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2011/08/28

横芝光・中台梯子獅子舞

横芝光町中台の大宮神社で行われた梯子獅子舞を撮影(町無形民俗文化財の名称は「中台神楽」)。

110828【現地プログラムの説明】
「今年は『梯子獅子』が復活して30周年となります。(平成21年4月に町の指定無形民俗文化財)この獅子舞が何時ごろから行われていたかは正確な記録は残されていません。しかし、五穀豊穣や悪霊払い、息災延命などを祈願している事には理由があります。
江戸時代の中期に浅間山が噴火し(1782年)69日間日が出なかったとも言われています。そのため、有名な『天明の飢饉』が発生し、全国的に大凶作となり、多くの餓死者が発生しました。江戸時代は、全体に寒冷な気候で、他にも寛永19年(1642年)、享保17年(1732年)、天保4年(1839年)~17年等でも、冷害、台風、虫害、干ばつ等大きな被害がありました。
中台地区では、文化11年(1814年)大凶作となりました。稲の開花期に風雨が続き、日照時間が不足し、連日の北風で主食のヒエや粟まで風に倒され、食料がなくなり、その上、8月末に季節外れの大霜にあい、米、そばは皆無となりました。いく度かの冷害や干ばつ、台風などの状況を度かさね、村人たちは、困った時の神頼みで日常生活の平穏を祈願し、獅子舞などを神社に奉納したものと考えられます。
中台地区の風祭りは、かつては「風鎮祭」(風を鎮めるための儀式)として、毎年二百十日(9月1日ころ)に地区の住民が総出で行われました。昭和62年より8月の最終日曜日に実施しています。」

【この日の進行スケジュール】
11:00~ 風祭り開始(芸能大会)
12:30~ 獅子舞(玉じゃれ,約15分)
15:15~ 獅子舞(梯子獅子,約50分)
舞台で榊を食む→地面に飛び降り,梯子へ→曲芸舞,紙吹雪を吐く→地上に降りて拝殿を一周→拝殿の柱を噛む
16:05ころ 終了

【メモ】
昨年に続き再訪。前回は梯子上で紙吹雪を吐くところがうまく撮れなかったのでリベンジ。SB-800の調光は標準域、望遠域とも-1段とした。今回の教訓:連写時はCFへの書き込みバッファの余裕を考えること。紙吹雪を吐いたところでバシャバシャ連写したら、あっという間にバッファが一杯に。バッファが解放されるまでシャッターが切れず、もどかしかった。玉じゃれ~梯子獅子まで待ち時間は長いが、芸能大会が結構面白くて楽しめた。見物人は地元の皆さんが多数、カメラマンは20人くらい。神社に駐車場あるが数台。

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2011/08/26

相模原・下九沢の獅子舞

神奈川県相模原市の下九沢御嶽神社で奉納された三匹獅子舞を撮影。

110826【神社パンフレットの説明】
「御嶽神社には例大祭に奉納される下九沢御嶽神社獅子舞が伝承されており、昭和33年10月20日相模原市無形文化財に昭和36年7月4日神奈川県無形文化財に指定されている。日本獅子舞由来書には文政4年(1821)当時の下九沢村名主・榎本重蔵ほか数名が武州多摩郡小留浦(ことづら)村・村木氏家伝に基づき伝習したとある。以来時代の変遷により盛衰はあったが確実に現在まで継承されてきた。」

【この日の進行スケジュール】
13:00~ 拝殿神事(御嶽神社)
神事→末広の舞(巫女)→太刀の舞(神官)
14:40~ 道行き(塚場自治会館出発)
15:00~ 練り込み→奉納舞(御嶽神社)
15:15ころ 雨で中断(そのまま中止)

【メモ】
神奈川の三匹獅子舞を初めて見学。毎年8月26日の例大祭に境内で奉納。剣獅子、巻獅子、女獅子の三匹が腹の太鼓をバチで叩きながら舞う。他に鬼面の岡崎と花笠二人。囃子は笛と唄いが入り、舞い場は円形。途中で土砂降りの雨となり中断。舞い場も水浸しで中止に。見物人は百数十人、カメラマンも多数。神社に駐車場なし(スペースあるが数台。塚場自治会館は駐車不可)。
※関連記事は,写真ブログ「Perforation?」に掲載。

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2011/08/19

丹波・美山かやぶきの里

旅の終わりに、京丹波地方・旧美山町(現南丹市)の茅葺き集落を訪ねました。

110817e美山の北集落は、由良川の上流にある50戸ほどの小さな山村です。築200年の茅葺き民家が多く残り、独特の景観を見せています。

入母屋造りの屋根は、彫り物を施した破風や、千木を組んで「馬乗り」を乗せた棟頂の組み方などが特徴で、「北山型」と呼ばれています。現在、茅葺き民家は38棟が残り、一部は資料館や喫茶に転用されていますが、多くは生活の場として現役です。

平成5年、重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

漁師町の伊根からは約100km、クルマで3時間ほどかかりました。集落入口の観光案内所にクルマを置き、集落内をロケハンして歩きます。願ってもないことにスコールのような通り雨が降り、山から霧が降りて幻想的でした。

110817f上の写真は、北集落のメイン・ストリートにて。雨が上がり地元の人が農作業に向かっていました。
集落内をあちこちと1時間ほど歩き回って撮影しましたが、いつまでも残したい日本の原風景で心に響きました。
※関連記事は,写真ブログ「Perforation?」に掲載。

これで今回の旅は終了です。帰りは、美山から県道~京都縦貫道で京都に出て、京都南ICから一路東京へ戻りました。お盆のUターン渋滞で京都~東京は9時間かかりました。
走行距離は2000kmを超えましたが、素朴な民俗行事に触れ、美しい漁村や山村の風景を満喫できて大満足の旅でした。

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2011/08/18

丹後・天橋立

伊根から南下して、天橋立に立ち寄りました。

110817c天橋立は、傘松公園から股覗きで見ると天に架かる橋に見えたので、この名があります。全長3.6km、最狭部の幅は20mで、歩いても渡れますが、遠くからの眺望が絶景とされ、仙台・松島、安芸の宮島と並ぶ日本三景の一つに数えられます。

宮津湾に注ぐ川と海流が作り出した天然の砂嘴で、できたのは今から4000年ほど前と考えられています。平安時代の百人一首に「大江山、いく野の道の遠ければ、まだふみもみず天橋立」(小式部内侍)と詠まれているので、いにしえから名勝とされたようです。

写真は、傘松の高台から見た天橋立です。「斜め一文字」と呼ばれる眺望ですが、どう撮っても絵はがき写真になってしまいますねえ。個人的には、ここで最初に股から覗いた人の発想がとても気になります(笑)。

今回、天橋立に立ち寄った目的は、傘松公園そばにある籠(この)神社です。

110817dその昔、真名井原に豊受大神を祀っていた社でした。崇神天皇の頃、天照大神が大和笠縫邑から当地に遷った際、4年間ほど天照大神をともに祀り、与佐宮と称しました。
その後、天照大神は伊勢内宮へ遷り、後に豊受大神も伊勢外宮へ遷りますが、神々が伊勢に遷る前に過ごした地なので、「元伊勢」と呼ばれる社の一つです。

神社に駐車場はありますが有料(500円)です。土産物店の駐車場も500円ですが、千円以上の買い物で無料になるので、土産物店にクルマを置き、神社に参拝してから傘松公園へリフトで登りました。

次は、丹後半島を後にして、京都・南丹市の山中を目指して南下します。

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2011/08/17

丹後・伊根の舟屋

丹後半島の漁師町・伊根に立ち寄りました。

110817a若狭湾の静かな入り江に230軒ほどの漁師家が建ち並ぶ小さな漁村集落です。
肩を寄せ合うように並ぶ家々は、1階が舟揚げ場で2階に住む「舟屋」と呼ばれる独特の景観を見せています。

昭和初期に道路が開通するまで、舟は交通手段としても必要不可欠な存在でした。舟屋は、漁に欠かせない作業場であると同時に、家々の玄関のようなものだったそうです。

平成17年、漁村として初めて重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

今回、早朝の出漁風景から撮りたかったので午前6時すぎに現地入りしましたが、すでに遅し。クルマを漁港の駐車場に置き、機材を担いでロケハン。平田集落を中心に、対岸の耳鼻(にび)~亀山集落を含めて歩いて撮影。

110817b船宿に頼めば海上タクシーとして舟を出してくれますが、今回は伊根湾めぐり遊覧船を利用。なかなか近づけない耳鼻集落や高梨集落の舟屋を海上から撮影。結局、3時間ほどで切り上げましたが、いつまでも眺めていたい、心に響く原風景でした。

今回の反省点は、三脚使用時に望遠ズームのVRを切り忘れたこと。VRが逆効果で、却ってブレブレになった写真がありました。

せっかく丹後半島まで来たので、次は天橋立へ向かいます。
※関連記事は,写真ブログ「Perforation?」に掲載。

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2011/08/14

蒜山・大宮踊り

岡山県北部の蒜山地方に伝わる「大宮踊り」を撮影。

110814a鳥取県境の山村集落・蒜山地方には、お盆の8月13~19日まで、集落ごとに盆踊りで先祖の霊をもてなす風習が残っています。

盆灯篭に切絵細工(シリゲ)を吊し、音頭取りを中心に、老若男女が輪になってゆっくりした振りで踊るのが特徴です。福田神社(通称「大宮さん」)での踊りが一番規模が大きいので「大宮踊り」と呼ばれています。

県央の「松山踊り」・県南の「白石踊り」と並ぶ岡山三大踊りの一つで、現在の盆踊りの原型を残す貴重な踊りとして国重要無形民俗文化財に指定されています。

今年は、8月13日が道目木堂(上長田)・上在所堂(下長田)・大森堂(東茅部)、14日が川上小学校(夏まつり)・吉森堂(上長田)、15日が福田神社境内(中福田)、16日が高福寺(下福田)、17日が福田神社堂内、18日が飯守コミュニティハウス(上長田)、19日が長田神社(下長田)で行われました。

今回は、集落のお堂で踊る古態を撮りたかったので、14日の上長田・吉森堂へ。午後7時に現地入り。開催時刻の情報が乏しかったのですが、だいたいどの集落も午後8時ころからとのことで間に合いました。通りかかった地元の人に場所を教えてもらい、JA八束にクルマを置くと、すぐ裏が吉森堂でした。

110814b午後8時すぎ、何となく集落の人々が集まったところで始まりました。
中央に音頭取りが4人、太鼓に合わせて謡いが始まると、浴衣姿の皆さんが輪になって踊ります。音頭には「あおい」「しっし」の2曲があり、踊りには「あおい」「しっし」「まねき」の3種類があるそうです(規模の大きなところでは、「まねき」の最後に「テンコ」という仮装踊りも出るようです)。

唄いも踊りも素朴そのもので、1時間ほどで終了。よそ者はカメラマンの私一人でしたが、たいへん良くしていただきました。期待した「シリゲ」がコピーだったのはちょっと残念でしたが、集落の皆さんの暖かさを感じながら帰路につきました。
※関連記事は,写真ブログ「Perforation?」に掲載。

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2011/08/12

伊勢・伊勢神宮(内宮)

内宮は、天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)を祀る、日本で最も格式の高い神社です。

110812g日本書紀によれば、紀元前92年、都に疫病が流行った際、崇神天皇が宮中の御神体(八咫鏡と草薙剣)を大和・笠縫邑(かさぬいむら)へ遷し、その後、垂仁天皇の命により、皇女・倭姫命が天照大神の託宣で御神体を五十鈴川の川上の地に遷しました。天皇家の祖先神として、永く天皇以外の奉幣が禁じられ、貴族階級でも勅許が必要でした。

五十鈴川(上の写真)に架かる大きな宇治橋を渡ると、一の鳥居まで皇居前広場を大きくした感じの神苑が広がります。二の鳥居を過ぎるとようやく深い森に囲まれ、一番奥まった高台に東西の御敷地(遷宮地)が現れます。こちらも御正殿は東の御敷地に建っていました。石段を登り、御垣(高い板塀)の入り口を入るとすぐに御門があり、門の御簾ごしに遠く正殿を拝します。
御正殿は、外宮と同じ神明造りですが、屋根の鰹木は10本と多く、左右の千木は両端が水平に切られているなどの違いがあります(女神は千木が水平です)。

内宮の式年遷宮は、外宮より2年早い690年(持統天皇の頃)からで、こちらも次回は平成25年です。

宮域の別宮では、荒祭宮(あらまつりのみや)に天照大神の荒御魂が祀られています。風日祈宮(かぜひのみのみや)は、元寇の時に神風を吹かせて日本を守った風の神を祀っています。
所管社として、木華開耶姫命を祀った子安神社とその父神を祀った大山祇(おおやまつみ)神社があります。

110812h内宮の神楽殿はとりわけ立派な建物で(下の写真)、こちらも神楽は雅楽で巫女が舞う「倭舞」でした。
内宮の宮域は外宮より広く、くまなく散策すると一時間以上かかりました。

伊勢神宮は、内宮も外宮も鳥居をくぐって宮域に入ると、背筋が伸びて凛とした気持ちになります。やっと日本人としてやるべきことをやった…というと大げさでしょうか。

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伊勢・猿田彦神社

内宮へ向かう交差点そばに猿田彦神社があったので立ち寄りました。

110812e猿田彦大神は、天孫降臨時に地上で待ち迎えて道案内をした神様として知られています。

神社略記によれば、天孫を高千穂へと導いた猿田彦神は、天宇受売命とともに伊勢の五十鈴川の川上に来臨し、この地の土地神となったそうです。

垂仁天皇の皇女・倭姫命が天照大神の御魂代(八咫鏡と草薙剣)を祀る土地を探して諸国巡歴した際、猿田彦大神の御裔・大田命が五十鈴川の川上の霊域を献上し、伊勢神宮(内宮)が創建されました。

立派な神社で、本殿は重厚な二重破風の妻入造り(通称さだひこ造り)、祝詞殿は平安朝の優美な寝殿造りです。毎年5月5日には、五穀豊穣を願い、桃山期の衣装で田植えをする「御田祭」が行われています(三重県無形民俗文化財)。

110812f境内には、天孫降臨に際して猿田彦大神と初めに対面し、高千穂で天の岩戸前で美しく舞い、猿田彦大神とともにこの地に移った天宇受売命を祀った佐瑠女(さるめ)神社がありました。この日は提灯が飾られて、さるめ祭りが行われていました。

次はいよいよ伊勢神宮(内宮)へ向かいます。

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伊勢・伊勢神宮(外宮)

お盆休みを利用して、気ままな撮影旅へ。
まず、東名~伊勢湾岸道~伊勢道で南下して伊勢神宮に参詣。

110812a伊勢神宮は、五十鈴の川上にある皇大神宮(内宮)と山田原にある豊受大神宮(外宮)の総称です。お伊勢まいりは外宮から…の慣わしに従ってまずは外宮から。

外宮は、内宮鎮座から481年後に、時の雄略天皇が丹波・籠神社(天橋立付近)の豊受大神(とようけおおかみ)を遷座して創建されました。衣食住をはじめ、すべての産業の守り神とされます。

鎮守の森を歩くと、一番奥に東西の御敷地(遷宮地)が現れます。現在は、東の御敷地に御正殿が建っています。御垣(高い板塀)で囲まれ、垣の鳥居をくぐるとすぐに御門があり、門の御簾ごしに遠く正殿を拝します。
御正殿は、内宮と同じ神明造りですが、屋根の鰹木は9本で、左右の千木は両端が垂直に切られているなどの違いがあります(御垣内は撮影禁止で写真はありません)。

有名な式年遷宮は、天武天皇の命で常にみずみずしく国も人も若がえり栄え行くようにとの願いを込め、692年(持統天皇の頃)から始まりました。御正殿だけでなく、別宮の建物も、20年毎に新宮に遷ります。次回の遷宮は平成25年です。

110812d宮域には別宮も祀られています。土宮(つちのみや)は、山田原の鎮守・大土乃御祖神(おおつちみおやのかみ)を祀り、外宮の宮域の土地神様です。
風宮(かぜのみや)は、元寇の時に神風を吹かせて日本を守った風の神を祀っています。
石段を登った高台にあるのが多賀宮(たかのみや=写真)で、豊受大神の荒御魂を祀っています。

表参道には神楽殿がありました。説明文によると、奏楽で巫女が舞う「倭舞」と呼ばれるもののようです。
外宮は内宮ほど広くないので、くまなく見て回っても小一時間ほどでした。
次は、内宮へ向かいます。

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2011/08/07

山武・金刀比羅神社の神楽

山武市松尾町の金刀比羅神社で奉納された神楽を撮影。

110807江戸初期(1665)に神社本殿が再建されたのを祝って奉納されたのが始まりと伝わります。長く二百十日の鎮風祭(旧行9月1日)に奉納されていましたが,現在は毎年8月第一日曜日に境内の仮設舞台で奉納されています。

演目は「露払(猿田彦神)」「天鈿女命」「三方荒神」「春日の舞」「鯛釣の舞」「八幡大神」「鬼神」「田神」「神功皇后」「耕田」「天岩戸開」「注連切(素戔男命)」の十二座八曲が伝わり,琴平神楽保存会の皆さんが継承しています(市無形民俗文化財)。

【この日の進行スケジュール】
14:00~16:00 神楽奉納
露払→天鈿女命→(巫女舞)→鬼舞→三方荒神→鯛釣の舞→田神(菓子蒔き)→注連切

【メモ】
この日は七座が演じられた。多くの演目で舞人の長い口上が入るのが特徴。楽人は舞台裏に大太鼓1,小太鼓1,鼓3,笛4。見物人は地元の皆さんで,カメラマンは3人。駐車場は神社前にあり。
※詳細記事は,本宅サイト「ぐるり房総」に掲載。

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