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2011/07/23

山武・末広神社の神楽

山武市松尾町の末広神社で奉納された神楽を撮影。

110723末広神社は,明治初めころ,遠州掛川から芝山松尾に転封となった太田資美(すけよし)が,東京の藩邸内の社を移して創建しました。太田氏の先祖で,江戸城の築城で知られる太田道灌を祀っています。

神楽は,神社の祭礼(旧行7月25~26日)で奉納されます。江戸神楽の流れを汲む黙劇風の内容で,「翁の舞」「神子の舞」「岩戸大折」「河童釣り」「神代酒の番卒」「宝剣守護」「狐の種蒔」「狐の報仇」「人身御供」「鈿女の分身」「鬼舞」の11座が伝わっています(市無形民俗文化財)。

【この日の進行スケジュール】
18:00~ 「翁の舞」
18:20~ 和太鼓演奏(松尾太鼓とどろき会)
18:55~ 「神代酒の番卒」
19:20~ ビンゴ大会(子供会)
19:45~ 「宝剣守護」
20:10~ 「鬼舞」
20:30ころ 終了

【メモ】
現在は,毎年7月26日直後の土曜日,境内の仮設舞台で神楽保存会の皆さんが奉納。この日は「翁の舞」「神代酒の番卒」「宝剣守護」「鬼舞」の4座が演じられた。下総神楽や上総神楽と異なり,黙劇風の喜劇的な演目が多くて興味深い。楽人は舞台裏に太鼓1,鼓1,笛5。幕間に和太鼓演奏やビンゴ大会を交えながら進行。露店も出て,たくさんの地元の人で賑わっていた。カメラマンは2人。駐車スペースあり。
※詳細記事は,本宅サイト「ぐるり房総」に掲載。

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2011/07/17

宮崎・高千穂峡

二日目は,高千穂峡へ。

110717a高千穂の街からクルマで少し走ると,すぐに高千穂峡です。

太古の阿蘇山大噴火(約12万年前と約9万年前)で堆積した溶岩が五ヶ瀬川の水流に浸食された渓谷で,柱状に切り立った絶壁と緑色の深い淵が自然の神秘を感じさせます。

渓谷は国指定名勝で天然記念物ですが,手こぎボートが利用できます。この日はボート乗り場が朝からいっぱいで,1時間10分待ち(GWは最長5時間待ちだったとか…)。御橋のたもとの茶屋街でひと休みしながら,のんびり順番を待ちました。
写真は,ボートから見た真名井の滝と御橋の風景。下から見るとまた違った美しさが見えてきます(周りはボートだらけですが…)。

110717bこの後,高千穂神社→天孫降臨の地とされる櫛ふる神社(御祭神は瓊々杵尊,天児屋根命,経津主命)→猿田彦尊と天鈿女の夫婦を祀る荒立神社(写真)と巡って,神楽の神々にご挨拶。
存分に神楽の世界を堪能して,昼すぎころ帰路につきました。

新型プリウスのレンタカーは,山道を中心に3日間で400km余り走って実燃費26km/lでした。

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2011/07/16

宮崎・高千穂の夜神楽

宮崎・高千穂の夜神楽を撮影。

110716b【現地配布資料の説明】
「高千穂地方に伝承されている神楽は、天照大神が天の岩戸に隠れられた折に、岩戸の前で天鈿女命が調子面白く舞ったのが始まりとされており、古来私共の祖先は永い間この神楽を伝承して今日に及んでおります。
毎年11月の末から翌年の2月にかけて各村々で33番の夜神楽を実施して、秋の実りに対する感謝と翌年の豊穣を祈願するものであります。
その中の4番の舞を公開します。」

【この日の進行スケジュール】
20:00~21:00 観光神楽の公開
手力雄の舞→鈿女の舞→戸取の舞→御神体

【メモ】
高千穂の夜神楽は、平安末期~江戸末期まで高千穂神社の神職が伝承。明治初期に郷内15地区で夜を徹して舞うようになった(国重文)。高千穂神社の神楽殿では、各地区の保存会が交代で4演目を通年「観光神楽」として奉納(この日は岩戸五ヶ村神楽)。神楽殿は座敷に座って見る形式で内注連から下がる彫り物(えりもの)が独特。舞は見事で、全演目を見に11月に再訪したくなった。大勢の観光客で、邪魔にならないよう柱の陰からノーストロボで撮影(観光客の皆さんはコンデジで普通にフラッシュ焚いてました)。往復は宿の送迎を利用。
※関連記事は,写真ブログ「Perforation?」に掲載。

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宮崎・天安河原

妻と九州に行ったついでに,神楽の里・高千穂へ。

110716a房総で神楽を撮っているうちに,高千穂と岩見の神楽はぜひ見たいと思うようになりました。神楽写真家・西平英生氏から「高千穂と岩見の神楽はぜひ見るべき」と聞き,ずっと気になっていましたが,やっと実現。

この日,プリウスのレンタカーで阿蘇の草原を走り,午後3時半ころ高千穂の旅館に到着。夕食まで間に,まずは天岩戸神社へ参拝。

天岩戸神社は,天照大神が隠れた岩屋を神体とする西本宮と,天照大神を祀る東本宮があります。西本宮には古い神楽殿があって,高千穂らしい古式豊かな舞台装飾が施されていたので撮影。

110716c下の写真は,参道入口に立つ手力雄命の像です。こんな感じで岩戸をエイヤッと投げ,落ちた所が信州の戸隠だとの説もあります。

西本宮から岩戸川沿いに10分ほど歩くと,天安河原(あまのやすがわら)です。素戔嗚尊の悪行に怒った天照大神が岩屋に隠れ,世の中が真っ暗になった時,八百万の神々が集まり神議した場所とされています。大きな洞窟と,一面に積まれた石柱が神秘的。

神話にまつわる場所が現実に存在する不思議…。夜神楽への期待が高まります。

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2011/07/09

南房総・奏楽 猿田彦の舞

南房総市(旧丸山町)沓見の莫越山(なこしやま)神社で奉納された猿田彦の舞を撮影。

110709莫越山神社は,神武天皇元年に創建された古社。安房を開いた天富命に随行した工匠の神が,工匠祖神の手置帆負命・彦狭知命を祀ったのが始まりです。
江戸中期から伝わる「奏楽・猿田彦の舞」は,例祭(毎年7月9日)と新嘗祭(毎年11月23日)に拝殿で奉納されます。鉾の舞・幣(ぬさ)の舞・剣の舞で,五穀豊穣・天下泰平を祈ります。南房総市指定無形民俗文化財。

【この日の進行スケジュール】
11:00~ 神事
11:45~ 奏楽・猿田彦の舞
鉾の舞→幣(ぬさ)の舞→剣の舞
12:00ころ 終了

【メモ】
大鉾を持って舞う「鉾の舞」,鈴幣を持ち高台の紙吹雪をまく「幣(ぬさ)の舞」,剣を持って舞う「剣の舞」に加え,古くは面を変えて「喜びの舞」を舞ったという(廃絶)。土地を耕し,種を蒔き,刈り取って収穫し,豊作を祝う農耕儀礼を表現しているとのこと。舞い手と楽人は代々世襲で口伝により継承。十二座神楽の猿田彦と異なり,非常に興味深い。
見物人は生涯学習のグループが数人,カメラマンは5人。駐車場は神社にあり。詳しく教えて頂いた副市長さん,ありがとうございました。
※詳細記事は,本宅サイト「ぐるり房総」に掲載。

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2011/07/03

柏・手賀ばやし

柏市(旧沼南町)手賀地区で行われた手賀ばやしを撮影。

110703【現地解説板の説明】
「手賀ばやしは沼南町手賀地区の夏祭り(毎年7月第1日曜日)で、奉納されるお囃子です。成立年代は不明ですが、地元の民俗芸能として伝承されてきました。興福院境内での神事の後、人々に引かれた神輿・山車が兵主八幡神社に向かい、その復路に地区各所で演奏されるのが「手賀ばやし」です。
はやしの構成は「おはやし・ニンバ・ショウゼン・カマクラ・シチョウメン」の5ばやしからなっています。「おはやし」ではシシとキツネが踊られます。「ニンバ」のまえに、「三番叟」「式三番」が入り「三番叟」では翁が剣と鈴で、黒式尉が剣と扇でそれぞれ悪を追い払います。「式三番」は祝いの舞で、作男が袂で福を掬い上げます。「ニンバ」はひょっとこ・岡目がリズミカルに踊るのに対し、「カマクラ」はテンポがゆっくりで、手賀地区ではシシが眠りにつく時に演奏されています。
人々の無病息災と豊作を願い、「アンバサマ」の愛称で親しまれてきました。沼南の生活文化の特色を示す、貴重な民俗行事です。」

【この日の進行スケジュール】
14:10~ 神事(興福院)
15:00~ 山車出発(興福院)
15:30~ 兵主八幡神社(復路折り返し)
ひょっとこ(四つ辻)→シシ・キツネ・アンバ参り・ひょっとこ・岡目(手賀給油所)→シシ・キツネ・アンバ参り・ひょっとこ・岡目(金村商店前)
18:20ころ 興福院に戻り、終了
 
【メモ】
神社の神輿は軽トラで、子供神輿は練りながら先導し、地区の人たちが引く山車が続く。この日の演目は「ニンバ」と「おはやし」を地区内3か所で演じた。地元のカメラマンさんによれば、演目は例年同じとか。キツネは動きが速く、1/125秒では被写体ブレに。笛や太鼓、踊り手に若手が多いのが心強い(写真の岡目は大学生)。見物人は地元の皆さんが多数、カメラマンは5人。駐車場は興福寺に数台あり。各演奏場所では冷たい飲料やアイス、スイカなどを頂きました。囃子の師匠のS原さん、地区の皆さん、ありがとうございました。
※詳細記事は,本宅サイト「ぐるり房総」に掲載。

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