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2012/07/31

袖ヶ浦・野田の虫送り

袖ヶ浦市野田地区で行われた虫送り行事を撮影。

20120731【現地案内板の解説】
「虫送りは稲に虫がつかないように願う農耕儀礼の一つで、古くから日本各地で行われています。地域によって虫送りの様式はさまざまですが、そこには豊作を願う人々の想いが込められています。
野田地区では毎年7月31日に虫送りが行われます。虫送りで使われる神輿は全て手作りで、神輿の一番上には稲穂をくわえた鳳凰を立てます。
子どもたちはその神輿を担いで、『ワッショイ!ホーネン!』と豊作を願うかけ声をかけながら、野田地区内の家々をまわり、そして最後に野田堰に投げ込みます。
その様子はまさに、稲作と共に生きてきた日本人の歴史を思い起こさせるもので、古くからの伝統を忠実に受け継いでいるという点で重要です。」

【この日の進行スケジュール】
09:00~ 材料の調達(竹、桧枝、竹の皮)
09:40~12:20 神輿作り(野田神社境内)
13:00~ ムラ廻り開始
17:00ころ 野田堰に投げ込み、終了

【メモ】
朝9時に現地入り。野田神社に長老が集まり、材料(竹や桧枝)の調達先を決める。切り出した材料がそろったところで、神輿作りと鳳凰作りが始まる。2時間半ほどかけて完成し、拝殿内に奉置。午後1時、子どもたちが集まり、ムラ廻りへ。途中3カ所の水田で水口に注連のついた女竹を立てる。地区内58軒を4時間ほどかけて回り、お捻りをもらう。午後4時ころ、小学生は解散。このとき、中学生からお捻りを分けてもらう。その後、中学生だけで20軒ほど回り、野田堰へ神輿を投げ入れて終了。見学者は1人、カメラマンは5人。神社に駐車場あり。いろいろ教えて頂いた長老の皆さん、冷たい麦茶やアイスの差し入れを頂いた子供会役員の皆さん、おいしいスイカをごちそうになった集落の皆さん、ありがとうございました。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2012/07/29

南房総・ツチクジラの解体

南房総・旧和田町の和田漁港で行われたツチクジラの解体作業を見学。

20120729南房総のクジラ漁は、江戸初期に鋸南町勝山の醍醐新兵衛定明が始めました。紀州から伝わった突きん棒漁で、「鯨組」を組織して沿岸小型種のツチクジラなどを獲りました。「鯨一頭七浦賑わう」と云われたほど、南房総の鯨漁は盛んでした。

もとは灯りや害虫除けの肥料にする鯨油を採るのが目的で、高価な皮脂を採った後の肉は、漁師に分配され食用になりました。ここから、房州の漁村にクジラ食の文化が生まれたようです。

現在,国内の捕鯨基地は5か所(和歌山太地、千葉和田、宮城鮎川、北海道函館・網走)です。ツチクジラの漁期は夏で、捕獲数は全国で62頭(和田26、鮎川26、函館8、網走2)と決められています。

和田では、外房捕鯨株式会社が、小型捕鯨船(48t未満)でツチクジラやマゴンドウ(和田沖と太地沖で計50頭枠)を捕獲しています。獲れたクジラは、港に運ばれて係留され、翌日早朝に解体されます。
社長さんは、クジラ文化の啓蒙にも力を入れており、解体予定は同社のブログで公開され、自由に見学できます。

【この日の進行スケジュール】
04:30~ ツチクジラ解体作業開始
調査測定→解体→皮脂処理→肉処理
06:00ころ 終了

【メモ】
かねて見学したいと思っていた房総の習俗の一つ。日曜早朝の解体を知り、急遽、妻と午前4時に現地入り。ツチクジラは解体場近くの岸壁に係留。解体場に大量の氷が運び込まれ、俄に慌ただしくなる。午前4時半、クジラが解体場に引き揚げられ、専門家(女性)が測定して調査。その後、作業員が長刀のような刃物でスッと切れ目を入れはウインチで引っ張り、皮脂部分を回収。後は魚の3枚おろしの要領で肉塊に分ける。皮脂と肉塊はブロック状に切って氷槽へ。頭部と内臓は女性の専門家が切って調べていた。
血よりも皮脂の油っぽい悪臭が強烈。見学者は20人ほどで外国人比率高し。午前7時半からハギ肉(背骨から削いだ肉)の即売があったが、待たずに引き上げ。漁港そばに駐車スペースあり。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に「房総の風景」として掲載していますが、生々しい画像を含むので閲覧注意です。

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2012/07/28

印西・神輿の梯子立て

印西市高西新田・阿夫利神社の例大祭で行われた「神輿の梯子立て」を撮影。

20120728b【現地案内板の解説】
「明和元年、海上郡銚子海底より青石二個取上しに、其の石往々奇怪のことあり。其の土地に於て、住民之を崇敬する者多し。其の後祈願もその願いに応じ利益少なからず、のち住民共之を名づけて世直し石尊と尊称す。すなわち悪風を直し正に帰せしむるが故なり。
住民或いは其里に移し鎮守となさんとするものあり、或は相模の国石尊社へ奉納なさんとするものあり、論議の末終に奉納するの議に決せり。因て俄に神輿を作り其内に蔵し、発程方角を占して、各駅村を巡行し、将に奉納なさんとす。
同年十二月中旬、近隣誉田村及清戸村へ着せり。夫より浦部村鳥見社に着し、此処に暫時安置し程なく近隣同国相馬郡布佐駅へ奉送せんとせしに、豈図らんや時すでに月迫の故か、同駅に於ては更に受けず引返し、なお亦帰村の上安置す。其夜村吏のもの夢みらく、青衣の老人二人、来り曰く、「俄等を高西新田鎮守両社の内へ合祭せよ」と言いすて消失せり。
村吏驚きて其夜明くるのを待ち、同新田兼帯浦部白幡両村一同集議して神意に任せ同二年六月二十七日両社境内の凸地の頂に奉納す。因って年々歳々同日を以て祭る。」

【この日の進行スケジュール】
21:00~ 神輿の梯子立て(阿夫利神社)
21:45ころ 終了

【メモ】
主祭神の荒神さま(石凝留命)にちなみ、神輿を地面に荒々しく叩きつけることで、神意により邪悪を祓う神事。神輿は、浦部鳥見神社→宮内地区→本郷地区→白幡八幡宮と渡御し、阿夫利神社に入る。神社の石段を駆け上り、境内で激しく揉んだ後、神輿を梯子のように立て、バッタンバッタンと倒す(上の写真)。神輿は、ケヤキの厚板で頑丈に作られた特別なもの。地面に打ち付けられるたび、地響きと歓声が上がり、境内は異様な雰囲気で盛り上がる。最後は神輿を飾り直し、小高い山頂の本殿に担ぎ上げて奉置する。広い境内は見物人で埋まり、カメラマンも相当な数。観客もカメラマンも逃げまどいながら見ることになるので、安全管理は自己責任で(警備の氏子衆の指示に従いましょう)。神社周辺に臨時駐車場あり。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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船橋・神保ばやし

船橋市神保町・須賀神社の祭礼で演じられた「神保ばやし」を撮影。

20120728【現地案内板の説明】
「神保ばやしは2月13日の初ばやしと、7月24日の祭礼に須賀神社で演奏される。神保町に伝えられた時期はよくわからないが、江戸時代末から明治初め頃、八木ケ谷に伝わる深川ばやしを受け継いだといわれる。
はやしは、大太鼓1人、小太鼓2人、笛1人、鉦1人の5人で構成し、曲は、はやし、しょうでん、しちょうめ、かまくら、おかざき(かんだまると呼んだこともある)の5曲からなる。かまくら・おかざきには『ひょっとこ』が登場し、次いで『おかめ』が出て踊る。
曲目は、葛西ばやし、神田ばやしにも通じ、楽曲の基本様式にも共通性がある。この地に定着して久しい間に、旋律の組合せや、リズム、テンポに特有の工夫が重ねられたようであり、今では、他の地方のはやしとは異なる郷土色を作り出している。リズムは簡潔で力強く、きめ細やかな旋律のひびかせ方が巧みに組み合わされ、神保ばやしとして地方的な特色がよくあらわれている。」

【この日の進行スケジュール】
18:30~ 神保ばやし
19:00~21:00 神輿(宮出し~神社前道路~宮入り)

【メモ】
拝殿前に神輿の御仮屋が設置され、地区の皆さんが参拝に訪れると、長老二人が榊でお祓いする。神輿に向かって神保ばやしの屋台が固定され、神輿の準備・宮出し・宮入りの際に神保ばやしが演奏される。かつて須賀神社の祭礼は三日間行われ、神輿はムラ境まで練り歩き、人々に曳かれた屋台の上で神保ばやしが披露された。今は、神輿は神社境内と門前道路のごく一部で練られ、お囃子の屋台が動くことはない。この日は、「おかめ」役が来られず、踊りは「ひょっとこ」「大笑い」のみ。神輿には地元の皆さんが多数集まり、お囃子目的のカメラマンは市の広報さんと私だけ。神社横に駐車場あり。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2012/07/21

両国・江戸東京博物館

両国に行ったついでに、久々に江戸東京博物館に立ち寄りました。

20120721この博物館は、復元模型をふんだんに使って江戸~東京の歴史をビジュアルに伝える展示が特徴です。

写真は、芝居小屋中村座と江戸型山車の原寸大復元です(iPhone4Sで撮影)。

この日は、中村座で春風亭美由紀さんの俗曲(三味線漫談)と三遊亭小円楽さんの落語が披露されたので観覧しました。べらんめえ調の江戸の庶民文化を生で体験できて面白かったです。外形だけでなく、文化ごと再現しようとする試みは大歓迎です。
私的には、春風亭美由紀さんのネタで「東京スカイツリーは武蔵國にちなんで634m、だけど墨田区は旧下総國だよ」ってのが気に入りました。

祭り関係では、神田祭の展示が中心です(三匹獅子関係はなし)。上の写真の山車は、江戸末期の神田祭で曳き廻された8番須田町の山車で人形は関羽です。他に「大伝馬町の鶏山車と旅篭町1丁目の翁山車」や「二之宮の神輿と佐久間町1丁目の素嗚尊山車」の行列も、精密な模型で展示されています。

復元模型の解説本(千円)と、展示図表の解説本(千円)を見つけたので購入して帰りました。

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2012/07/15

富士山麓めぐり

妻のリクエストで涼しい所へ…ということで、富士山方面へドライブに行きました。

20120715まずは忍野八海へ。延暦の大噴火(800)でできた旧忍野湖の湧水口で、8つの泉(出口池・御釜池・底抜池・銚子池・湧池・濁池・鏡池・菖蒲池)は富士講の八海めぐり霊場になっています。
80年の時を経て湧き出す富士山の雪解け水は、冷たく澄んだ色で神秘的です。でも、激しく観光地化されていてちょっと引きました。
写真は、はんのき資料館(有料)から見た富士山です。雲でよく見えませんねえ。ここは有料施設で観光客が少なく、静かに忍野八海を楽しみたい人にはお勧めです。あ、手前の池は人工池ですので念のため。

20120715b移動中、北口本宮富士浅間神社を通りかかったので、参拝に立ち寄ります。創建は日本武尊の東征の折(110)、祠を建てたのが始まりと伝わり、木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)と夫・天津彦火瓊々杵命(あまつひこほのににぎのみこと)、父・大山祗神(おおやまずみのかみ)を祀っています。
姫が無戸室(うつむろ)の猛火の中で皇子を安産した故事に基づく「吉田の火祭り」(毎年8月26~27日)は有名で、合わせて奉納される「太々神楽」(十二座)は山梨県指定無形民俗文化財です。

20120715c究極の涼しさを求めて、青木ヶ原樹海の鳴沢氷穴へ。貞観の富士長尾峰の噴火(864)でできた溶岩洞窟です。深さ21m、総延長153mで、20分ほどで一周できます。江戸期に氷を切り出して江戸に運んだので「氷穴」と呼ばれます。狭いトンネル(巨木の跡)や階段を通って地下へ降りると、中は極寒の世界でした。写真は天然の氷柱です。ライトアップされて神秘的に輝いていました。

この後、すっかり冷えた体を温泉で暖めてのんびりと帰りました。三連休の中日で中央道も富士山麓の国道も大渋滞、観光地は人であふれていました。5年ぶりの富士山で、涼しさは満喫できたので良しとしましょう。

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2012/07/14

南房総・多田良の三つ道具

南房総市・旧富浦町の多田良で奉納された棒術・羯鼓舞・獅子神楽(三つ道具)を撮影。

20120714旧富浦町の祭礼日(旧行7月24・25日)は、南無谷、青木、多田良など各地区が一斉に神輿や屋台を出し、旧富浦町中が賑わいます。

多田良では、五穀豊穣・豊漁と区内安全を祈願して、岡地区に伝わる棒術と獅子神楽、西浜地区に伝わる羯鼓舞(合わせて「三つ道具」と呼ばれます)が奉納されます。
初日は総鎮守の瀧淵神社で、二日目はムラ廻りで浅間神社(旧鎮守)~区長宅~明神様~天満宮~竜宮様で「三つ道具」が奉納されます。

棒術は、木刀や六尺棒、鎌と長刀の型が岡地区の天満宮氏子衆により披露されます。エーイ、トー、トーと声をあげながら刃合わせをし、最後はヤハイノトーの掛け声で刃合わせのまま地に置きます。
羯鼓舞は、雄獅子・雌獅子・子獅子の三匹獅子舞で、結界(注連縄)を越えて人間界に迷い込んだ子獅子を、雌獅子と雄獅子が懸命に探そうとし、最後に雄獅子が結界(弓)を越えて子獅子を救い戻し、三匹で喜んで舞うストーリーです。西浜地区の熊野神社氏子衆により演じられます。
獅子神楽は、二人立ちの伊勢系で、御幣や鈴、二本の剣を持って舞います。唄の舞では「千早ふる、天の岩戸を押し開き、いざや神楽を参らする」と謡いが入ります。こちらも岡地区の天満宮氏子衆が演じています。

このような複合芸能は、どれか1つが途絶えると廃絶してしまいます。県内で残っているのは、君津市三島の「棒術と羯鼓舞」、鴨川市和泉の「三役」とここだけになりました。
多田良の三つ道具は、南房総市無形民俗文化財に指定されています。

【この日の進行スケジュール】
14:30~ 三つ道具奉納(瀧淵神社)
棒術(木刀の型→六尺棒)
羯鼓舞(ササラ→子獅子の注連縄くぐり→親獅子の注連縄くぐり(雌→雄)→雄獅子の弓くぐり(横→縦)→三匹の舞(お直し)→ササラと三匹の舞(揃舞)
獅子神楽(サガリハ→テンノサシ→唄の舞→幣の舞→鈴の舞→剣の舞→崩し)
15:30ころ 終了

【メモ】
旧富浦町の祭礼日は、現在は7月第三日曜日とその前日の土曜日。今回は初日の瀧淵神社での奉納を撮影。岡地区、西浜地区、北浜地区の各屋台が瀧淵神社に集合して三つ道具開始。棒術は子ども2組、大人3組の立合い。和気藹々と笑いをとりながら演技が進んだ。羯鼓舞は腹の鞨鼓は叩かず、囃子方の笛・太鼓で舞う。動きが大きくダイナミック。獅子神楽は、最後に赤子や観客に大胆に噛みついて引きずり回して大爆笑だった。
ササラと弓くぐりは一瞬なので目が離せない。撮影ポジションの選択ミスで逆光フレアが多かったのと、暑すぎて集中力が途切れたのが反省点。観客は地元の皆さんが多数、カメラマンは5~6人。神社に駐車場あり。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2012/07/10

萩原社中の相模流里神楽

都内に出かけた際,思わぬところで里神楽に遭遇。

20120710写真は,虎ノ門金刀比羅宮の神楽殿で奉納された相模流里神楽です。

虎ノ門金刀比羅宮は,讃岐丸亀藩主・京極氏が,讃岐の金刀比羅本宮から江戸藩邸に御分霊を勧請しました。都心のビル街で,高層ビルを背景に青銅葺きの社殿が建つ不思議なイメージの神社です。

能舞台のような立派な神楽殿があるのは知っていましたが,毎月十日に里神楽が奉納されているのは知りませんでした(ちなみに奉納時間は11:40,14:00,15:00,17:00の4回だそうです)。

神楽師は萩原社中で,写真は「福徳舞(宝授け舞)」です。大黒とひょっとこの二人舞いで,最後に菓子を撒きます。萩原社中は,久喜・鷲宮神社の土師一流催馬楽神楽に連なる相模流の名門で,新宿区の無形民俗文化財に指定されています。

社中の神楽は綺麗ですね。写真はiPhone4Sで撮ったものをトリミングで切り出しています。

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2012/07/01

館山・波左間のミノコオドリ

館山市波左間の諏訪神社で奉納されたミノコオドリを撮影。

20120701諏訪神社の祭礼(旧行6月30日~7月2日)に,神社境内と稲荷社・地区内5カ所で奉納されます。

オンドトリの古老が叩く太鼓と唄を中心に,小学生までの女子が輪になって踊ります。踊り始めに,年長の女子が大型のオンベを立てて低頭し,願文を奏上します。踊りは,採物(とりもの)のオンベ(竹の御幣)と扇を手に,ゆるりとした所作です。唄は「カシマ」「ツクバ山」「カノシマ」「十七」「ヨーコー」の5曲が伝わり,神社を発つ時は「カシマ」,地区内では「カノシマ」「十七」,神社に戻って「ヨーコー」で踊り納めます。

南房総のミノコオドリ(館山市洲崎と波左間,南房総市千倉町川口の3か所)は,国記録選択無形民俗文化財に指定されています。

【この日の進行スケジュール】
10:00~ 拝殿神事・ミノコオドリ奉納(諏訪神社)
12:00~ 神輿宮出(諏訪神社)
13:00~ ミノコオドリ(ムラ廻り)
稲荷社→東の三叉路→浜の御旅所→西の道路→漁協手前→光明院→諏訪神社
16:00ころ 終了

【メモ】
現在は7月1日のホンマチのみ催行。午前9時に現地入り。本番前,光明院の寺庭で練習舞い。10時の拝殿神事と併行してミノコオドリ奉納。13時,稲荷社にてミノコオドリ奉納後、地区内5カ所で踊り,諏訪神社で舞い納める。少子高齢化で踊り手不足は深刻だそうで、今年は中学生OGも加わり11人と華やか。昨年は中止(地区内で7人以上の不幸があったため)だったので2年ぶりの催行で、見物人は地区の皆さんが多数、カメラマンは10人くらい。神社に駐車場あり。
※詳細記事は,本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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