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2014/08/31

松戸・モンゴル相撲

妻と流鉄に乗って、松戸市・横須賀中央公園で行われた「モンゴル相撲」(ブフ)を見に行きました。

20140831この日は、第1回松戸場所と銘打って、日本在住の内モンゴルの人々で作るモンゴル・ブフクラブにより、内モンゴル式の「ウジュムチン・ブフ」が披露されました。

ルールは、足の裏以外を地に着けた方が負け。下半身と首飾り以外は掴んでもよく、足技もOKです。土俵はなく、時間制限もありません。

試合は、飛び跳ねながら入場し(獅子の舞)、トーナメント形式で、民族衣装の行司(ヒャナグチ)が勝敗を判定します。力士の正装は、鋲の付いた革ベスト(ゾドグ)、白いひだのズボン(バンジル)、膝当て(トーホー)とブーツ(ゴタル)です。歴戦の勝者には、鮮やかな首飾り(ジャンガー)が許されています。

勝者は、飛び跳ねた(獅子の舞)後、観客に飴(イデー)を投げ、これを食べると強く育つと云われています。

【この日の進行スケジュール】
13:00~ モンゴル相撲
開会→モンゴル民謡・馬頭琴→トーナメント戦→民族衣装披露→決勝→表彰式
16:00ころ 終了

【メモ】
モンゴルの格闘技「ブフ」は、地方ごとにルールや番付、衣装に違いがある。かつては勝負がつくまで取り組んだが、最近では本国でも室内競技化され、円の土俵で20分程度の時間制限を設けることが多いとのこと。力士の多くはテコンドーや柔道の入賞経験者で、上位同士の試合は互いに真剣で大迫力だった。
見物人は多く、カメラマンも十数名と多数。会場(横須賀中央公園)に駐車場なし(流鉄小金城趾駅から徒歩5分。流鉄はスイカ等のICカード未対応なので注意)。
いろいろ教えて頂いたモンゴルの皆さん、ありがとうございました。

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2014/08/22

千葉・妙見大祭(だらだら祭り)2

千葉神社で行われた「妙見大祭」(だらだら祭り)の最終日を撮影。

201408228月16日に始まった八八八回目の妙見大祭。

最終日は、御仮屋で一週間過ごした妙見様の神輿が千葉神社に還御する「宮入り」です。
氏子各町を巡行し、途中、最後の院内町に引き継ぐ際に行われる「神輿改め」や、香取神社で鳳凰を外す「奉幣祭」が行われます。

宮入りでは、千葉神社境内での激しい揉み差しや、限られた担ぎ手による社殿内での「昇殿勇め」が見どころです。

その後、社殿と境内の灯りが消され、「御霊返し」が行われます。暗闇の中、妙見様が本殿へ遷り、一週間続いた長い祭りが終わりました。

【この日の進行スケジュール】
14:00~ 御仮屋発
市場町→町内巡行→神輿改め→香取神社(神事執行)→千葉神社
19:00~ 宮入り
19:15~ 召立之儀→昇殿勇め
19:30~ 御霊返し
20:00ころ 終了

【メモ】
初日の宮出しを見た以上、最終日の宮入りも見なきゃなんめえ…ということで出かける。御仮屋から、大太鼓・お囃子・猿田彦の先導で、往路と異なる巡路で渡御。沿道から各町の人々が声援を送り、初日より若衆の気合いが入っていて面白い。
「神輿改め」は神職の短い儀式のみ。香取神社前で鳳凰を外し、奉幣祭の後、千葉神社へ宮入り。境内で激しく揉み差しした後、「召立(めしたて)之儀」で名前を呼ばれ「月星紋」の鉢巻きを授けられた氏子だけが担いで社殿内に入り、「昇殿勇め」で最後の揉み差し。見物人も近くで見られるが、神職曰く「神輿が突っ込んで来たら担ぎ手を押し返して。自分の身は自分で守ること。」なので自己責任。最後の「御霊返し」は完全に遮蔽されて何も見えない。灯りが消えている間に願をかけるとかなうと云われ、暗闇の中、たくさんの人々が祈っていた。見物人は多数、カメラマンはTV局ほか十数人。
この日は引き続きDf+単焦点のみで撮影。不便だが軽装備で撮り歩けるのと、夜でもノーストロボで撮れるのがいい。35mm F1.8G EDを新規投入。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2014/08/20

千葉・夕星の祭典

千葉市のポートパークで行われた「夕星の祭典」を撮影。

20140820寒川神社の例大祭(毎年8/20)では、夕刻から神輿の御浜下りが行われます。

寒川の御浜下りは、もとは千葉神社の妙見大祭(毎年8/16~22)の期間中、8/20に寒川の氏子が妙見様の神輿を担いで町内を回り、妙見州で大漁祈願したのが始まりです。
江戸期から戦前まで続き、寒川では「妙見様が海に入らないと漁にならない」と云われていました。

妙見様の御浜下りは戦時中に中断し、戦後は地元寒川神社の神輿により御浜下りが再開。出洲の沖に立っていた大鳥居まで神輿が海に入りました。
昭和30年代の高度経済成長期に付近一帯の海が埋め立てられ、寒川の御浜下りも途絶えました。

長い中断の後、平成11年、氏子の皆さんの熱意で、かつての出洲に近いポートパークの人工海浜での御浜下りが復活。「夕星の祭典」として年々賑やかに行われています。

【この日の進行スケジュール】
18:00~ 巫女舞(豊栄の舞、浦安の舞)
18:30~ 安全祈願祭
18:40~ 御浜下り
19:00ころ 終了

【メモ】
かつては妙見大祭の中で行われた寒川の御浜下り。現在は、寒川神社の祭礼に受け継がれている。神輿は、日中、当番町内(今年は港町、寒川一・二・三)を渡御し、トラックに奉載してポートパークへ到着。巫女舞が奉納された後、安全祈願祭。その後、大太鼓が響く中、神輿が海に入る。腰ほどの深さで揉んだ後、時々両手で高々と差し上げる。2回ほど海に入って終了(開始時刻や方法は年番町により異なるとのこと)。千葉市地域文化財。
平日だったが見物人は多数で、カメラマンも老若男女数え切れないほど多い。駐車場はポートパークを利用可。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2014/08/16

千葉・妙見大祭(だらだら祭り)

千葉神社で行われた「妙見大祭」(だらだら祭り)の初日を撮影。

20140816千葉神社は、大治元年(1126)、千葉常重が亥鼻に居館を築いた時、信仰する妙見菩薩(妙見様)を北斗山金剛授寺に奉安し、明治に千葉神社と改称して北斗妙見に通ずる天御中主命を祀っています。

妙見大祭は、大治2年(1127年)旧暦7月16日~22日、妙見様を鳳輦に移し亥鼻城に招いて祭礼を執り行ったのが起源です。江戸期は、大鉾と五尺の大太鼓が神輿を先導し、御舟(千葉舟と結城舟)、人形山車や踊り屋台が供奉する盛大な行列でした。20日には寒川で御浜下りが行われ、「妙見様が海に入らないと漁にならない」と云われました。
明治中期に祭礼日を8/16~22と改めました。戦時中も神事は途切れることなく行われ、今年で祭歴は888回です。猿田彦、御旗鉾と大太鼓が神輿を先導し、二段打ちで叩く大太鼓の音が「だらん、だらん」と聞こえるので「だらだら祭り」とも呼ばれています。

【この日の進行スケジュール】
10:00~ 祭典(1F金剛殿)
11:20~ 御鉾旗奉納祈願祭
12:15~ 神輿発御勇め
12:30~ 宮出し
千葉神社→香取神社(神事執行)→町内巡行→御仮屋(市場町)
17:30~ 巫女舞奉納など(2F北斗殿)
19:00~ 御仮屋

【メモ】
初日は宮出し(御霊遷しは8/15夜)。宮出しでは、神輿が正門でなく脇門から町に出る。まず小さな香取神社に立ち寄り、奉幣祭の後、初めて屋根に鳳凰を取り付ける。もともと香取神社の領域に後から千葉神社ができたので、香取神社に敬意を表する古いしきたりとのこと。町境では神輿受渡しが行われ、各町氏子が自町内を担ぐ。市場町の御仮屋で六日間駐泊するが、8/22の宮入りまで特に行事はなし。
見物人は多数でカメラマンは十数人。神社に駐車場なし(JR千葉駅から徒歩10分)。
この日の機材はDf+単焦点。シャッターチャンスが目まぐるしく変わる祭事はレンズ交換の暇がなく、単焦点だと撮りにくい。ズームでなく自分が動いて画角を調整するのは久々の感覚で楽しかった。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2014/08/03

八戸・根城

最終日、午後の「お還り」までの間、史跡「根城」(ねじょう)へ。

20140803根城は、建武元年(1334)に南部師行が築いた城(居館)跡です。

南部氏は、甲斐国を拠点とした鎌倉幕府の御家人でした。南北朝期、南朝方の北畠氏が陸奥国司として下向する際、国代としてともにこの地に移り、根城を拠点としたので「根城南部氏」と呼ばれます。

中世の城なので、柵や板塀をめぐらせた簡素な館で、近世のような天守閣や石垣はありません。発掘調査をもとに、当時の主殿など数棟が正確に復元され、中世の城としては唯一日本100名城に選ばれています。

上の写真は、主殿の広間で正月11日に行われる新年儀式の再現です。右列奥から城主・南部政栄公、家臣の新田氏、田中氏、岡前氏。鎧武者は年男です。

20140803c馬屋の再現では、繋いだ馬の模型がなぜか躍動的…。ボランティアガイドさんによれば、三社大祭で使った山車飾りを寄贈してもらったものだそうです。なるほど。

隣の八戸市博物館では、ちょうど「八戸藩開藩350年記念特別展・八戸と9人の藩主」展を開催中。南部氏の歴史や勢力図がよく分かりました。私的には、民俗展示のオシラサマ(家の神信仰)や八戸えんぶりなど、東北地方ならではの芸能が興味深かったです。

この後、いったんホテルに戻り、午後の「お還り」に備えます。

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2014/08/02

八戸・三社大祭(中日)

騎馬打毬からホテルに戻り、小休止の後、夜は山車合同運行を撮影。

20140802d夕方6時、市庁前からライトアップした山車が次々に出発します。

昼間とは違う幽玄な雰囲気で、灯りが入った巨大な山車が何台も続くのは圧巻。日本一の山車祭りと称するだけあります。途中、からくりが展開すると、沿道から大きな拍手と歓声が上がりました。

上の写真は、最優秀賞の吹上山車組。テーマは「赤鍾馗」で、端午の節句でお馴染みの邪気を払う赤鍾馗をはじめ、桃太郎、坂田金時、弁慶牛若丸、豊臣秀吉、加藤清正らを配し、その周りで親が子どもたちの健やかな成長を願い見守っています。
山車の背(バッタンコ)に描かれた矢車が発光しながら回転する仕掛けで、見物客は大喜びでした。ちなみに、吹上山車組は新羅神社の氏子で、8年連続の最優秀賞です。

20140802e優秀賞は、鍛冶町附祭若者連「義経興亡記」と吉田産業グループ山車組「吉兆」の2台でした。
左の写真は、鍛冶町の「義経興亡記」。源平合戦を得意とする町会で、上段(主役)に一ノ谷で勝利した馬上の義経、中段(ステージ)に読経で調伏する弁慶、その右(引き出し)に壇ノ浦で入水した安徳天皇を抱く二位の尼、左(引き出し)に平知盛の亡霊を描いています。

多くの山車には、背面に「見返し」という小さな舞台がしつらえてあり、こちらも手抜かりなく作られています。
下の写真は、長横町粋組の山車「招福七福神」の見返しです。正面の山車飾りで豊年満作を願い、見返しに豊作を願う「八戸えんぶり」を描いています。

20140802f「えんぶり」は、毎年2月、その年の豊作を祈願して長者山新羅神社で奉納されます。太夫(舞手)が馬の頭を象った烏帽子を被り、農耕の所作を模して舞う予祝行事で、国重要無形民俗文化財です。

この日は、お孫さん連れの地元の老夫婦ご一家と知り合い、楽しく撮影。親類が千葉市にいるそうで、八戸や三社大祭のことをいろいろ教えてもらい、「2月のえんぶりにもぜひいらっしゃい。孫も出るから。」と誘っていただきました。

夜9時、合同運行が終了。近くの中華食堂にて八戸らーめんと生ビールの夕食。醤油ベースに煮干しの出汁で復刻したご当地ラーメンで、市内の何店舗かで食べることができます。さっぱりした素朴な味で、美味しかったです。

この日の撮影は、騎馬打毬が543枚、山車合同運行が289枚。ホテルに戻り、写真をストレージに吸い上げ、機材を充電して翌日の準備をします。
明日は、新羅神社からおがみ神社へ還御する「お還り」です。

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八戸・加賀美流騎馬打毬

中日、夜間山車運行までの間、長者山新羅神社で行われた「騎馬打毬」(県無形民俗文化財)を見学。

20140802新羅神社の騎馬打毬は、八戸藩八代藩主南部信真公(1780-1847)が、文政十年(1827)、南部家の祖・新羅三郎義光(源義光)を祀る新羅神社の社殿改修を祝い、桜の馬場で奉納したのが始まりです。

試合は、紅白4騎ずつに分かれ、毬杖(ぎっちょう)で毬をすくい、敵をかわしながら、自軍の毬門(ゴール)に投げ込み、先に4毬を入れた組が勝ちになります。
ゴールは見定め奉行が判定し、紅なら鐘、白なら太鼓を打ち鳴らします。勝ち組は凱旋門から退場し、敗け組は下馬して徒歩で退場します。

どちらかが1毬先取すると、俄然試合が面白くなります。先取した組は相手を妨害できるようになるので、相手のシュートを阻止したり、毬を取り合ったり、紅白入り乱れての混戦となります(中の写真)。

この日は、狩り装束の笠が交通渋滞で間に合わず、1回戦を急遽鉢巻きで行うハプニングがありました(主催者から、本来の姿でないことから写真掲載につき自粛要請があったので、掲載しません)。

20140802c打毬の起源は古く、紀元前6世紀にペルシャで発祥し、西洋に伝わったものがポロとなり、シルクロードで唐から日本に伝わったものが打毬となりました。
現在、国内で行われているのは、八戸のほか、豊烈神社の打毬(山形)、宮内庁です。南部馬の産地だった八戸ですが、南部馬は途絶えてしまったので、日本在来種の馬(北海道和種=どさんこ)を使っています(他の2か所はサラブレッド)。

20140802b今回、本番前に、少しだけ打毬を体験。実際に毬杖を手にすると、長さが七尺五寸(2.27m)もあって重く、片手で扱って重い毬をすくい、落とさないように操りながら遠投するのは至難の技で、数回投げただけで右腕が痛くなりました。
貴重な体験をさせていただいた八戸騎馬打毬会の皆さん、ありがとうございました。

騎馬打毬は3回戦行われます。各戦の合間には、もう一つの打毬、馬に乗らない「徒打毬」が披露され、こちらは地元の高校生が熱戦を繰り広げました。

この日は、隣り合った地元の若い奥さんが成田出身だったり、さらに並んだフリーのプロカメラマンさんが八街の人だったりと、八戸なのに千葉人ばかりで大笑い。しばし千葉の話で盛り上がりました。

この後、いったんホテルに戻り、夜の山車合同運行に備えます。

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2014/08/01

八戸・三社大祭(お通り)

青森県八戸市に遠征して三社大祭を撮影。

東北新幹線で上野→八戸まで2時間40分、さらにローカルな八戸線に乗り換えて本八戸に13時ころ到着。

20140801お目当ての八戸三社大祭(国重要無形民俗文化財)は、毎年8月1~3日に行われるおがみ神社と新羅神社の祭礼で、明治期に神明宮が加わり三社となりました。
初日は、おがみ神社の神輿が新羅神社へ渡御する「お通り」が行われます。

15時、市庁前から「お通り」開始。神明宮、おがみ神社、新羅神社の神輿が、それぞれ氏子の供奉芸能と山車を伴いゆっくり進みます。
山車は、豪華絢爛な山車飾りを満載し上下左右に展開する巨大なからくり山車です。もとは人形1~2体を載せた小さな屋根付き山車だったそうですが、明治後期に各町が競って大きな山車を作るようになり、現在のように巨大化しました。上の写真は、新荒町附祭若者連の山車でテーマは「鈴鹿御前」(一部分)。迫力ある飾りは発泡スチロール製で、毎年テーマを決めて作り替えるというから驚きです。

20140801b●神明宮の行列
供奉芸能:南部駒踊(県無形民俗文化財、左の写真)
山車:7台(廿六日町山車組、新荒町附祭若者連、上組町若者連、根城新組山車組、賣市附祭山車組、吉田産業グループ山車組、白山台山車組)

20140801c●おがみ神社の行列
供奉芸能:法霊神楽「権現舞の一斉歯打ち」(県無形民俗文化財、右の写真)、笹の葉踊、虎舞
山車:11台(十一町龍組、塩町附祭組、下大工町附祭、下組町山車組、内丸親睦会、柏崎新町附祭、淀山車組、城下附祭、新井田附祭振興会、青山会山車組、朔日町附祭)

●新羅神社の行列
供奉芸能:虎舞、武者押し
山車:9台(八戸市職員互助会、吹上山車組、八戸共進会山車組、糠塚附祭組、長横町粋組、六日町附祭若者連、類家山車組、十六日町山車組、鍛治町附祭若者連)

20140801d山車は「ヤレヤレヤレ」のかけ声で引き子に曳かれ、笛吹きが前を歩きます。山車に乗るのは、大太鼓打ち1人と小太鼓打ち5人(左の写真)。お囃子は比較的単調です。
27台の山車は、巡行中、次々とからくりを展開し、沿道から大きな歓声と拍手が送られます。最後尾は華屋台が舞納め、19時ころ終了しました。

この日は、時折、ゲリラ雨に降られましたが、撮影現場で知り合った地元写真館ご亭主に祭りのことを詳しく教えてもらいながら楽しく撮影。しばしお国の祭り談義で盛り上がりました。

ホテルに戻り、雨に濡れた機材の手入れと写真をストレージに吸い上げ、翌日の撮影に備えます。撮影枚数は307枚でした。
明日は、長者山新羅神社で神事と、夜の山車合同運行です。

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