八戸・加賀美流騎馬打毬
中日、夜間山車運行までの間、長者山新羅神社で行われた「騎馬打毬」(県無形民俗文化財)を見学。
新羅神社の騎馬打毬は、八戸藩八代藩主南部信真公(1780-1847)が、文政十年(1827)、南部家の祖・新羅三郎義光(源義光)を祀る新羅神社の社殿改修を祝い、桜の馬場で奉納したのが始まりです。
試合は、紅白4騎ずつに分かれ、毬杖(ぎっちょう)で毬をすくい、敵をかわしながら、自軍の毬門(ゴール)に投げ込み、先に4毬を入れた組が勝ちになります。
ゴールは見定め奉行が判定し、紅なら鐘、白なら太鼓を打ち鳴らします。勝ち組は凱旋門から退場し、敗け組は下馬して徒歩で退場します。
どちらかが1毬先取すると、俄然試合が面白くなります。先取した組は相手を妨害できるようになるので、相手のシュートを阻止したり、毬を取り合ったり、紅白入り乱れての混戦となります(中の写真)。
この日は、狩り装束の笠が交通渋滞で間に合わず、1回戦を急遽鉢巻きで行うハプニングがありました(主催者から、本来の姿でないことから写真掲載につき自粛要請があったので、掲載しません)。
打毬の起源は古く、紀元前6世紀にペルシャで発祥し、西洋に伝わったものがポロとなり、シルクロードで唐から日本に伝わったものが打毬となりました。
現在、国内で行われているのは、八戸のほか、豊烈神社の打毬(山形)、宮内庁です。南部馬の産地だった八戸ですが、南部馬は途絶えてしまったので、日本在来種の馬(北海道和種=どさんこ)を使っています(他の2か所はサラブレッド)。
今回、本番前に、少しだけ打毬を体験。実際に毬杖を手にすると、長さが七尺五寸(2.27m)もあって重く、片手で扱って重い毬をすくい、落とさないように操りながら遠投するのは至難の技で、数回投げただけで右腕が痛くなりました。
貴重な体験をさせていただいた八戸騎馬打毬会の皆さん、ありがとうございました。
騎馬打毬は3回戦行われます。各戦の合間には、もう一つの打毬、馬に乗らない「徒打毬」が披露され、こちらは地元の高校生が熱戦を繰り広げました。
この日は、隣り合った地元の若い奥さんが成田出身だったり、さらに並んだフリーのプロカメラマンさんが八街の人だったりと、八戸なのに千葉人ばかりで大笑い。しばし千葉の話で盛り上がりました。
この後、いったんホテルに戻り、夜の山車合同運行に備えます。
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