の子息)が、出征経験をもつ画家・野見山暁治氏の活動に共鳴し、戦地で亡くなった画学生の遺族を訪ねて遺作を預かり、平成9年に私費で建てたものです。

館内は、十字架状のフロアに、コンクリートの無機質な壁、薄暗い照明。壁には画学生の遺作と、名前.・略歴、戦死場所と月日が記された小さな説明のみ。ガラスケースに、生前の写真や愛用した画材道具、戦地から家族に宛てた手紙などの遺品が展示されています。

展示に声高な反戦主張などイデオロギー的な「評価」は加えられておらず、ただ70年前の「事実」と残された家族の「想い」を淡々と伝えています。
これらの展示を見て何をどのように感じるかは、おそらく見る側に委ねられています。館主の窪島氏は、無言館と名付けた理由を、「展示された絵画は何も語らず『無言』だが、見る側に多くを語りかける」という意味と同時に「見る側もまた『無言』になる」という意味も含んでいると語っています。

20150506b平成20年には第二展示館「傷ついた画布のドーム」が開館。その名のとおり、ドーム状の天井には、戦没画学生たちのデッサンが無数に貼り付けられています。
前庭の「絵筆の碑」の説明に、「壁面を汚している赤いペンキは、2005年6月18日、実際に『無言館』の慰霊碑にペンキがかけられた事件を『復元』しました。『無言館』が多様な意見、見方のなかにある美術館であることを忘れないためです」とありました。

無言館を訪れて、私自身は、亡くなった若者たちのもっと生きたかったという無念さ、生きて帰れないことへの絶望感、自分の意思と無関係に死ぬ理不尽さと運命に抗えない憤りが感じられて、言葉が出ませんでした。

今回の旅は、これで終わりです。久々の信州はとても充実した旅になりました。帰りは、関越道も東北道も渋滞30km。上信越道→関越道→北関東道→東北道ルートで午後10時ころに帰宅。今回の走行距離は627km、妻のFIT3 HVの燃費は31.5km/Lでした。

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2015/05/05

信州・高橋まゆみ人形館

飯山市では高橋まゆみ人形館へ。

20150505高橋まゆみさんは、昭和31年長野市に生まれ、飯山の農家に嫁ぎ、飯山で創作活動を続けている人形作家です。農家のおじいちゃん、おばあちゃんをモチーフにした温かみのある作風で知られます。

作家は、嫁いでから通信教育で人形作りを学び、仕事や家事に追われながら試行錯誤するうち、身近な暮らしの中に作りたいテーマが溢れていることに気がついたそうです。
近年では、認知症や介護を巡る人の絆など精神の深い面を探求した作品を発表されています。

この人形館は、2010年、作家の地元・飯山にオープンしました。小さなミュージアムですが、どの人形も優しい表情で、昔はこんなおじいさんやおばあさんたちがいたなあと何とも懐かしい気持ちになって癒やされます。

映像コーナーでは、普段は見ることができない制作工程を放映。作り方や作家の思いがよく分かります。
自然の中で人形たちを撮影した写真パネル(写真家・嶺村裕氏による)も素晴らしかったです。人形は年に2度の展示替えをしているそうなので、展示替え後も再訪したいと思いました。

20150505bお昼は、人形館の向いにある「月あかり」へ。飯山のお母さんたちが腕を振るう味処で、上杉謙信の野戦食だったという笹ずしをいただきました。
笹の葉に酢飯、その上にぜんまい・椎茸の大根味噌漬け炒め、生姜の甘酢漬け、薄焼き玉子、くるみを乗せた伝統郷土料理です。野趣あふれる素朴な味で、面白い経験でした。

優しい気持ちになったところで、飯山から上信越道を南下して、県東の上田市に向かいます。

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2015/05/04

信州・長野県信濃美術館

城山公園にある長野県信濃美術館へ。

20150504御開帳の期間中、『いのりのかたち・信濃の仏像と国宝土偶「仮面の女神」「縄文のビーナス」』展を開催しています。

善光寺信仰の広がりを示す県内各地の秘仏や善光寺ゆかりの宝物をテーマにした特別展です。
【第一展示室】
「日本彫刻史の始まり」「長野県の仏教信仰」「平安・鎌倉期の在銘像と優品」「阿弥陀信仰と善光寺」「仏師善光寺」「諏訪信仰の仏たち」「山の信仰」「肖像彫刻」
【第二展示室】
「仏像の造られ方」「大勧進・大本願の宝物」
【小展示室】
「善光寺ゆかりの宝物」
展示総数は96点(うち国宝2点、国重文8点、県宝13点)で、今回の目玉は茅根市尖石縄文考古館から特別展示の国宝土偶「仮面の女神」「縄文のビーナス」です。

20150504b善光寺から歩いてすぐ、午前9時すぎに入館。開館直後で見学者は少なく、音声ガイドを借りてじっくり見ることができました。

お目当ての「縄文のビーナス」(券面写真右、右側の土偶)は、茅野市・棚畑遺跡から出土した縄文中期(5000年前)の土偶です。頭頂部が平らで渦巻模様が描かれ、顔の表現(切れ長でつり目、尖った鼻に針で刺したような鼻孔、おちょぼ口)は八ヶ岳山麓の縄文土偶に共通する特徴で、このことから甲府~長野に同一の文化圏が広がっていたと推測されています。
つまみ出された乳房、大きく張り出した腹と尻で身籠もった女性(生命)を表し、雲母を混ぜて焼くなど、縄文全盛期の人々の「生命」への祈りを伝える土偶で、縄文遺物として初めて国宝に指定されました。

「仮面の女神」(同、左側の土偶)は、茅野市・中ッ原遺跡から出土した縄文後期(4000年前)の大型土偶です。逆三角形の仮面をつけ、体に衣服のような模様(渦巻きや円)が描かれ、目や鼻・口は小さな穴で表現されています。縄文衰退期に当たり、死者の顔に仮面状の土器を被せた埋葬例が多いことから、人々の「死からの蘇生」の祈りを伝える土偶と考えられています。

土偶の知識はありませんが、数千年前の人々の息吹に触れて感動しました。
この後、再び善光寺に戻って史料館を見たり、参道でお土産を買ったりして、午前11時ころ善光寺を後にしました。
次は、上信越道を北上して県北の飯山市へ向かいます。

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2015/05/03

信州・善光寺の御開帳

GWを利用して、妻と善光寺~信州の美術館を訪ねました。

20150503善光寺は、皇極天皇の644年に開創された無宗派の寺で、仏教伝来時に百済から伝わった一光三尊阿弥陀如来を祀っています。本尊は秘仏ですが、七年に一度、57日間だけ、本尊の代わりに前立本尊が御開帳されます。

今年は御開帳の年(4/5~5/31まで)。混雑を避け、白々と夜が明けた午前4時すぎに現地入りしました(すでに駐車場には長い列ができていて驚きました)。

「お朝事」(朝の法要)は午前5時半からですが、その前に「お数珠頂戴」の列に並びます。「お朝事」に出仕する導師から数珠で頭を撫でてもらい功徳を頂こうと、たくさんの人が並んでいます。これは説法の一つで「身業説法」(行動で仏の道を説くこと)だそうです。
午前5時すぎ、山内寺院の大勧進(天台宗)から導師を勤める貫主さまが出発。最前列でお数珠を頂きました。

「お朝事」が行われる本堂に移動。御開帳のシンボル「回向柱」に触れてから、本堂内陣で前立本尊に参拝します。こちらも列に並びましたが、途中で「お朝事」が始まり、畳敷きの内陣に入れたのは午前6時すぎ。畳に座ってしばし前立本尊に参拝。「お朝事」の途中で、秘仏本尊を祀る瑠璃壇(左奥)の戸張が上げられ、金色の厨子を拝観することができました。

次は「お戒壇巡り」です。秘仏本尊の真下にある「極楽の錠前」に触れることで仏の世界に近づく「行」の一つで、かつては経帷子に草鞋、念珠を持って念仏を唱えながら巡ったそうです。
列に並び、午前7時すぎにいよいよ瑠璃壇の下へ。穴の中は真っ暗闇で、無差別平等の世界を表しています。何も見えないので、錠前を懸命に探すことで雑念から解放されます。出口の光が見えた時、改めて光のありがたさを感じました。なるほど「行」とされる意味が少し分かったような気がします。

最後に「御印文頂戴」の列に並びます。所願成就と極楽往生の結縁の証とされる印を頭に押してもらう儀式です。列に並んで待つ間、寺務所の人が面白く説明してくれました。何でも閻魔さまはこの印文が押された人を地獄に落とす訳にはいかないのだとか。
午前8時、印文が始まり、一人ずつ順番に妻戸台の前に立って、白蓮坊の住職さまから頭に御印(龍宮の金で作られているとの伝)を押して祈願して頂きました。

20150503b山門拝観(別料金)まで終えたところで午前8時半。このころには回向柱、内陣参拝、お戒壇巡りに長い列ができていました(写真は、山門から見た表参道方面)。公式発表によると、午前9時現在の待ち時間は回向柱120分、内陣参拝150分、お戒壇巡り150分、御印文頂戴0分、山門拝観15分だったようです。

山門から裏通りに入り、釈迦堂まで散策。釈迦堂の前にも小さな回向柱が立ち、たくさんの人が参拝していました。人で溢れる参道に戻り、土産物店で名物を覗いたり、お土産を物色して午前9時ころまで時間調整。

次は、歩いて善光寺の東隣にある城山公園へ移動します。

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