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2011/06/25

市川・湊の水神祭り

市川市湊の水神宮で行われた水神祭りを撮影。

110625【現地解説板の説明】
「当祭礼は、古くから地元漁師の人々に豊漁、海難除けの守り神として崇められていたと伝えられています。
また、江戸川は生活水路でもあったので、船の安全運行、川遊びに興じる子どもたちの水難除けと水泳上達を祈願して、毎年六月末日の夜にお参りをしていたそうです。それがいつ頃からか定かではありませんが、祭礼の形態として年々盛大になり、地域の人々に親しまれてきました。
現在は、川が汚れ生活水路としての意味はなくなりましたが、水神宮はその後も水難除け、水泳上達、交通安全、受験生の合格祈願の神として崇められ、祭礼当日には数千名の参拝者があります。

祭礼当日は、多くの露天商が出店し、祭り情緒を盛り上げます。夕方五時頃から徐々に参拝者が増えてゆき、ピークは六時半頃から八時半頃までで、神社付近は身動きできないほどの人出になります。
自治会、育成会、青年会、婦人会、南行徳交通安全協会、自治会組長が総力をあげて祭礼行事の進行と事故防止に力を合わせ楽しいお祭りにしています。これからも地域の人々が楽しめる伝統ある祭礼として、存続させていきたいと考えております。
なお、平成十六年より祭礼運営上の関係から祭礼日を六月の最終土曜日としました。」

【この日の進行スケジュール】
11:00~ 水神宮にて神事(修祓→祝詞奏上→玉串奉奠)
11:25~ 御仮屋にて神事(修祓→祝詞奏上→玉串奉奠)

【メモ】
朝9時半ころ現地入り。水神宮と御仮屋の設営から見学。神事は船橋大神宮から神職を迎えて行われた。水神宮で15分ほどの神事の後、神輿の御仮屋へ移動(ただし地元の皆さんは「本部」と呼んでいた)。御仮屋で古い行道系の獅子頭と尻尾2対を発見。古老に聞くと、かつてはお囃子とともに神輿が渡御し、獅子が巡遊したとか。夜の縁日は大混雑するので、日中参詣に来た人を撮影して混み始める前に帰路へ。日中の参詣者は少なく、カメラマンは私一人。駐車場なく、スペースもなし(近くのコイン駐車場を利用)。
※詳細記事は,本宅サイト「ぐるり房総」に掲載。

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2011/06/19

青梅・武蔵御嶽神社太々神楽

東京・青梅の武蔵御嶽神社で行われた太々神楽を撮影。

110619【現地配布資料の説明】
「御嶽神社の神楽は、昭和32年に東京都無形民俗文化財の指定を受け、社家32戸の世襲により二百数十年間伝承され続けています。
神楽は崇敬者が最も格式の高い参拝の方法として、大神様の御神慮をお慰め申すため奏上されますから、神様と共に見て楽しむ事が御嶽の神楽の特徴です。
この神楽は素面神楽と面神楽に大別され、寛延2年(1749)に神吉田流の素面神楽が、安永年間(1780年頃)に江戸眞先稲荷より江戸里神楽の系統である面神楽が伝えられました。元はそれぞれ12座で構成されていたといわれていますが、現在素面神楽は奉幣、剪、大散供の3座を残すのみで、面神楽は14座が残されています。」

【この日の進行スケジュール】
11:00~ 雅楽の一般公開
越殿楽→千秋楽
11:20~ 神楽の一般公開
奉幣→鍛冶→天孫降臨→山の神(餅撒き)
12:00ころ 終了

【メモ】
年2回(6月第三日曜・9月敬老の日)の一般公開。朝8時半、山麓の滝本駐車場にクルマを置き、機材を担いでケーブルカーで山頂へ。周りは登山客で軽装にカメラバッグの自分は場違いな雰囲気。さらに急な坂道と330段の石段を30分ほど歩いて御嶽神社(標高929m)に到着。この時点ですでに足はガタガタ。神楽殿は屋内に舞台と大座敷があり、畳に座って見る方式。厳格に神座を向いて舞う形を守っており、シャッターチャンスは少ない。ストロボは使用不可。霧雨が降る悪天候でも観客は座りきれないほど多数、カメラマンは私一人。駐車場は山麓の滝本駅周辺にあり(有料)。
※関連記事は,写真ブログ「Perforation?」に掲載。

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2011/06/14

匝瑳・八雲神社祭礼囃子

匝瑳市野手の八雲神社に伝わる祭礼囃子を撮影。

110614毎年6月14日、八雲神社の祭礼(宵宮)で神社境内と徒歩下座で演奏されます。

曲は、田楽(農作業の曲目)として「砂切」「種蒔き」「桜囃子」「開花」「量穀」、道中談物(神社参りの曲目)として「三島」「山登」「早囃子」「獅子囃子」「宮巡り」「権現」「宮昇天」「山登返し」、その他の曲目として「磯辺」「大漁節」「八木節」「枯れススキ」「庄八盆踊り」が伝わっています。

神輿の渡御がなくなって久しいけれどお囃子だけは絶やさないと、西宿八雲睦会の皆さんが伝統を守っています(市無形民俗文化財)。

【この日の進行スケジュール】
19:00~ お囃子(神社)
砂切→磯辺→桜囃子→種蒔き→開花→量穀→権現→昇天→三島→山登→早囃子→八木節→大杉囃子→枯れススキ→山登返し→大漁節
20:30~ 地区廻り(徒歩下座)
祭り囃子
21:00ころ 終了

【メモ】
神社境内で囃した後、西宿地区を交差点~弁天池まで(片道300m)徒歩下座で練り歩く。地区廻りのことを「渡御」と呼ぶのは、神輿とともに廻った名残りか。最後は神社前で盛大に祭り囃子を奏でて、威勢よく跳ね太鼓を披露。久々の祭り囃子に元気をもらいました。見物人は地元の人が数人、カメラマンは3人。駐車場なし(廃業スーパー跡にスペースあり)。
※詳細記事は,本宅サイト「ぐるり房総」に掲載。

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2011/06/11

浦賀・横須賀の虎踊

神奈川・横須賀の浦賀地区に伝わる虎踊を撮影。

110611【現地解説板の説明】
「虎踊は、享保五年(1720年)、奉行所が伊豆下田から浦賀に移った時に伝えられたといわれています。
近松門左衛門の『国性爺合戦』における和藤内の虎刈りの場面を取り入れた芸能で、ここ為朝神社に特設舞台をつくって演じられます。
和藤内の登場に始まり、太唐人が引き連れた唐子(からこ)の踊り、そして虎の出現と虎の舞(舞台上を自由に振る舞い数種の芸を披露)と進行し、最後に和藤内が虎を神符で成敗し、みえを切ります。
虎は親子二体で、親虎には青年、子虎には少年が二人ずつ入り、和藤内は男児、唐子は女児、太唐人は成人男子が演じます。
記録作成の措置を講ずべき無形の民俗文化財に選択された『横須賀の虎踊』は、浦賀と野比の虎踊が対象です。」

【この日の進行スケジュール】
18:20~ 余興(お囃子、カラオケ、民謡など)
19:50~ 虎踊
20:05ころ 終了

【メモ】
為朝神社例祭の宵宮(6月第二土曜日)で公開(国記録選択無形民俗文化財)。もとは下田から移った人々が故郷を偲んで舞った虎舞(獅子舞に酷似)が始まりで、黒船来航の1800年代半ばに唐子踊りを伴う現在の形になった。唐子踊りは詞と振りが不思議な舞。異国情緒あり、房総にはない芸能で興味深かった。最後に「あれあれ有り難いな。叶明神の威徳をもって、虎もやすやす従えたり」と虎を退治。雨上がりの中、狭い境内は見物客で大混雑。虎踊は15分程と短い上、撮影場所の移動は困難。カメラマンは10人ほど。臨時駐車場(西浦賀海岸公園)あり。
※関連記事は,写真ブログ「Perforation?」に掲載。

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2011/06/05

成田・雷神社オタチ(御太刀)

成田市山口の雷神社で行われたオタチ行事を撮影。

110605オタチ(御太刀)は、刀の形をした御神木を担いで地区内の家々を回り、区内安全と悪疫払いを祈願する行事です。かつては利根川や印旛沼流域に広く見られた風習です。

雷神社は山口地区(86戸)の鎮守で、オタチは毎年6月第一日曜日(旧行は6月1日)、太鼓の先触れで2mほどのオタチを担ぎ、起伏の激しい地区内を歩いて回ります。
かつては5mほどもある巨大なオタチを数人で担いで回ったそうで、拝殿の天井に大オタチが納められていました。

【この日の進行スケジュール】
8:00~ 縄ない(雷神社)
8:50~ 修祓(神職は参加しない)
9:00~ ムラ廻り
10:30~ 休憩(山口青年館)
12:30~ ムラ廻り
14:50~ オタチを納めて終了(雷神社)

【メモ】
オタチは、御神体を捧持して巡行する「神輿」より古い形態とされ貴重。留守や不幸があった家を除いて全戸を祓い清めて回る。午前中30軒、午後は50軒ほど回り、汗だくに。見学者はなく、カメラマンは7人。駐車場は神社にあり。休憩所では茹でたソラマメや自家製漬け物を頂き恐縮しました。区長さんを始め、地区の皆さん、ありがとうございました。
※詳細記事は,本宅サイト「ぐるり房総」に掲載。

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