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2014/05/25

横浜・旧横浜商工奨励館

日本大通沿いにある旧横浜商工奨励館は、大正12年(1923)の関東大震災で焼失した米領事館の跡地に、横浜の復興と発展を願い、昭和4年(1929)に建設されました。

201405254階建ての建物は、ルネッサンス様式に和風デザインを取り入れた、代表的な復興建築(関東大震災復興期の建築物)として横浜市歴史的建造物に認定されています。

かつては1~2階が輸出製品の陳列所、3~4階が商工業団体の事務室として使われました。昭和50年(1975)に閉館後は長く放置されていましたが、平成12年、高層の新館とともに横浜情報文化センターとして生まれ変わりました。

3階には旧貴賓室があります(写真はリコーGRで撮影)。昭和4年4月23日、関東大震災後の行幸で来浜した昭和天皇が休憩に使用した部屋で、装飾金物と照明器具は当時の物が残っています(天井画は復元)。

日本大通は、レトロな建築が連なっています。もとは明治初期に旧外人居留地を区分する街路と防火帯を兼ねて計画された街路で、日本近代街路発祥の地です。街路の設計は、明治政府が招いた英国人技師R.H.ブラントン。千葉では、銚子の犬吠埼灯台を設計した人として知られています(無理やり千葉つながりですが)。

この日は、メモ撮り用に新規投入したリコーGR Limited Editionの試し撮りを兼ね、妻と横浜市内を散策。久々のコンデジですが、APS-Cで28mm単焦点、親指AFが使える数少ない機種で、街歩きにいい感じです。

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2014/05/18

笹本恒子100歳展

横浜の日本新聞博物館で開催中の「日本初の女性報道写真家・笹本恒子100歳展」に行ってきました。

20140518笹本氏は大正3年(1914)東京生まれ。昭和15年(1940)、東京日日新聞を皮切りに報道写真の世界に入り、現在もフリーで取材・執筆活動を続ける現役のフォト・ジャーナリストです(日本写真家協会名誉会員)。

この写真展は、氏が百歳を迎えるのを記念して、戦中~戦後の日本を撮った写真134点を展示しています。

展示は4部構成(1章「明治生まれの女性たち」、2章「あの時代、あの人」、3章「笹本恒子が見た時代」、4章「いつまでも現役、笹本恒子の今」)で、まだ女性の社会的地位が定まっていなかった時代、女性の視点で時代を記録し続けた氏の活動を振り返っています。

報道写真家なので現役時代には各界の著名人を撮影した写真が多いですが、近年はフランスで芸術家の集う老人ホームを取材するなど、老いをテーマにした活動もされています。
氏の写真は、戦中、終戦直後、安保闘争や労働争議の時代、平成と、時代の中で常にたくましく生きる女性たちの姿を写し込んでいて、興味深かったです。

千葉とのつながりでは、終戦後、疎開先の千葉で千葉新聞社に勤めたり、平成8年(1996)には千葉の女流俳人・鈴木真砂女を撮ったりしています。

この写真展は、日本新聞博物館で6月1日(日)まで開催中です。

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2014/05/11

101年目のロバート・キャパ展

東京都写真美術館で開催中の「101年目のロバート・キャパ」展に行ってきました。

201405112014年はキャパことアンドレ・フリードマンの生誕101周年です。

戦場写真家としてあまりにも有名なキャパですが、この写真展は、挫折や失意を乗り越えながら生きた一人の青年写真家ボブ(キャパの愛称)にスポットを当てた展示になっています。

戦乱の中、力強く生きる人々を撮った作品がメインで、これまでのキャパ展と異なり、青年写真家ボブの視点に重点を置いた独自の構成を試みており、とても興味深かったです。

会場にはキャパの最後のカメラ(Nikon S)も展示されていました。
インドシナ戦争を取材中、死の直前まで使っていたカメラで、ボディやレンズには泥がついたまま。キャパの息遣いまで聞こえてきそうでした(東京での公開展示は16年ぶりだそうです)。
他にも愛用カメラと同型のCONTAX、Leica、Rolleiflexが展示されています。

私にとって、キャパの写真展は、趣味とはいえ自分の写真との向き合い方を反省させられる良い機会になっています。

この写真展は、東京では本日(5月11日)まで。次は九州芸文館で8月2日~9月15日までの開催です。

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2014/05/05

群馬・富弘美術館

足尾銅山から草木湖畔の富弘美術館へ。

20140504c富弘美術館は、花の詩画家として知られる星野富弘氏の作品を集めた小さな美術館です(右は美術館のパンフレットから引用)。

氏は、昭和21年(1946)旧東村に生まれ、大学では器械体操や登山で活躍。中学教師となって体操部を指導しますが、練習中の事故で四肢麻痺となりました。

絶望のどん底から、真の愛情と生きる希望を見つけ、口に絵筆を咥えて詩画を描き始めます。
水彩で描いた草木に優しい言葉を添えた作品は、見る人の感動を呼んで話題となりました。

美術館は、円形の展示室をつなげた珍しい構造で、日本建築学会作品賞の建物。

20140504d訪れた時は、春の特別展「富弘さんの青春」(2/25~6/22)を開催中。89点の作品に添えられた言葉が、すっと心に染み渡り、出るときには穏やかな気持ちになっていました。

文字どおり「やさしさにいつでも逢える」美術館でお勧めです。季節ごとに展示替をするそうなので、他の季節に再訪したいと思いました。

帰りは再び桐生に立ち寄り、老舗の鰻屋さんで早めの夕食。食後に天満宮を散策して帰路につきました。東北道の渋滞に巻き込まれましたが、午後8時すぎに帰宅。歴史と芸術に触れ、美味しい食に恵まれた満足度の高い旅となりました。

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2014/05/04

栃木・足尾銅山

GWに妻と桐生~足尾へ出かけました。

20140504a外環~東北道~北関東道で桐生市内へ。重伝建地区のベーカリーでブランチの後(地井武男さんのサインが飾ってありました)、R122を渡良瀬渓谷に沿って北上。新緑が映える草木湖を過ぎ、しばらく走ると足尾です。

足尾は、かつて銅山で栄えた町です。
江戸初期に農民が鉱床を発見したのがきっかけで、御用鉱山として開発されました。鋳銭座(銅銭の鋳造所)が置かれ、俗に「足尾千軒」と言われるほど栄えました。

明治初期に民営化され、製錬所が併設されて富国強兵の時代に大いに発展しましたが、明治中期に渡良瀬川が氾濫して製錬廃棄物が下流域を汚染(足尾鉱毒事件)。昭和48年に閉山するまで、掘られた坑道は総延長1234km。まさに日立(茨城県日立市)、別子(愛媛県新居浜市)と並ぶ日本の大銅山でした。

現在,坑道跡は足尾銅山観光として一部(通洞坑)が公開されています。
上の写真は,通洞坑に入って来たトロッコ列車(Nikon Df、ISO12800でノーストロボ撮影)。見学コースは、坑道内でトロッコ列車を降り、徒歩で江戸期~昭和期へと採掘作業の変化を見学しながら地上に戻ります。

20140504b坑道内では、切羽・運搬・採掘の様子がリアルな人形で再現され、出口のシアターではCG(約8分)で銅山の歴史がよく分かります。

この他にも、周辺には銅山の産業遺産が点在し、廃墟マニアには見逃せないスポットになっています。

私と妻は廃墟マニアでないので、足尾でUターンして南下し、草木湖の富弘美術館を目指します。

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