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2013/03/30

香取・返田の壱萬燈祭

香取市(旧佐原)・返田地区で行われた「壱萬燈祭」を撮影。

20130330毎年3月最終土曜日の夜、地区の鎮守・返田神社の境内で、獅子神楽と余興演目が奉納されます。

獅子神楽は、「小牧の舞」「剣の舞」「幣の舞」「くるい」の4演目が演じられています。
江戸時代に信州から伝わったと云われ、長く途絶えていましたが、昭和55年に復活。

余興は、「鬼」「鍾馗大神」「医者と看護婦」「鳥刺し」「万才」「おかめ」の演目が伝えられています。

提灯の薄明かりの中、境内に筵(とブルーシート)を敷いた舞場で、返田区芸能保存会の皆さんが演じています。
周囲には地区の皆さんによる屋台が出ます。

【この日の進行スケジュール】
18:00~
お囃子(馬鹿囃子→砂切→道→さんば)
神楽(小牧の舞→剣の舞→幣の舞)
踊り(あんば・大漁節・船頭小唄・吉野・佐原小唄・ラッパ節・大杉アンバ)
神楽(くるい)
余興(鬼→鍾馗大神→医者と看護婦→鳥刺し)
神楽(幣の舞)
20:30ころ 終了

【メモ】
獅子神楽の「小牧の舞」と、鳥の所作のような「くるい」は、房総の他地域で見かけない舞型で興味深い。踊りは、本来は囃子に合わせて婦人方が踊ったと思われるが、現在は踊り手がおらず、囃子の演奏のみ。余興は、「万才」と「おかめ」を除く演目が披露された。青鬼役や獅子の胴布持ちを、地区の子供たちが演じている。鳥刺しのこっけいな踊りに子供たちが飛び入りで参加したりと、ムラ祭りの面影を残したいい祭りで楽しかった。
見物人は地元の皆さんが多数、カメラマンは6人。神社に駐車スペース数台。反省点は、レンズの選択ミス。広角と標準のレンズで臨んだが、思ったより舞場が広く、長玉でアップを狙うのもよかったかも。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

(2015.3.28追記)壱萬燈祭は2014年を最後に廃絶し、現在は3月最終日曜日の10:00ころから神楽舞のみが奉納されています。

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2013/03/20

キャパとタロー、二人の写真家展

横浜美術館で開催中の「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー、二人の写真家」展に行ってきました。

20130320キャパといえば、世界的に有名な報道写真家です。
この「キャパ」という写真家が、初めはハンガリー生まれのアンドレ・フリードマンとドイツ人女性のゲルダ・タローが二人で考え出した架空の人物だったことは、あまり知られていません。

ヨーロッパに第二次大戦への足音が近づく1930年代、無名の二人の報道写真家は、迫害から逃れたパリで知り合います。スペイン内戦の取材を通じて、お互いに欠かせないパートナーとなりました。
二人は、自分たちの写真を売り込む策として、アメリカ人の売れっ子写真家「ロバート・キャパ」なる人物を創り出します。この方法は成功し、やがてフリードマン自身が「キャパ」として活動するようになり、タローも独立した写真家として成功しました。

ところが、二人が出会ってわずか5年後、タローはスペイン内戦の取材中、27歳の生涯を閉じます。キャパは大きなショックを受け、その作風を大きく変えたと云われています。その後、キャパは、第二次大戦で各戦線を取材し、大戦後のインドシナ戦争で取材中に地雷を踏んで落命しました。タローの死から17年が経っていました。

今回の写真展は、キャパことフリードマンの生誕百周年を記念して、国内でも有数のキャパ・コレクションを持つ横浜美術館が、知られざるタローの作品とともに、二人の個展として開催しています。
二人の個性と作風がよく分かり、とても見応えのある写真展になっています。
キャパの名作「崩れ落ちる兵士」も展示されています。コルドバ戦線で撃たれた兵士を撮った瞬間とされますが、実は丘で足を滑らせた兵士をタローがローライフレックスで撮ったとも云われる謎の多い作品で、とても興味深かったです。

この写真展は3月24日(日)まで開催中です。

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2013/03/07

ロンドン・街中あれこれ

ロンドンの街なかで見かけたものを備忘録。

20130307夕暮れのトラファルガー広場。
ナポレオン戦争の帰趨を決したトラファルガー海戦(1805)の勝利を記念した広場で、ロンドンのほぼ中心にあります。
高さ51.5mの塔の先端に立つのは、海戦を指揮して勝利を導きながら敵弾に倒れたネルソン提督の銅像です。
台座の四方に提督が戦った海戦を描いたレリーフ板が飾られています。ちなみに、この金属板は仏軍の大砲を鋳つぶして製作したものだそうです。
イギリス人にとってネルソン提督は祖国を救った英雄です。日本では、提督より台座の周りに鎮座しているライオン像(三越がモデルにした)の方が有名かも知れません。

20130307b近衛騎兵隊司令部前の衛兵さん。
歩兵隊の衛兵は赤い軍服に黒いフサフサ帽ですが、こちらの騎兵隊は金ぴかのヘルメットが特徴です。
赤い軍服(ライフガーズ連隊)と青い軍服(ブルーズ&ロイヤルズ連隊)があって、創設の歴史が違います。写真の衛兵は、正装用外套を着たライフガーズ連隊です。観光客から話しかけられようが、並んで写真を撮られようが、まったく無表情で微動だにしません。
でも、よーく観察していると、最後の観光客が写真を撮り終わると大急ぎで反転して交代に戻ってましたから、観光客が撮り終わるまで待っていてくれたんだと分かり、何だか可笑しくなりました。

20130307cテームズ川畔に立つ時計台ビッグベン。
国会議事堂でお馴染みですが、もとは1090年にウィリアム征服王が造ったウェストミンスター宮殿です。ウィリアム征服王は、ウェストミンスター寺院を整備し、隣にこの宮殿を造り、政教一致で強大な国造りを目指しました。
世界遺産にも登録された建物は、ロンドン大火(1834)の後、重厚なゴシック様式で再建されたものです。時計台は1859年に設置され、設計者ベンジャミン・ホール卿にちなみ、日本でも「ビッグ・ベン」の愛称で知られています。
今回、滞在中に何度か時報を聞くことができましたが、何とも落ち着いた重厚な鐘の音がロンドン中に響き渡っていました。

20130307d夜のバッキンガム宮殿。
もとはバッキンガム公の邸宅(1703)でしたが、1837年、ヴィクトリア女王が即位して宮殿としました。正面の金色の天使像は、ヴィクトリア女王記念碑です。
実際にエリザベス女王が住まわれており、女王陛下を守る近衛兵の交代式で有名な観光名所です。
宮殿内部は、公式行事に支障がない限り一般公開されていますが、今回は日中も夜も前を通るだけで見学する時間がありませんでした。

20130307eロンドンの地下鉄。
1863年に開業した世界初の地下鉄で、日本では長州藩が外国船を砲撃したり、薩英戦争が起こった年に当たります。当時の技術で地下をくりぬくのは至難の技。なのでトンネルは直径が狭い半円形で、電車もトンネルの形に合わせて曲面形状になっています。
駅も古く、通路や階段、ホームが狭くて大変です。巨大な旧式エレベーターで地上へ昇降する駅も多く、ラッシュ時はえらく混雑します。
路線が多く、どこに行くにも便利で、滞在中はよく利用しました。電車は、背が高い人は車両の中央に立たないと頭をぶつけます。Tube(チューブ)と呼ばれる理由がよく分かりました(笑)。
運賃はゾーン別で、人件費抑制のため、他の公共交通機関と同様、オイスターカードと現金で運賃が倍ほど違います。オイスターは券売機で買えますが、ICチップ搭載のクレジットカードが必須でした(VISA・MASTER・AMEX対応の券売機は多いですが、JCBが使える券売機は少なかったので要注意)。

20130307f最後の写真は、イングリッシュ・ブレークファーストです。
ホテルの朝食は、日本ではトースト、コーヒー、卵の「コンチネンタル」式モーニングがほとんどです。イギリスでは、トースト、紅茶、ベーコンエッグ、ソーセージ、ブラック・プリン(黒い腸詰めスライス)、マッシュルーム、焼きトマト、ジュースがついた「イングリッシュ・ブレークファースト」でした。
朝からお得な気分…と喜んだのは数日だけで、さすがに毎朝となると飽きました。イギリス人の食生活は、昼は軽食、夜も簡単に済ますので、朝食にウェイトが置かれているのかな?
滞在中に見かけなかったのがグリーンサラダ。豆やキノコ、果物は豊富に採れますが、葉物生鮮野菜は大陸からの輸入に頼るのでとても高価とか。日本のように付け合わせにグリーンサラダが出る…なんてことはあり得ず、おかげで滞在中はすっかり野菜不足でした。

今回の旅はこれで終わりです。
仕事で渡航したので、著名な観光地には行けませんでした。また、同じ理由から、撮影機材は持参せず、すべてiPhone4Sとコンデジ(Nikon S3000)で撮影しています。
ロンドンは予想以上に居心地がよく、もう一度、純粋に観光で再訪したいと思いました。

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2013/03/06

ロンドン・ロンドンアイ

20130306b最後に、ロンドンの夜景を見にロンドン・アイへ。

2000年に開業した大観覧車(直径135m)で、透明カプセルのゴンドラからロンドンの街を一望できる新名所として人気です。

乗る前に手荷物検査と金属探知機の厳しいチェックがありました。カプセルに乗ってしまうと、ゆっくりのんびり約30分の空中散歩が楽しめます。
ロンドンには高い建物がなく、美しい夜景を心ゆくまで堪能できます(写真は、テームズ川に架かるウェストミンスター橋と国会議事堂ビッグベン)。

20130306c帰りは、路線バスでホテルへ戻りました。
ロンドンのバス停は、停留所リストと地図が貼ってあり、旅人でも簡単に路線が探せて親切です。ウェストミンスター寺院前の停留所から148系統White City行きのバスに乗り、15分ほどでホテル近くのバス停に着きました(右の写真はバスの2階部分です)。

降車時、オイスターカード(ロンドン版のスイカ)で払おうとしたら、読み取り機に「故障中」の張り紙が…。黒人の運転手に「オイスター使えなくて、どうすんの?」と聞くと、大げさに両手を広げて「どうしようもないさ」と笑います。
車内では現金を扱わないので(現金で乗る場合は事前にバス停の自販機で乗車券を買う方式)、どうしようもないのです。結局、「運賃(£1.35)いらないから」って降ろされてしまいました。

ロンドンでは、公共交通機関は、現金とオイスターカードでは運賃が倍ほども違うので、みんなオイスターを利用します。ただでさえ赤字と云われるロンドンの市営バスなのに大丈夫か?と他人ごとながら心配になりました。

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ロンドン・ウェストミンスター寺院

ロンドン最後の夜、ウェストミンスター寺院へ。

20130306ウェストミンスター寺院は、イギリス国教会の代表的な教会で、戴冠式などの儀式を司る唯一の教会です。

歴史的には、960年にベネディクト派修道院として創建→1065年にエドワード懺悔王がイギリス国教会として改築→1245年にヘンリー3世がフランス流ゴシック様式に改築してほぼ現在の型になりました。
1066年にウイリアム征服王が盛大な戴冠式を行って以来、歴代国王の戴冠式や葬儀が行われています。

戴冠式が行われる主祭壇の奥は、エドワード懺悔王の棺と、その周りに歴代王の棺が祀られた聖廟になっています。
さらにその奥は、最も美しい礼拝堂と云われるヘンリー7世を祀ったチャペルがあり、華麗な天井装飾に溜息が出るほどでした(内部は撮影厳禁なので写真はなし)。

この教会で、2011年4月29日、ウィリアム王子とキャサリン妃のロイヤルウェディングが行われたことは記憶に新しいところです。

隣のウェストミンスター宮殿(現・国会議事堂ビッグベン)とともに世界遺産に登録されています。
水曜日のみ夜間公開(~19時まで)されていて、夜は観光客が少なくゆっくり見学できます。日本語のパンフレットと無料オーディオガイドも用意されていました。

次は、ロンドンアイへ向かいます。

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2013/03/05

ロンドン・コヴェントガーデン

火曜日の夜。待ち合わせの時間までのひとときを、コヴェントガーデンで過ごします。

20130305コヴェントガーデンは、かつての食料市場の跡地で、現在は大きなマーケット・プレースになっています。

中世にウェストミンスター大修道院 (Convent)の野菜畑 (Garden)があったので、この名があります。

映画「マイ・フェアレディ」の中で、ヒギンズ教授が花売り娘イライザ(オードリー・ヘップバーン)と出会った場所として描かれています。実際に、ヘップバーンが野菜を手に歌い踊った場所が残っていて、映画の雰囲気のままでした。

衣料雑貨の露店からブランド・ショップまで、種々雑多な店がたくさん集まっていて、平日の夜にもかかわらず、ロンドンっ子や観光客であふれかえっていました。広場では、演奏家たちの路上パフォーマンスも。

見て歩きの後、カフェのテラスで地ビールを飲みながら街ウォッチング。ヒギンズ教授になりきって「何かビールちょうだい」とオーダーしたら、店員さん、気を利かせてか「アサヒにする?」と…。あー、気持ちは嬉しいんですけどね、せっかくロンドンまで来て日本のビールはねえ。「いや、ロンドンの地ビールね」と答えると、店員さん、今度は「そうこなくっちゃ」と嬉しそうに地ビールのロンドン・プライドを出してくれました(笑)。
見知らぬ外国でひとりでボーッとする時間って、何だか妙に落ち着くんですね、これが。

20130305cさて、この夜は、老舗で知られる高級レストランに連れて行ってもらい、イギリス料理を堪能。
「イギリスに美味い物なし」と云いますが、美味しい料理にはそれなりの金額を払う必要があるようです。日本のように、数百円で美味しい牛丼が食べられる…なんてシステムはないみたい。

いい加減、フィッシュ&チップスに飽き飽きしていたので、久々に美味しい料理を食べて大満足。幸せを感じながら地下鉄でホテルに戻りました。

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2013/03/04

ロンドン・オペラ座の怪人

週明けは、再びロンドン。

20130304夜の空き時間を利用して、本場のオペラを観に行きました。

オペラのチケットは劇場で前売り指定券を買うのが原則ですが、今回は予約なし。そこで街なかのチケット屋さんで当日券を買うことにします。
利用したのは、ガイド本でも有名なtkts(チケッツ)という販売所。キャンセル券や売れ残り席をディスカウントして販売しています。

見たい演目のチケットがあるとは限らなかったり、席が選べないのでリスクはありますが、この日は幸運にも人気の「オペラ座の怪人」のチケットがありました。料金は、£65(9500円位)のところ、£40+手数料£3(計6200円位)でした。正規料金は、東京の劇場でも同じくらいでしょうか?

20130304b劇場はHer Majesty's Theatre(ハー・マジェスティーズ・シアター)です。1705年に女王陛下の劇場として設立された由緒ある劇場で、国王が女→男→女と変わる度、劇場名もHer→His→Herと変わるのが面白いです。

午後7時の開場まで、劇場のバーで軽くお酒を飲みながら談笑して待つのがロンドン・スタイル。開場と同時に入ると、1F中央寄りで舞台と目の高さがちょうどいい席でラッキーでした。

劇のストーリーは、あるオペラ劇場に住む怪人が端役のクリスティーヌに歌を教えます。やがて主役に抜擢されたクリスティーヌは、男優と恋に落ち、嫉妬した怪人が邪魔します。しかし、怪人も最後はクリスティーヌの幸せを願って身を引く…という悲恋物語です。

演じる俳優たちの踊りに見入ったり、マイクなしでシアター中に響き渡る声量に感心したり、舞台装置の規模に驚いたりしているうちに、あっという間の2時間が過ぎました。本場の迫力に鳥肌が立つほど感動…。もうこれだけでロンドンに来た甲斐があったというものです。

20130304c興奮冷めやらぬまま劇場を出ると、あらら、ポスターの前で仮面かぶって怪人ごっこをしている女の子たちを発見(笑)。
あー、あの仮面、劇場のショップで売ってましたよ。買ってくればよかったかなあと、少し後悔…(オフィシャルガイドブックとオリジナル2枚組CDだけ買いましたけど)。

この後は地下鉄でホテルへ戻りました。

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2013/03/03

エディンバラ・ブリタニア号

日曜日の朝、タクシーで北部の港町リースへ。お目当てはブリタニア号です。

20130303ブリタニア号は、第83代のロイヤル・ヨット(英国王室船)で、1953年に就航し、1997年に退役しました。
ロイヤル・ヨットの歴史は、1660年、当時のチャールズⅡ世が建造した帆船メアリー号に始まります。ブリタニア号以降は新たな船は建造されず、この船が最後のロイヤル・ヨットとなりました。

現在、ブリタニア号はリース港のオーシャン・ターミナルに係留されて一般公開されています。ヨットと言っても、排水量5769トンの豪華客船で、見学コースは、音声ガイド(日本語あり)を聞きながら、操舵室や信号デッキなど操船部分に始まり、王室の居住エリアを経て、最後に機関室や上陸用カッターを見学する2時間ほどのコースです。

20130303b船内の装飾は、計画ではフランス王朝様式の華美なものでしたが、現エリザベスⅡ女王の希望で質素に変更され、品位ある調度品で飾られています。
女王や夫君の部屋、世界中の植民地から贈られた品々が飾られた豪華なダイニング、上質のベルギー絨毯がVIPを迎える貴賓室(写真)のほか、チャールズ皇太子とダイアナ妃が新婚旅行で使った部屋、訪問先で使う王室専用車1960年型ロールスロイス・ファントムⅡを格納した車庫などがありました。

20130303d左の写真は、王族が過ごしたロイヤル・デッキにある王室専用船の証しです(名称は失念)。
歴代ロイヤル・ヨットに受け継がれた伝統と誇りの象徴です。銀の鐘は就航時のもので、「Her Majesty's Yacht Britannia 1953」と刻まれ、ピカピカに磨き上げられていました。

リース港から路線バスでエディンバラ市内に戻り、プリンスィズ・ストリートにあるスコット・モニュメントへ。

20130303eスコットランドを代表する作家ウォルター・スコットを記念して、1844年に建てられたゴシック建築の尖塔で、高さ61mの石積みです。狭い螺旋階段を287段あがると、360度のパノラマが開けます。
私は高所恐怖症ではありませんが、あまりに細くて高いし、強風にあおられるし、鉄筋入ってなくて大丈夫かと心配したりで、思わず足がすくみました。

このモニュメント、螺旋階段がものすごく狭いので、降りるのもひと苦労です。一人分の幅しかなく、すれ違いは困難です。階段下では、上る人下る人が、お互いに「後ろはあと何人だよ」と声をかけながら上り下りしました。

20130303fホテルに戻る途中で見かけたバグ・パイパー。エディンバラの街中では、至る所でバグ・パイプを奏でる人たちを見かけました。
アマチュアのボランティアが多いそうですが、スコットランド人には国を愛して誇りを持っている人が多い印象を受けました。
バグ・パイプの澄んだ音色を心に焼き付け、ありったけのコインを寄付してエディンバラの街を離れることにします。

次は、再びロンドンに戻ります。

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2013/03/02

エディンバラ・カールトンヒル

ホリールード宮殿から、小高いカールトン・ヒルへ。

20130302p案内板によれば、「この丘は、アーサーの席やキャッスル・ロックと同様、約340万年前の火山活動でできた。250万年前ころ、最初の氷河期が始まり、エディンバラは数百mの厚さの氷で覆われた。いくつもの氷河期を経て、大地が削られ、今の地形になった」とか。

丘の頂上から見るエディンバラの360度の眺望が人気です。上の写真は旧市街の眺めです。手前の円形建物はダガルド・スチュワート・モニュメント(1831)です。エディンバラ大学で教鞭をとった哲学者で、古代ギリシャの円形寺院を模しています。

20130302qカールトン・ヒルにはいくつものモニュメントが建っています。左の写真はナショナル・モニュメント(1829)で、アテネのパルテノン神殿を模しています。ナポレオン戦争で戦死したスコットランド兵を追悼するために建設が始まりましたが、途中で資金が尽きて未完のまま…。
最近、建設を再開して完成させる案が検討されましたが、反対が圧倒的に多く、このままの姿で残るようです。

20130302r右の写真はネルソン・モニュメント(1816)の塔と、奥に見える平らな山は「アーサーの席」と呼ばれる溶岩山です。モニュメントは、ナポレオン戦争のトラファルガー海戦(1805)で仏海軍を打ち破って戦死した英雄ネルソン提督を記念したものです。単眼遠視鏡を模したデザインで、塔の高さは32m。フォース湾の船舶への信号塔としても使われました。現在は、143段の階段で上まで昇ることができます。
「アーサーの席」は、海抜250mの頂上から見る眺望が素晴らしいのですが、今回は時間がないので割愛。

ホテルに戻り、グラスマーケットのパブで夕食。夜はエディンバラ名物のゴースト・ツアーへ。
中世のエディンバラは、ペストの大流行で死者が溢れ、魔女狩りの処刑が横行した闇の歴史がありました。地下の牢獄や墓地を巡る怖いツアーが結構人気だったりします。

20130302s夜10時、聖ジャイルズ大聖堂前で黒マントのツアー業者を発見。その場で参加交渉してHidden & Hauntedツアーに加わります。
ロウソクの暗い灯りの中、魔女狩りのおどろおどろしい話を聞いてから、小さな石段を降りて地下牢跡へ。煉瓦造りの狭い空間で実際にあった怖い物語を聞かせてくれますが、確かにそこら中に霊が漂っていそうな雰囲気…。60分のツアーはあっという間でした。幸い?私の語学力では怖い話の半分も理解できなかったので、その夜は恐怖で眠れない…なんてことはありませんでした(笑)。

翌日は、街の北部にある港町リースに足をのばします。

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エディンバラ・ロイヤルマイル

エディンバラ城からホリルード宮殿に続く1マイル(1.6km)の道は、ロイヤル・マイルと呼ばれています。

20130302jエディンバラ城から少し歩くと、聖ジャイルズ大聖堂が見えてきます。

もとは854年に設けられた教区教会が歴代王朝の庇護で正教会に発展。1385年に大半を焼失しましたが、すぐに再建。ヨーロッパに吹き荒れた宗教改革(16世紀後半)でも大きな被害を受けることなく、1600年代半ばに大聖堂に昇格しました。
ちなみに、聖ジャイルズという人は、スコットランドとの絆としてエディンバラの守護聖人となった7世紀のフランスの宗教者です。

20130302k聖堂内を飾る美しいステンドグラスは、ほとんどが1800年代後半の大改修時のものです。
右の写真は、東の窓のステンドグラスで、キリストの生涯が描かれています(聖堂内は撮影禁止なので、£2で撮影許可をもらって撮影)。

20130302l聖堂内のシスル礼拝堂(左の写真)は、1911年、シスル騎士団の教会として造られたものです。
中世から続くシスル騎士団は、国王の勅命で任命される名門でした。ホリールード宮殿に隣接する修道院を本拠地としていましたが、1688年のエディンバラ大暴動で修道院を失い、その後はこの礼拝堂が造られるまで教会がありませんでした。小さな礼拝堂ですが、壁面の国王・王族・16人の騎士席と天井の瀟洒な装飾が見事です。

ロイヤル・マイルをさらに進むと、終点のホリールード宮殿が見えてきます。
20130302n旧スコットランド王室の宮殿で、現在はエリザベス女王がスコットランド訪問時に滞在するイギリス王室の離宮となっています。

もとは1128年にデビッドⅠ世が修道院を建て、15世紀に王の滞在施設が増築され、16世紀にジェームズⅣ世がエディンバラ城から宮殿を移しました。

写真の左側の塔屋は、1528年にジェームズⅤ世が王族の居住区として増築した当時のものです。その娘メアリ女王は、この塔の部屋で、秘書官を目の前で夫に惨殺される事件に巻き込まれています。メアリ女王の息子ジェームズⅥ世は、1603年にイングランド王位を継承するとロンドンに移ったので、この宮殿の重要性は低くなりました。

20130302o現在、王室行事がない限り、宮殿内部が一般公開されています。女王に謁見する経路を辿る見学ルートは、奥に進むにつれ壁や天井の装飾が華やかになり、見応えがありました。

個人的には、見学ルートの最後に見た、1688年の大暴動で破壊されたかつての修道院の廃墟(左の写真)が一番印象的だったりします。

次は、カールトンヒルに足を伸ばします。

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エディンバラ城

巨大な溶岩(キャッスル・ロック)にそびえるエディンバラ城は、街のシンボルでどこからでもよく見えます。

20130302eもとは600年ころ、アングロサクソンとの戦いで要塞が置かれ、12~15世紀は歴代スコットランド王朝の居城でした。イングランドの脅威が去った17世紀以降は、スコットランド軍の駐屯地として使われました。
この城は、ハリーポッターに登場するホグワーツ魔法学校のモデルと囁かれましたが(作者は否定)、確かにそんな雰囲気があります。

城内には、中世の王宮時代の建物と、17世紀以降の駐屯地時代の建物が混在しています。

20130302f聖マーガレット礼拝堂(左の写真)は、エディンバラに現存する最古の建物です。
1130年ころ、スコットランド国王デビットⅠ世が王室の礼拝所として建築し、亡き母マーガレット王后に捧げました。
16世紀ころから火薬庫として使われ、1845年に元の礼拝堂に復元。ステンドグラスは1922年に追加されたものですが、模様が施された内陣のアーチは建築当時のものです。
小さいながら清楚で素朴な礼拝堂で、現在も洗礼や婚礼で使われています。

20130302gロイヤルパレス(右の写真)は、1430年代に建てられたかつての王宮殿です。
この王宮殿の小部屋で、1566年、メアリー女王が難産の末に男児(後のジェームズⅥ世)を出産しました。そのジェームズⅥ世が、後にイングランド王位を継承し、スコットランドとイングランドの連合が成ったので、スコットランドにとっては歴史的な意味を持つ場所です。
王宮殿のクラウンルームには、歴代国王の戴冠式で使われた三種の神器(王冠、剣、笏)の実物や、即位する王が座った「運命の石」が厚いガラスケースで厳重に公開展示されています(撮影禁止なので写真はなし)。

20130302hグレートホール(左の写真)は、王に謁見する儀典場として、1511年、ジェームズⅣ世が建築しました。
そのジェームズⅣ世は、2年後にイングランドとの戦いで戦死してしまい…。ほとんど使われることなく、1650年以降は兵舎となっていました。

現在の内装は1886年の復元ですが、ハンマービーム工法の壮麗な天井は建築当時のもの。英国に現存する中世のハンマービーム工法としては最古の建築と云われています。

20130302i最後はフォアウォール砲台から見た市街地の眺めです(右の写真)。尖塔はスコット・モニュメント、遠方にフォース湾が見えています。
この砲台は、対イングランド戦で落城と奪還を繰り返していた1540年代に築かれました。並んでいるカノン砲は当時のものではなく、19世紀初めの仏ナポレオン軍との戦いの際に鋳造されたものです。
他にハーフムーン砲台(1690年代)とアーガイル砲台(1730年代)がありますが、こちらは反乱軍との攻防で築かれたものです。

エディンバラ城は見どころが多く、見学に2時間くらいかかります。午後1時に発射されるワン・オクロック・ガン(時報の大砲)を聞いて城を出ました。

次は、ロイヤル・マイルを歩きます。

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エディンバラ・街中あれこれ

こちらに来て初めての休日。オールドタウン(旧市街)の散策で見かけたものを備忘録。

20130302グラスマーケットの裏路地に残る石壁Flodden Wall。
16世紀初め、敵国だったイングランドの侵攻から街を守るために築かれた城壁の一部です。
イングランドと連合(1707)した後、街の発展とともに城壁は取り壊されましたが、オールドタウンの所々に当時の遺構が残っています。

20130302bグレイフライアーズ教会前の三叉路にあるグレイフライヤーズ・ボビーの銅像。スコットランド一の忠犬ボビーを偲んで立てられました。
主人の死後、14年間、死ぬまで墓を守り続けました。野犬狩りの際は、当時のエディンバラ市長が市議会を飼い主と見なしてボビーを保護したそうです。
現在、ボビーは、主人の墓にほど近い教会墓地の入口に眠っています。赤御影石の墓碑には「グレイフライアーズ・ボビー/1872年1月14日死去/16歳/主人への忠誠と愛とは何であるかを私たちに教えてくれる」と刻まれています。

20130302cマーシャル・ストリートにある赤いエレファント・ハウス。窓には「ハリー・ポッターが生まれた場所」とあります。
1995年にオープンした普通のカフェですが、無名時代のJ.K.ローリングが、この店の奥の席でエディンバラ城を眺めながら構想を練った「ハリー・ポッターと賢者の石」は、発表されるや世界的な大ヒット作になりました。
店も一躍有名になり、観光シーズンは満員で入れないとか。

20130302dグラスマーケットの通りで見つけた丸い石のクロス。かつて絞首台があった場所です。
ここの通りは、かつて交易の商人が行き交い、賑やかな市場が立ちました。一方で、群衆の前で見せしめに囚人の公開処刑が行われていました。
処刑の前に、最後の一杯(ラスト・ドロップ)を飲むことが許されました。そばにはちゃんとラスト・ドロップというパブもあります。
時おり、何も知らない観光客が石に腰かけて休憩したりしていましたが、やめた方がいいんじゃないかと…。

次は、エジンバラ城へ向かいます。

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2013/03/01

エディンバラ・スコッチウィスキーを学ぶ

朝、空路イギリス北部のエディンバラへ。ロンドンからは1時間半ほどで到着。

20130301エディンバラは、旧スコットランド王国の首都でした。断崖にそびえるエディンバラ城や中世の街並みが残り、街ごと世界遺産に登録されています。

スコットランドといえば、スコッチウィスキーの本場です。夕方、ホテルへ戻る途中、体験施設スコッチウィスキー・エクスペリエンスに立ち寄りました。

製造工程を巡るアトラクションにウィスキー試飲付きのツアーに参加。樽型の乗り物で10分ほどのアトラクションを楽しみ、映像ルームで係員がスコットランド四大産地の特徴を説明してくれます。
女性係員の説明が面白いのですが、きついスコットランド訛りと早口で、私の語学力ではハイランド地方が花の香り、ローランド地方が柑橘系の香り、スペイサイド地方は甘い香り、アイラ地方はスモーキーな香りとしか分からず…。
好みで産地を選ぶと、その地方のウィスキーをグラス1杯だけ試飲できます。

20130301bツアーは、世界一のウィスキーコレクションへと続きます。世界的コレクターClaive Vidiz氏が35年かけて集めた3400本以上のウィスキーが美しくディスプレイされています。貴重なボトルも多いらしいのですが、ウィスキー通ではないので価値が分からず…。

最後に、試飲で使ったグラスをお土産にもらい、90分ほどでツアー終了。ホテルに帰って調べると、もらった小さなグラスは、蒸留所でブレンダーやマネージャーがウィスキーの色合いや香りを確める際に使う、グレンケアン社製のブレンダーズグラスでした。うーん、やっぱり物の価値が分かってないな…。

明日は、古い街並みを歩きます。

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