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2010/03/22

香取・境宮神社十二面神楽

香取市(旧小見川町)一ノ分目の境宮神社で行われた神楽を撮りに行って来ました。

100322江戸中期から続く五穀豊穣祈願の十二座神楽ですが,後継者難で昭和43年を最後に二十年間中断しました。
昭和50年初めに神楽囃子が,昭和63年に神楽が復活しました。現在は,一之分目神楽保存会の皆さんが継承し,毎年3月27日前の日曜日,境宮神社の拝殿で奉納されています。

午前11時半に現地到着。神楽は正午に始まりました。この日の演目は,猿田彦,三宝荒神,八幡神,天乙女命,天手力男命,天宇受売命,白狐,稲荷,恵比寿(右の写真)と火男,〆は建速須佐之男命の十座でした。猿田彦の舞い時間は1時間50分に及びました。ひとつの演目が終わるごとに餅撒きがあり,午後5時半ころ終了しました。

今回の機材は,DX17-55/2.8G,VR70-200/2.8G,D300×2,SB-800×2でした。神楽殿は床が低く,正面と左が開いています。脚立は不要で,あまり使いませんでした。
見物人は,地元の人たちが結構来ていて,アマチュア・カメラマンは十数人でした。

(2015.3.22追記)境宮神社十二面神楽は、2015年1月の神社焼失で神楽道具が失われたため、現在は中断しています。

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2010/03/20

香取・白川流十二神楽

香取市(旧山田町)新里の八重垣神社で行われた神楽を撮りに行って来ました。

100320江戸末期の文化4年(1804),当時の名主などの有志が,天下泰平と五穀豊穣を祈り,永代神楽講を起こして奉納したのが始まりです。
戦時中は中断(稚児舞だけ存続)しましたが,昭和23年から氏子青年団が,昭和51年からは神楽保存会の皆さんが伝承し,毎年3月20日の八重垣神社例祭に神楽殿で奉納されています(市無形民俗文化財)。

神楽は午後2時からですが,正午ころ現地に到着。あれ,神社前の駐車場は早くも満車です。
午後1時ころ,すぐ隣の集会所から短い練り行列を作って神社に練り込みます。拝殿で神事の後,神楽殿前に設けられた湯釜で短い湯立て神事がありました。

午後2時ころ,神楽が始まります。十二座が伝わりますが,この日の演目は,猿田彦,乙女,手力男,稚児舞(朝日の舞),八幡,稚児舞(夕日の舞),受持之命(上の写真),田人(稲荷),三宝荒神,種蒔き,〆は須佐之男尊でした。途中,2回ほど餅(菓子)を撒き,午後5時半ころ終了しました。

今回の機材は,DX17-55/2.8G,VR70-200/2.8G,D300×2,SB-800×2でした。神楽殿は,床が高く,正面と左右の一部のみ開いています。正面は湯立ての祭壇があるので,左右から狙うことになりますが,左右に楽師が入るので,撮影位置はかなり限定されます。脚立は3段を用意したいところです。
汗ばむほどの陽気の下,ストロボの調光補正は広角が-1段,望遠が-0.7段でちょうどいい感じでした。アマチュア・カメラマンは十数人でしたが,いいポジションで撮れたのは3人くらいだったのではないでしょうか。

最後に須佐之男尊が投げた鏡餅を,たまたまゲットしてしまいました。氏子総代さんに頼まれた写真の奉納は,お餅の御礼として必ずプリントして送らせていただきますね(笑)。

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2010/03/17

韓国・北村韓屋村

青瓦台から20分ほど歩いて,北村韓屋村(プッチョンハノッマウル)へ。

100313b王朝時代,二つの王宮(景福宮と昌徳宮)に挟まれたこのエリアは,役人や両班(ヤンバン)などの上流階級が住む地区でした。

新しい建物が多いソウルの中でも,伝統的な家屋(韓屋)がたくさん残っています。日本でいう「重要伝統的建造物群保存地域」みたいな感じです。経済的にも文化的にも意識の高い地域だった名残りか,伝統文化や工芸をテーマにした博物館や美術館,ショップも点在しています。

細い路地をアップダウンしながら歩くので大変でしたが,独特の情緒がありました。最近は訪れる観光客も多いようで,ガイドブック片手に歩いている日本人観光客をたくさん見かけました。

この後,地下鉄で明洞に戻り,石焼きビビンバ発祥の店で昼食。ロッテ百貨店でお土産を買い込み,南大門のカメラ店街を覗いて,夜のJAL便で帰国の途に着きました。

今回の旅は,王宮を訪ね歩き,あちこち撮り歩いたので大満足の旅となりました。面白いぞ,韓国。旅の機材は,AF-S DX 18-55mmF3.5-5.6GII,Nikon D40。三脚は軽量のスプリントPROを持参しましたが使いませんでした。羽田到着は午後10時15分。駐車場で車を受け取り,首都高で帰りました。

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2010/03/16

韓国・青瓦台

最終日の3日目は,妻と景福宮~三清洞(サムチョンドン)~北村(プッチョン)を歩きました。

100313aソウル駅から地下鉄を乗り継いで景福宮へ。守門将の交代式を見学した後,妻は日本語ガイドツアーに参加。私は昨日に続いて2度目の訪問で,前回撮り損なった建物を撮り歩きました。

景福宮の北門を出ると,そこは青瓦台(大統領官邸)です。観光地の景福宮から一転,十数mおきに私服警官が立つ厳重な警備で,近寄りがたい雰囲気です。長い間一般の立ち入りはもちろん,写真撮影も禁止されていました。現在は,限られたスポットで記念写真はOK(ビデオはNG)です。
上の写真は,「フォト・ポイント」(撮影許可位置)から撮ったものです。写っていませんが,この画面の外には5~6人の私服警官が立っています。

青瓦の建物が本館で,1階に大統領夫人の執務室や会議室,2階に大統領執務室があるそうです。背景は北岳山(プガッサン)で,風光明媚な場所です。横断歩道で向こう側に渡ろうとしたら,すぐに私服警官に制止されました(汗)。

緊張した空気の中,徒歩で東側の三清洞へ抜け,古い家並みが残る北村へと向かいました。

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2010/03/15

韓国・宗廟

昌徳宮を出て,歩いて宗廟(チョンミョ)へ向かいます。

100312c宗廟は,歴代王・王妃の位牌を祀った祭祀場で,1395年に李氏朝鮮初代王・太祖が建設しました。1592年の文禄の役で焼失し,1608年に十五代王・光海君が再建しました。

歴代王・王妃が祀られるにつれて増築を重ね,横に長い建物になりました。1421年には正殿の西に別廟(永寧殿)も建設されています。
正殿は,名君とその王妃49人の位牌が19室に祀られています。永寧殿は,正殿から移した王とその王妃,死後に称号を贈られた王とその王妃34人の位牌が16室に祀られています。廃位された燕山君と光海君はどちらにも祀られていないそうです。

今回は15時からの無料日本語ガイドツアーに参加しました。現地ボランティアさんが,御粛室→正殿(国宝)→永寧殿(国指定宝物)と回って日本語で説明してくれ,見どころがよく分かります。ツアーは9時半,15時の2回,所要時間は1時間ほどです。

上の写真は,宗廟の正殿です。あまりに横長すぎて全景が入りません。中央の黒い石畳は,歴代王の霊が通る道。先祖を敬う儒教の教えどおり,宗廟では先祖の霊が最上位とされ,王といえども道の中央を歩くことは許されませんでした。
廟前の広場では,毎年5月第一日曜,王族の子孫が集まって盛大な祭礼(韓国重要無形文化財)が執り行われるそうです。
世界的にも,このように大規模に歴代王を祀っている例は珍しく,世界遺産に登録されています。

ツアー終了後,隣接する昌慶宮(チャンギョングン)も見学しました。夕方,地下鉄で明洞(ミョンドン)へ移動して家族と合流。夕食は口コミで評判の焼き肉店で骨付きカルビを堪能し,エステに行く家族と別れて先にホテルに戻りました。丸一日歩き疲れて爆睡…(笑)。

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2010/03/14

韓国・昌徳宮

景福宮の次は,地下鉄で昌徳宮(チャンドックン)へ。

100312b李氏朝鮮三代王・太宗が1405年に建てた離宮です。文禄の役(1592)で正宮(景福宮)が焼失したため,以後270年にわたり正宮として使われました。そのため,王が政務を執った正殿や王族が暮らした内殿などの殿閣がひととおり揃っています。

昌徳宮は,自然の地形美に溶け込んた殿閣の配置が特徴で,人工的な造りの景福宮と対照的です。最も韓国的な宮廷と云われ,世界遺産に登録されています。保全のため見学に制限があり,必ずガイドツアーに参加しなければなりません。

今回は12時半からの無料日本語ガイドツアーに加わりました。現地ボランティアさんが,敦化門→錦川橋→仁政殿(国宝)→大造殿(王の内殿)→楽善齋(側室殿)→宙合楼と回りながら,日本語で説明してくれました。ツアーは9時半,10時半,12時半,14時半,16時半の5回,所要時間は1時間20分ほどです。

写真は,後苑(庭園)にある芙蓉池で,昌徳宮の中で最も美しいと感じた場所です。奥の大きな建物は,二十二代王・正祖が1776年に建てた宙合楼,その左が書香閣で,いずれも王室の書庫でした。宙合楼とは「天地宇宙と通じる家」という意味だそうです。手前の門は魚水門で,「魚は水を離れて暮らすことはできない」との故事から「王は常に民のことを考えよ」と戒めたものと云われています。昔の王様は偉かったのですね。

次は,やはり世界遺産に登録されている宗廟(チョンミョ)へ移動します。

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2010/03/13

韓国・景福宮

2日目は,ソウル市内の王宮を巡りへ。今日も買い物組の妻や娘とは別行動です。

100312aまず,最初の宮廷が置かれた景福宮(キョンボックン)へ。

李氏朝鮮王朝を拓いた太祖(李成桂)が,1395年に漢陽の都に建てた宮廷です。「新しい王朝が大きな福を享受して繁栄する」という意味で景福宮と名付けられました。日本では,室町期の足利三代将軍義満の時代に当たります。
宮廷には,王と役人が政務を行った外殿,王族や宮人が生活した内殿,側室や宮女が暮らした後宮,風光明媚な池や楼閣など数多くの建物が並び,数千人が暮らしたと云われます。

景福宮は,1592年の文禄の役(豊臣秀吉の朝鮮出兵,韓国では壬辰倭乱)で焼失。このため,土地が不吉だとして再建されませんでした。1867年,太院君(最後の李氏朝鮮王・高宗の父)が再建したものの,明治末期の日本による韓国併合でほとんどの殿閣が破却されました。現在,1990年から2025年までの予定で,李氏朝鮮王朝時代の姿に戻すべく復元が進んでいます。

この日は,10時からの無料日本語ガイドツアーに参加しました。現地ボランティアさんが,興礼門→勤政殿(国宝)→思政殿→慶会楼→康寧殿(王の内殿)→交泰殿(中宮殿)を回りながら,日本語で説明してくれます。ツアーは10時,12時半,14時半の3回,所要時間は1時間ほどで,見どころがよく分かってお勧めです。

写真は,復元された興礼門と守門将の交代式の様子。色鮮やかな時代絵巻が午前10時から午後3時まで1時間おきに行われ,かつての王朝の栄華を彷彿とさせます。

次は,世界遺産に登録されている昌徳宮(チャンドックン)へ移動します。

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2010/03/12

韓国・東大門

Nソウルタワーに続いて,夜の東大門(トンデムン)へ。

100311b東大門は,終夜営業のファッションビルや食べ物の屋台が建ち並ぶ「眠らないエリア」として有名です。買い物目的の妻や娘たちと別れ,私はライトアップされた東大門(左の写真)へ直行です。

東大門(興仁之門)は,李氏朝鮮王朝を拓いた太祖(李成桂)が首都・漢城の東門として1398年に建設しました。日本では,室町期の足利四代将軍義持の時代です。
現在の建物は,最後の李氏朝鮮国王・高宗が1869年に再建したものです。石造りの城門に二層の楼閣を乗せた壮麗な門で,韓国指定宝物です。

本当は,国宝の南大門(ナンデムン=崇礼門)が見たかったのですが,2008年に放火で焼失し現在も復元工事中です。東大門より規模が大きかったそうで,復元後はぜひ訪れたいと思っています。

余談ですが,写真に写っているクルマは日本車ではありません。ソウルでは,ほとんどがヒュンダイか起亜で,あとはベンツかBMW,VW,ボルボで日本車は滅多に見かけませんでした。日本の小型車市場から撤退したヒュンダイですが,中~大型乗用車に魅力的なクルマが多かったです。

この後,地下鉄でホテルに戻りましたが,駅の出口を間違えて道に迷いました。観光客と無縁の場所はビルや道路標示がハングルだけで,完全に方角を失い深夜の街を1時間くらい彷徨いました(笑)。

明日は,朝鮮王朝時代の王宮を巡ります。

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2010/03/11

韓国・ソウルへ

年度末の仕事の慌ただしさをやりくりして,韓国へ家族旅行に行ってきました。

100311a初めての韓国でしたが,パックツアーがどこも満員だったので,往復チケットとホテルだけ手配してもらい,3日間とも終日フリーの旅行となりました。

朝,JAL便で羽田から出発。正午前にはソウル・金浦空港へ到着しました。この日のソウルは最低気温-3度。市内のあちこちに先日降った雪が残っていて寒かったです。
迎えのバスで南大門近くのホテルにチェックイン。そのまま市内随一の繁華街・明洞(ミョンドン)へ。ロッテ百貨店での買い物は妻と娘たちに任せ,カフェでのんびりします。

異国でコーヒーを飲みながらボーッとしていると,十数年前に滞在したワシントンDC時代を想い出しました。ちなみに,コーヒー1杯が5500ウォン。今のレート(1ウォン=0.08円)で440円でした。

夜は,現地オプショナル・ツアーでソウル夜景コースへ。焼き肉店で骨付きカルビと本場のチヂミ,キムチとマッコリ(濁り酒)を堪能した後,Nソウルタワー(上の写真)に夜景を見に行きました。
1971年に完成した放送用電波塔で,2005年にリニューアルして「南山タワー」から「Nソウルタワー」に改称しました。タワーの高さは230mですが,タワーが立つ南山の標高と合わせると479mあります。
展望台に本格的な高級レストランやカフェがあって,ソウルで一番ロマンティックな夜景を眺めながら食事を楽しむ若いカップルで賑わっていました。

次は,夜の東大門へ向かいます。

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2010/03/06

白子・御田植祭

白子町の白子神社で行われた御田植祭を撮りに行ってきました。

100306五穀豊穣と産業隆昌を祈願して,春季祭礼(毎年3月第一土曜日)で行われています。神の田に見立てた「太鼓田(たいこでん)」を使い,拝殿内で行う珍しい神事で,町の無形民俗文化財です。

午前10時から本殿祭(神事と巫女舞い)がありましたが,今回はパス。雨の中,午前11時半ころ現地入り。拝殿をロケハン中にどんどん雨が強くなります。
午後1時,拝殿で神職と早乙女が段取りを最終チェックします。この「予行演習」で試し撮りして,機材の設定をチェック。
午後1時半,式典が始まります。修祓の儀,振舞い酒の儀,田耕の儀,牛耕の儀,代かきの儀,播種(ばんしゅう)の儀,御田植えの儀,謡い初めの儀,誓(うけ)いの儀と続き,最後に餅と福銭を参拝者に配り(晴れなら撒くそうです),午後2時ころ終了しました。

今回の機材は,DX17-55/2.8G,DX10.5/2.8G,VR70-200/2.8G,D300×2,SB-800×2でした。拝殿内は,魚眼では広すぎ,望遠では狭すぎる微妙な距離で,DX12-24/4Gが欲しくなりました。反省点はストロボ。調光補正は-0.7~-1段でOKでしたが,縦位置なので影の出方を考えて撮るべきでした。
拝殿内は,左右の両側前列に神職と氏子の皆さんが座ります。その間から撮るためアングルの自由度は高くありません。特に,メインの早乙女の田植えは横からの撮影となります。正面から撮りたい場合は,式典後にカメラマンのリクエストに応じていくらでも撮らせてくれますから,それまで待ちましょう(笑)。荒天でしたが見物人は20人くらい,アマチュア・カメラマンは十数人でした。

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