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2010/07/31

能登・和倉

妻の休暇に合わせて,能登半島に行って来ました。今回は,能登半島をクルマでぐるり一周する計画です。

100731土曜の朝6時,自宅を出発。首都高の大渋滞で2時間半を浪費。さらに外環道→関越道の渋滞で2時間を浪費し,結局,上里SAで昼食。
上信越道→北陸道は順調で,小杉ICから氷見を抜けて富山湾沿いを走り,和倉温泉に着いたのは午後7時でした。

この日は,七尾西湾に面した老舗旅館に泊。海が見える露天風呂で疲れを癒しました。いつも房総取材では車中泊かビジネスホテル泊なので,たまにはこういうのもいいですね。

写真は,旅館前から撮った能登島大橋(全長1050m)です。昭和57年に架けられ,石川県で一番長いそうです。橋ができるまで,島への交通手段はフェリーだけでした。あいにくの曇り空でしたが,能登湾の海はものすごく穏やかで十分に美しい風景でした。

明日は,この橋を渡って能登島を巡ります。

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2010/07/27

旭・太田のエンヤーホー

旭・太田八坂神社で行われたエンヤーホーを撮影。

100727昨年は,最後の「のぼり獅子」が土砂降りで中止になってしまったので,今回はリベンジです。

エンヤーホーの詳細は,前回記事を参照。
踊りは,青獅子,赤獅子→みみずく,鹿,鶴が畑を荒らす→ひょっとこ,おかめが子孫繁栄→旦那の登場と順調に進みます。ここまでは前回と同じ。

いよいよクライマックスの「のぼり獅子」です。
演者が赤獅子の面をつけて津久舞柱に登り,左右に飛び跳ねたり,横木の鐘や轡(くつわ)を鳴らします。最後に,逆さ吊りになって紙吹雪を撒きました。この紙吹雪を拾うと安産の御守りになるそうで,地元の皆さんが拾っていました。
その後,演者は逆さのまま柱を滑って下り,無事に曲芸が終了しました。

今回の機材は,DX17-55/2.8G,VR70-200/2.8G,D300×2,SB-800。被写体ブレを避けるため,シャッター速度優先で撮影。見物人は去年より少なめで,アマチュア・カメラマンは数人でした。

撮った写真は,前回の写真を一部差し替えて記事を修正し,本宅サイトの「房総の祭り」(Vol.42)に掲載。

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2010/07/25

鴨川・北風原の羯鼓舞

鴨川・横尾の請雨山頂にある愛宕神社で行われた羯鼓舞を撮影。

100725【現地配布資料の説明】
「天文年中(1530年代)の大干魃に際し,安房の国主里見義実は安房の国中の諸山諸神に祈願したが,その効果なく,大山高倉神社に登り,7月1日より七日間醇酎(よいさけ)の池において洗浴請雨せしところ,結願七日の日に大雨となった。このため,義実の高倉神社に対する帰依厚く,各村々にふれて,獅子龍王の面を写し掘らせ自ら横笛の譜をつくり風流と名付け,毎年7月7日にはこの譜にあわせて安房各地の神社仏閣で風流(普利雨)羯鼓舞が行われるようになった。※横笛の譜を風流といい,それが「降り雨」の発音と通じているところから普利雨祭といわれている。もともと普流は歌舞伎仮装のことである。昔は7月7日に行われていたが,8月24日に行いその後,7月24日に行われていた。現在は7月第4日曜日(22~28日)愛宕神社の例祭の日に行われます。愛宕神社例祭は北風原区・横尾区(年番)隔年例祭を行うため,日時・場所確認して下さい。」

【この日の進行スケジュール】
9:30~ 愛宕神社(石祠)で神事
9:50~ 奥の宮で神事
10:00~ 羯鼓舞開始
笹降り→入門→入拍子→雌獅子の舞→中獅子の舞→雄獅子の舞→幣の舞→弓の舞→須賀の舞→崩の舞
11:10ころ 終了

【メモ】
昭和41年から十年間中断したが昭和52年に復活。今年は横尾区年番=横尾・愛宕神社で奉納(来年は北風原区年番=北風原・春日神社で奉納。雨乞い祈願なので雨天は中止)。幣の舞は中獅子が,弓の舞では雄獅子の弓くぐりがある。道化は赤面とオカメ,男児の花笠が登場。県無形民俗文化財。
熱心な見学者のほか,カメラマンも多い。駐車場なし(林道の路駐)。愛宕神社は険しい山頂にあり,アブやヒルの虫対策が必要。
※詳細記事は,本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2010/07/24

勝浦・鵜原の大名行列

勝浦・鵜原八坂神社の祭礼で行われた大名行列を撮影。

100724【記念碑の説明】
「鵜原八坂神社の祭礼は,旧暦六月六日の宵祭りと翌七日のお浜下りの神輿渡御で盛大に行われる。かつては牛頭天王宮といわれ,十日に及ぶ神仏混交の行事で賑わったが,今でも神輿渡御に供奉する大名は名高い。その起源は明確でないが,古来の悪疫退散の民俗行事が,いつか大名行列の威風と華麗に転じたものといわれる。今に伝承される鮑腸餅,法華題目,お舟曳き,婿いじめなどの習俗とともに,民俗生活の生きた年輪である。昭和四十三年四月十一日,千葉県選択民俗資料となった。」

【この日の進行スケジュール】
(昼)
10:30~ 拝殿神事(八坂神社)
11:00~ 大名行列出立,神輿発輿
八坂神社→商店街→鵜原駅で折り返し→商店街→鵜原海水浴場→浜の鳥居で神事→八坂神社
16:30ころ 大名行列が帰参

(夜)
19:30~ 大名行列出立
八坂神社→商店街→鵜原駅で折り返し→商店街→八坂神社
21:00 神輿出立(商店街)
24:00 宮入り
01:30ころ 終了

【メモ】
進行中の行列を横切るのは厳禁です。この日は夜も大名行列が出ましたが,来年以降は不明だそうです。神輿は浜下りで波打際まで入ります。浜の鳥居を出立後は,大名行列と別行動で商店街にて休息します。宮入りでは,旧い神輿を拝殿内で激しく揉んで天井を突き破ります。カメラマンは日中は多いですが,夜は2人だけでした。駐車場は海岸沿いにあり。大名行列は県記録選択無形民俗文化財です。
※詳細記事は,本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しました。

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2010/07/19

館山・神余の羯鼓舞

館山・神余の日吉神社で行われた羯鼓舞を撮影。

100719【現地解説板の説明】
「このかっこ舞は,七月十九・二十日の二日間,区の氏神である日吉神社の例祭に奉納され,雨乞いをその目的としています。笛のお囃子に合わせて,親獅子,雌獅子,中獅子のカッコ三人とササラの四人が踊ります。かつて中断した時期もありましたが,昭和四十九年「あすなろ会」が中心となり見事に復活しました。現在,高校生を中心とする「あすなろ会」とそのOBがこのかっこ舞を演じています。カッコを高校生の男子もしくはOBが,ササラを高校生女子が担当します。以前は個々の家を回りながら奉納されましたが,現在は社前で二回,神余地区の八か所で各一回の計十回が演じられています。」

【この日の進行スケジュール】
10:00~ 拝殿神事(かっこ舞役員)
11:00~ 社務所で直会
12:30~ かっこ舞(日吉神社)
鳥居下から練り込み→大注連張り→踊り込み→中獅子舞→親獅子舞→三匹舞→きり舞→二匹舞→三匹舞
13:10ころ 終了
13:20~ 練り込み行列で移動
13:30~ かっこ舞(久所集会所)
大注連張り→踊り込み→中獅子舞→親獅子舞→三匹舞→きり舞→二匹舞→三匹舞
14:10ころ 終了

【メモ】
この日は,神社と久所集会所の二カ所で舞いました。神社では,ふるさと講座の見学者やカメラマンが大勢で賑わいました。獅子の動きが半端なく激しいので,シャッター速度優先で撮影。構図的には,大注連縄の前で舞うので,注連縄の処理に工夫が必要です。夏の日差しが強く,コントラストが激しすぎて泣かされました。駐車場は神社下にあり。
※詳細記事は,本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しました。

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2010/07/18

酒々井・墨の獅子舞

酒々井町・墨の六所神社で行われた獅子舞を撮影。

100718【現地解説板の説明】
「墨の獅子舞は,享保十九年(一七三四)墨村の鎮守六所神社の社殿を改築し,その遷宮式に奉納のため,出羽国羽黒山から師を招いて伝授をうけたのが始まりと伝えられている。五穀豊穣・雨乞いの祈願をかけて春秋二回,区内神社と区長宅で演舞されていたが,中絶の時代もあった。大正十五年(一九二六)再開されてからは毎年七月十五日,六所神社と区長宅の二カ所で演舞されるようになり現在まで続いている。
その演目は,「足揃え」「芝獅子」「剣の舞」「猿獅子」の演目が伝承されている。獅子三,猿一,笛,大太鼓,小太鼓という構成である。現在,墨獅子舞保存会を組織して演技伝承に努めている。」

【この日の進行スケジュール】
16:00~ 開始
花万灯を先頭に神社に練り込み→拝殿を三週→足揃え→芝獅子(雌獅子→中獅子→雄獅子)→休憩(40分)→幣束獅子→剣の舞
18:20~ お楽しみ抽選会
19:00ころ 終了

【メモ】
例年より1時間早く始まり,区長さん宅での舞はありませんでした。本来は23:00ころまで舞うそうです。休憩をはさんで舞人が交代し,「幣束獅子」を舞います。最後の「剣の舞」は,中獅子が四方に塩を撒いて清め,日本刀で四方固めをします。カメラマンは十人くらいでした。駐車場は神社前にあり。
※詳細記事は,本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しました。

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2010/07/17

野田・野田のつく舞

野田・キッコーマン本社駐車場で行われた「つく舞」を撮影。

100717b【現地解説板の説明】
「利根川の中・下流域に伝わっている雨乞いの民俗芸能。昭和八年の調査によると,野田地方では,享和二年(一八〇二)の夏に大干魃があり,その際,当時の野田町や山崎村で行われた雨乞いの行事が最初で,文政元年(一八一八)愛宕神社の祭礼において初めて津久舞として演じられたという。現在では,十四・五mほどの柱の頂上に醤油樽が付けられ,雨蛙姿に扮装した「ジュウジロサン」と呼ばれる津久男が,お囃子につれて正体・横体・逆体と曲芸を演じながら登る。頂上の樽の上に立って,破魔矢を四方に射つ神事を行い,その後綱渡りの離れ技で下降する。現在このつく舞は,七月に行われる夏祭りの中日にとりおこなわれているが,かつての旧野田町の上・中・下の各組が毎年交代でツクネンバンと呼ばれる行事役になって行われ,今日まで伝えられてきたものである。」

【この日の進行スケジュール】
19:30~ 隣の琴平神社前広場で式典(津久舞関係者のみ)
20:00~ 開始
神社前広場から短い練り込み→曲芸→頂上で破魔矢→逆立ち→綱を腹ばいで下降
20:30~ 神社前広場で手打ち式
20:50ころ 終了

【メモ】
立入禁止エリアが広く,柱には近寄れません。演者が柱に登り始めたらフラッシュ撮影は厳禁です。高感度撮影(ISO6400)にしましたが,距離があるので甘々ブレブレの写真を量産しました。観客とカメラマンは多いです。駐車場は会場内に余裕があれば駐車可のようですが,現地警備員の指示に従ってください。
※詳細記事は,本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しました。

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2010/07/11

木更津・木更津ばやし

八剱八幡神社の例祭で演じられる木更津ばやしを撮影。

100711【発祥碑の説明】
「古来より民俗芸能は,その土地の氏神様と深いつながりがありまして,神を敬い尊び,民衆の心のよりどころとし,祭礼には山海の珍味を神前に御供えして御祝いをする行事ですが,木更津ばやしもその例に漏れず八剱八幡神社の祭礼に奉納されました。
その伝来は,慶長十九年(一六一四)十一月,豊臣方徳川方両軍の大軍が争いました大阪の役に際し,当時木更津の漁民は徳川方の水軍として出陣。抜群の功名をたて徳川方の勝利をもたらした褒賞として江戸通いの港として今の東京・中央区一石橋一帯の河岸を木更津河岸と称し,特権を与えられ木更津船の威勢を示し,その際,種々な文物の交流があり,この木更津ばやしも江戸の神田囃子から更に踊りは浦安方面からサカンダネ(肴店)と呼ばれた海辺の若い衆に伝わったもので,曲ははやし,昇殿,神田丸,鎌倉,仕丁面の五曲,面はキツネ,笑い,怒り,おかめ,ひょっとこの五面で,使用する楽器は大太鼓一,小太鼓二,鉦一。
尚,本県に祭りばやしは幾多ありますが,その歴史的背景と伝承が比較的明らかでその優秀性を認められて居りましたが,昭和三十七年春,当町内及び近隣の同好の有志の方々の配慮により,はやしの継承のため保存会を設立。役員に会長○○氏,副会長○○氏,同○○氏就任。その年千葉県教育委員会に無形文化財に指定の申請書を提出。翌三十八年五月四日付けにて指定の認定書交付され,その後四十三年館山市にて開催のNHKふるさとの歌まつりに出演を皮切りに,大阪万国博,若潮国体等幾多の行事に参加出演し,木更津の名を広め,当市の宣伝に貢献し現在に至りました。後援会設立を期に茲に記念碑を建立し後世に伝えるものであります。」※○印は実名なので伏せました。

【この日の進行スケジュール】
14:00~ 仮設舞台を設営
15:20~ 開始
キツネ(はやし)→笑い(昇殿)→怒り(神田丸)→おかめ(鎌倉)→ひょっとこ(仕丁面)
15:35ころ 終了

【メモ】
八剱八幡神社祭礼の最終日に演じられます。榊と鈴を持って舞うキツネが見どころ。演目ごとの舞い時間は短いです。前にイス席が並ぶので脚立を使いました。カメラマンは少かったです。駐車場はなし。
※詳細記事は,本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しました。

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2010/07/04

富津・鶴岡の羯鼓舞

富津・鶴岡の浅間神社で行われた羯鼓舞を撮影。

100704【現地解説板の説明】
「鶴岡の羯鼓舞は,明治以前より同地区内の長男の間に伝承され,毎年七月一日の浅間神社例祭および時には干魃の続く年に雨乞い祈願のために上演奉納されてきたものであるが,後継者難のため,しばしば伝承は中断された。大正十年三月に再興され,昭和初めまで行われ,昭和二十九年に三興し昭和三十三年まで行われ,そして昭和五十年七月に四興し現在に至っている。市内に伝承されている唯一の羯鼓舞である。
例祭時,羯鼓舞保存会の人たちにより,拝殿石段下のこの広場において,雄獅子役二名,雌獅子役一名,ササラ役の子ども四名,囃子手九名の合わせて十六名の構成で,十一曲目を約二時間にわたって上演する。
演舞者の服装は,古くは着物の上に麻や木綿のゆはぎ,かたびらを羽織り,能袴をつけ白足袋をはいていたが,現在はゆかたに能袴,白足袋姿である。
用具は獅子頭三,羯鼓三,笛四,鋲打太鼓一,締太鼓二,摺鉦二,弓一,花笠四,ササラ四,羯鼓舞踊順序一の計二十五点である。」

【この日の進行スケジュール】
正午すぎ~ 拝殿神事(役員)
13:20~ 拝殿前で祝詞・修祓(羯鼓舞関係者)
14:00~ 開始
鳥居前から短い練り込み(入り節)→雌獅子舞→中獅子舞→頭獅子舞→宮入→地天書・豆撒き→子供囃子→中獅子返し舞→頭獅子返し舞→雌獅子隠し→ささら踊り
15:30ころ 終了

【メモ】
中獅子は幣束舞い,頭獅子は弓くぐりがあります。観客とカメラマンは多かったです。駐車場は神社前と裏にあり。
※詳細記事は,本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しました。        

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