横芝光・中台梯子獅子舞
横芝光町中台の大宮神社で行われた梯子獅子舞を撮影(町無形民俗文化財の名称は「中台神楽」)。
【現地プログラムの説明】
「今年は『梯子獅子』が復活して30周年となります。(平成21年4月に町の指定無形民俗文化財)この獅子舞が何時ごろから行われていたかは正確な記録は残されていません。しかし、五穀豊穣や悪霊払い、息災延命などを祈願している事には理由があります。
江戸時代の中期に浅間山が噴火し(1782年)69日間日が出なかったとも言われています。そのため、有名な『天明の飢饉』が発生し、全国的に大凶作となり、多くの餓死者が発生しました。江戸時代は、全体に寒冷な気候で、他にも寛永19年(1642年)、享保17年(1732年)、天保4年(1839年)~17年等でも、冷害、台風、虫害、干ばつ等大きな被害がありました。
中台地区では、文化11年(1814年)大凶作となりました。稲の開花期に風雨が続き、日照時間が不足し、連日の北風で主食のヒエや粟まで風に倒され、食料がなくなり、その上、8月末に季節外れの大霜にあい、米、そばは皆無となりました。いく度かの冷害や干ばつ、台風などの状況を度かさね、村人たちは、困った時の神頼みで日常生活の平穏を祈願し、獅子舞などを神社に奉納したものと考えられます。
中台地区の風祭りは、かつては「風鎮祭」(風を鎮めるための儀式)として、毎年二百十日(9月1日ころ)に地区の住民が総出で行われました。昭和62年より8月の最終日曜日に実施しています。」
【この日の進行スケジュール】
11:00~ 風祭り開始(芸能大会)
12:30~ 獅子舞(玉じゃれ,約15分)
15:15~ 獅子舞(梯子獅子,約50分)
舞台で榊を食む→地面に飛び降り,梯子へ→曲芸舞,紙吹雪を吐く→地上に降りて拝殿を一周→拝殿の柱を噛む
16:05ころ 終了
【メモ】
昨年に続き再訪。前回は梯子上で紙吹雪を吐くところがうまく撮れなかったのでリベンジ。SB-800の調光は標準域、望遠域とも-1段とした。今回の教訓:連写時はCFへの書き込みバッファの余裕を考えること。紙吹雪を吐いたところでバシャバシャ連写したら、あっという間にバッファが一杯に。バッファが解放されるまでシャッターが切れず、もどかしかった。玉じゃれ~梯子獅子まで待ち時間は長いが、芸能大会が結構面白くて楽しめた。見物人は地元の皆さんが多数、カメラマンは20人くらい。神社に駐車場あるが数台。
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【神社パンフレットの説明】
美山の北集落は、由良川の上流にある50戸ほどの小さな山村です。築200年の茅葺き民家が多く残り、独特の景観を見せています。
上の写真は、北集落のメイン・ストリートにて。雨が上がり地元の人が農作業に向かっていました。
天橋立は、傘松公園から股覗きで見ると天に架かる橋に見えたので、この名があります。全長3.6km、最狭部の幅は20mで、歩いても渡れますが、遠くからの眺望が絶景とされ、仙台・松島、安芸の宮島と並ぶ日本三景の一つに数えられます。
その昔、真名井原に豊受大神を祀っていた社でした。崇神天皇の頃、天照大神が大和笠縫邑から当地に遷った際、4年間ほど天照大神をともに祀り、与佐宮と称しました。
若狭湾の静かな入り江に230軒ほどの漁師家が建ち並ぶ小さな漁村集落です。
船宿に頼めば海上タクシーとして舟を出してくれますが、今回は伊根湾めぐり遊覧船を利用。なかなか近づけない耳鼻集落や高梨集落の舟屋を海上から撮影。結局、3時間ほどで切り上げましたが、いつまでも眺めていたい、心に響く原風景でした。
鳥取県境の山村集落・蒜山地方には、お盆の8月13~19日まで、集落ごとに盆踊りで先祖の霊をもてなす風習が残っています。
午後8時すぎ、何となく集落の人々が集まったところで始まりました。
日本書紀によれば、紀元前92年、都に疫病が流行った際、崇神天皇が宮中の御神体(八咫鏡と草薙剣)を大和・笠縫邑(かさぬいむら)へ遷し、その後、垂仁天皇の命により、皇女・倭姫命が天照大神の託宣で御神体を五十鈴川の川上の地に遷しました。天皇家の祖先神として、永く天皇以外の奉幣が禁じられ、貴族階級でも勅許が必要でした。
内宮の神楽殿はとりわけ立派な建物で(下の写真)、こちらも神楽は雅楽で巫女が舞う「倭舞」でした。
猿田彦大神は、天孫降臨時に地上で待ち迎えて道案内をした神様として知られています。
境内には、天孫降臨に際して猿田彦大神と初めに対面し、高千穂で天の岩戸前で美しく舞い、猿田彦大神とともにこの地に移った天宇受売命を祀った佐瑠女(さるめ)神社がありました。この日は提灯が飾られて、さるめ祭りが行われていました。
伊勢神宮は、五十鈴の川上にある皇大神宮(内宮)と山田原にある豊受大神宮(外宮)の総称です。お伊勢まいりは外宮から…の慣わしに従ってまずは外宮から。
宮域には別宮も祀られています。土宮(つちのみや)は、山田原の鎮守・大土乃御祖神(おおつちみおやのかみ)を祀り、外宮の宮域の土地神様です。
江戸初期(1665)に神社本殿が再建されたのを祝って奉納されたのが始まりと伝わります。長く二百十日の鎮風祭(旧行9月1日)に奉納されていましたが,現在は毎年8月第一日曜日に境内の仮設舞台で奉納されています。