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2012/05/26

香取・おらんだ楽隊

水郷佐原水生植物園の「水郷佐原あやめ祭り」で行われたおらんだ楽隊を撮影。

20120526旧佐原・扇島地区に伝わる神楽(=お囃子)で、西洋風の出で立ちからおらんだ楽隊と呼ばれます。

もともと扇島地区の人々は、香取神宮の式年神幸祭の船渡御で御座船を曳く引舟隊の神楽を務めており、「香取神宮御座船引船隊」が正式な名称です。

現在のような形になったのは、江戸末期~明治初期ころで、神楽に洋風の音楽を取り入れて演奏したのが始まりとも、戊辰戦争で負傷した水戸藩官軍の鼓笛手が、当地の病院に入院中に伝えたとも云われています。

赤い陣羽織にぶっさき袴、手甲と脚絆をつけ、頭に鉢巻きという出で立ちで、旗を先頭に行進しながら演奏します。楽器は洋式の大太鼓・小太鼓と篠笛で、曲目は「なみあし」「はやあし」「かけあし」「がいせん」の4曲を歩調に合わせて奏でます。

扇島地区の農家の長男が伝承し、現在は扇島神楽隊の皆さんが伝統を守っています。時代の変化を取り入れた芸能として貴重な存在で、県無形民俗文化財です。

【この日の進行スケジュール】
10:00~10:15ころ おらんだ楽隊(行進)
13:30~14:00ころ おらんだ楽隊(サッパ舟~行進)

【メモ】
この日は「あやめ祭り」オープニングでの公開。東関東道を潮来ICで降り、10時15分に現地入り。公式サイトでは午前の部は10時半からとなっていたが、10時からに変更され終わったところだった。午後の部はゲート前からサッパ舟で佐原囃子を奏でながら園内水路を1周半して、園内奥の船着場に上陸。そこから「なみあし」でゲートまで行進して終了。香取神宮神幸祭でも「かけあし」は聞いたことがないので、大太鼓の奏者に尋ねたところ、「大きな楽器を抱えて駆け足するのは大変で、滅多にやらない」とのこと。なるほど昔と違いメンバーが高齢化しているので無理もありません。この日の観光客は少な目で珍しそうに眺めていた。カメラマンは3人。駐車場あり。あやめは一分咲き?で見ごろはまだ先。
※詳細記事は,本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2012/05/19

秩父・秩父歌舞伎正和会

平成秩父座で行われた正和会の秩父歌舞伎を撮影。

20120519_4秩父は江戸期に生糸の集積で栄えた地域で、江戸の文化が伝わり、すでに江戸中期には盛大な秩父夜祭りや屋台芝居が演じられていました。

秩父歌舞伎は、江戸後期に初代板東彦五郎が修得して帰郷し、近郷の村人に教えたのが始まりです。
昭和初期まで近郷各地で盛んに演じられていましたが、その後は衰退。戦前の「出征遺家族慰問の夕べ」を最後に戦時中は中断。昭和22年、かつて演じた人々が正和会を結成し、伝統の秩父歌舞伎を復活させました。
地芝居では珍しく、週2回の稽古を欠かさず芸を磨き、襲名披露も行っています。

正和会の秩父歌舞伎は、秩父市無形民俗文化財に指定されているほか、国重文の「秩父夜祭りの屋台芝居」(12月3日)で屋台の張り出し舞台でも演じられます。

【この日の進行スケジュール】
15:10~16:20 「絵本太閤記-十段目尼崎閑居之場」

【メモ】
正和会の第30回定期公演は、初の掛け舞台「平成秩父座」で行われた。 「絵本太閤記-十段目尼崎閑居之場」は、謀反を起こした光秀の閑居が舞台。前段は、光秀の子・十次郎が初菊と祝言を上げて出陣する。中段は、泊めた旅僧の正体が真柴久吉と知った光秀が、久吉と間違えて母を竹槍で突く。そこに敗走した十次郎が戻り、光秀に戦況を伝えると自害して果てる。後段は、旅僧姿の久吉とその家臣・正清が現れ、光秀に戦場での再開を約して去る。役者は素人と思えないハイレベルな演技。
桟敷席は多数の見物人で埋まり、その後方にはカメラマンの三脚と脚立がずらりと並ぶ。当日は炎天で、レンズ鏡筒が熱くなるほど。そのせいかVRがしばしば誤作動。機材にも暑さ対策が必要だった。

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秩父・貴布祢神社神楽

平成秩父座で行われた下吉田井上・貴布祢神社神楽を撮影。

20120519_3下吉田井上地区の貴布祢神社に伝わる神楽で、江戸後期の文化年間に、神官が村人に江戸で伝習させたのが始まりと伝わります。

岩戸神話系の神楽で、一神一座の三十六座が伝わり、貴布祢神社の春祭(4月3日)と秋祭(10月3日)に境内の神楽殿で奉納されています。

秩父地方で最古の神楽で、特に「翁の舞」、「猿田の舞」は芸能的に高く評価されています。現在は、貴布祢神社保存会の皆さんが伝統を守っています(埼玉県指定無形民俗文化財)。

【この日の進行スケジュール】
14:00~ 神楽「大蛇攻め」
14:40ころ 終了

【メモ】
こちらも平成秩父座での協力出演。演目は、神明社神楽と同じヤマタノオロチ退治を描いた「大蛇攻め」。ストーリーは、老夫婦と櫛名田比売が嘆いていると須佐之男命が現れる→話を聞いた須佐之男はオロチ退治のため酒瓶を用意する→オロチが比売を食べるか酒を飲むか迷う→結局、酒を飲んで酔っ払う→オロチを討ち、草薙の剣を比売に与えて夫婦になる→大幣束を手にめでたく舞う。同じ演目でも伝承地域ごとに内容が違い、面白い。保存会長さんの解説がユニークで、満席の桟敷を前に「地元の祭りでは観客は数人。こんな大勢の人に見てもらえてうれしい」と挨拶。写真は、最高齢の82歳の演者による翁。燻し銀のような演技が見事でした。

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秩父・萩平子ども歌舞伎

平成秩父座で行われた萩平子ども歌舞伎を撮影。

20120519_2萩平地区には、農村歌舞伎が盛んだった明治期に建てられた茅葺き屋根の歌舞伎舞台が現存します(埼玉県有形民俗文化財)。

昭和初期まで興行芝居が行われていましたが、戦後は使われることもなく荒廃。平成3年、秩父歌舞伎正和会の公演で60年ぶりに村歌舞伎が復活しました。
地元有志が萩平歌舞伎舞台保存会を結成し、歌舞伎と舞台の保存伝承に取り組んでいます。

定期公演は毎年10月ですが、この日は平成秩父座での公演。子どもたちによる歌舞伎2座(吉例曽我対面-工藤館之場、青砥稿花紅彩画-稲瀬川勢揃之場)が演じられました。

【この日の進行スケジュール】
13:00~13:50 「吉例曽我対面-工藤館之場」
14:40~15:10 「青砥稿花紅彩画-稲瀬川勢揃之場」

【メモ】
「吉例曽我対面-工藤館之場」は、正月の工藤祐経邸が舞台。祝賀に参じた朝比奈三郎が、工藤に曽我兄弟を対面させる。ところが、曾我兄弟にとって工藤は親を討った敵。血気にはやって工藤に仇討ちを迫る曾我兄弟だが、工藤は「富士の巻き狩の総奉行を務める大事な身。役目が終わったら討たれてやろう」と約束し、御狩場の通行手形を年玉に渡して幕。役者は小学生8人、中学生9人、高校生2人。
「青砥稿花紅彩画-稲瀬川勢揃之場」は、桜咲く稲瀬川が舞台。捕手に追い込まれた5人の盗賊が、意地と粋を見せて大見得を切る名場面。役者は小学生6人、中学生4人。
歌舞伎独特の抑揚をつけた長い台詞を、間違えることなく演じきった子どもたちに会場は拍手喝采。

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秩父・神明社神楽

平成秩父座で行われた荒川白久・神明社神楽を撮影。

20120519荒川白久地区に伝わる神楽で、江戸後期の安政年間に上州から白久に伝えられました。

岩戸神楽系で十七座が伝わり、年3回(3月第二日曜・7月最終日曜・11月23日)、鎮守・神明社の神楽殿で奉納されています。

当時、白久村で盛んだった村歌舞伎芝居の影響を受け、神楽の舞法が歌舞伎的だったり、神楽面に隈取(くまどり)があったりと、独特です。
この神楽は、神明社神楽保存会の皆さんが伝統を守っています(秩父市指定無形民俗文化財)。

【この日の進行スケジュール】
11:40~ 神楽「蛇打(じゃうち)座」
12:20ころ 終了

【メモ】
道の駅ちちぶの隣に作られた掛け舞台「平成秩父座」で行われた秩父歌舞伎正和会の定期公演に協力出演。演目は、須佐之男のヤマタノオロチ退治を演じる「蛇打座」。ストーリーは、老夫婦のもとにオロチの使いが来て櫛名田比売を連れて行く→旅の須佐之男命が現れ、話を聞いて比売を取り戻す→オロチ退治のため、酒瓶に眠り薬を混ぜて仕掛ける→オロチが酒を飲んで寝込んだところを退治する→比売とめでたく夫婦になる。約40分の五人舞。房総の十二座神楽と趣きが違って、えらく新鮮だった。写真は、櫛名田比売の舞い。
※関連記事は,写真ブログ「Perforation?」に掲載。

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2012/05/05

東葛印旛送り大師

柏・長全寺で行われた東葛印旛送り大師の結願式を撮影。

20120505二百年以上続く准四国八十八か所霊場巡りの伝統行事で、その年の「結願の寺」を5月1日に出発。五日間かけて旧柏16・旧沼南53・白井10・鎌ヶ谷5・松戸4の札所・掛所を右回り(天道回り)に巡り、5月5日に再び「結願の寺」に戻ります。

明治期に弘法大師尊像の厨子を担いで札所を回るようになったことから、「送り大師」とも呼ばれています。
大師講は、県内では下総地方に多く見られますが、数百人規模(今年は七百人)が列をなして巡拝する例は珍しく、県内はもとより全国一の規模と云われます。

今年の結願区は柏で、一番札所の柏・長全寺(曹洞宗)が「結願の寺」となりました(23年ぶりだそうです)。

【この日の進行スケジュール】
8:25~ 巡拝
名戸ヶ谷・法林寺→名戸ヶ谷・観音堂跡→豊四季・念仏堂
11:00~ 練り込み
12:00~12:45 結願式
感謝状授与→結願区先達挨拶→大師組合長挨拶→来賓挨拶(市長・衆議・県議)→結願区(柏)大世話人挨拶→次期結願区(増尾)大世話人挨拶
14:00~ 次年結願区に宝物引継・送込み
 
【メモ】
この日は最終日の「結願式」。10時半、巡礼者が柏第一ホテル前の駐車場に集合。長全寺への練り込みは、露払い、吹螺師(大師組合では「法螺」でなく「吹螺」の字を用います)、柏囃子、万灯、金棒突き、御詠歌連中、稚児、曼陀羅旗、結願旗、大師尊蔵、講員の順に長い列で40分かけてゆっくり進む。寺では、結願大塔婆の除幕の後、正午から結願式。今年の巡拝は連日雨に降られたが、おかげでいい修行ができたと先達住職の挨拶。次の結願区に宝物を引き継いで送り込み、新結願区では毎月21日のお籠もりで新たな修行が始まる。
この行事は規模が大きく、人々の信仰心が籠っていて生半可な気持ちでは撮影できない。いつか出発の日から巡拝に同行して歩いてみたい。
※詳細記事は,本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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