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2010/01/31

佐倉・立身流抜初

佐倉市の中央公民館で行われた立身(たつみ)流の抜初(ぬきぞめ)演武大会を見に行ってきました。

100131立身流は,戦国時代に伊予(愛媛)の立身三京が創始した武術です。江戸時代,山形藩主・堀田氏に取り立てられ,堀田氏の佐倉転封とともに佐倉の地に伝わりました。
文武を奨励した佐倉藩に5派あった剣術のうち,立身流だけが継承されており,22代宗家のもとで門下の皆さんが腕を磨いています(県無形文化財)。

抜初は,藩の演舞場の年頭行事で,藩主の前で行われたそうです。その伝統を受け継ぎ,毎年1月下旬に佐倉市と八街市で交互に開かれています。

午後1時,玉串奉奠。場内を清める「初礼の儀」で始まります。来場者のために立身流の形の解説があり,抜初演武が始まりました。熟練度によって序,破,急の組が立合と居組を演じます。3~5人の組が,いっせいに抜刀し迫力があります。撮る方も自ずと真剣になります。門下生の演武が終わったところで,本来の抜初は終了です。

その後,琉球古武術保存振興会による招待演武,立身流の各種演武(上の写真),宗家の演武が披露され,午後4時に終了しました。

今回,機材はDX17-55/2.8G,D300,SB-800でした。瞬間を捉えるので高速連続撮影でしたが,ストロボ発光が全然ついてきません。やむなくISOオートにしましたが,D300の上限3200では屋内では辛いものがありました。あと,ピンと張り詰めた空気の中では,カメラのシャッター音が結構気になりますね(汗)。

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2010/01/24

郷土芸能の祭典

柏の県民プラザで行われた「郷土芸能の祭典 in Chiba」を見に行ってきました。

100124参加団体は,銚子・はね太鼓(ひびき連合会),旭・囃子(海上広原暁会),木更津・木更津甚句(同保存会),九十九里・黒潮太鼓(九十九里黒潮太鼓),本埜・八幡神社の獅子舞(同保存会),館山・柏崎の御船歌(國司囃子保存会),松戸・万作踊り(同保存会),浦安・浦安囃子(同保存会),山武・囃子(大富ばやし),鎌ヶ谷・笑福踊り(笑福連)の10団体でした。

現地に行かずしてこれだけ多くの郷土芸能をまとめて見られる機会はそうありません。大ホールは,立ち見が出るほどの盛況ぶりでした。

もちろん,舞台での上演ということで,現地の祭礼で演じられるのと少々イメージが異なります。民俗芸能は,伝承地の風景の中で撮影したいので,いずれ現地を訪れようと思っています。今回は,各団体の解説が聞けて,音録りもできたので,将来の撮影行に向けて大変参考になりました。

写真は,銚子・ひびき連合会の皆さんによる「正調・銚子大漁節」。白浜音頭,木更津甚句と並ぶ千葉の三大民謡の一つです。機材は,いつものDX17-55/2.8G+D300ですが,ノーストロボの手持ち撮影でピントの甘い写真になってしまいました(汗)。

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2010/01/20

流山・鰭ケ崎おびしゃ行事

流山市・鰭ケ崎のおびしゃ行事を撮りに行ってきました。

100120家内安全と五穀豊穣を祈るおびしゃで,毎年1月20日,雷(いかづち)神社で行われます。「トウ渡し」(新旧当番の引継行事),弓矢による「的撃ち」,直会の獅子舞と里神楽,新当番宅へ味噌樽と米樽を送り届ける「送り込み」と,ほぼ半日かけて行われます(市無形・県記録選択無形民俗文化財)。
旧当番が七福神,新当番が裃姿で催行する点がユニークですが,これは昭和の終わりからと新しい試みのようです。

午後1時,現地到着。神社周辺には本当に駐車場がなく焦りました。午後3時,拝殿で神事が始まります。午後3時20分,新旧当番が対座して御神酒を交わし,「トウ渡し」が行われました。
続いて「的撃ち」です。来賓と神職に続き,新旧当番が揃って的を射ます(写真は,右が大黒様の旧当番,左が裃の新当番)。赤鬼・青鬼を描いた的までの距離は5mほどですが,手作りの弓矢なのでまっすぐ飛びません。的に当たると,大勢の見物人から歓声が上がっていました。

午後3時半,社務所で直会が始まります。午後4時半ころから赤城保存会による獅子舞と神楽が演じられました。神楽の演目は,狐の種まきを田吾作が邪魔をする「たねがし」でした。

午後6時,「送り込み」の行列が神社を出発します。灯りを入れた万灯を先頭に,七福神が「送り込みだよーい」「よぉーい」と叫びながら,新当番のハナト(筆頭)宅まで味噌樽と米樽を運びます。昔は大八車でしたが,今は軽トラに空樽を載せて運んでいます。住宅地に配慮してか,送り込みの叫び声も軽トラのお囃子(テープ)も少々控えめでした。
新当番宅に着いたのは午後7時。大座敷で旧当番から新当番へお面や衣装が引き継がれ,すべての行事が終了しました。

今回の機材はDX17-55/2.8G,VR70-200/2.8G,D300×2,ストロボはSB-600でした。反省点は,レンズの選択。狭い境内は望遠系ズームの出番なく,室内撮影用に魚眼レンズを持って行けば面白かったかも知れません。「的撃ち」をしている時間は10分程度です。危険なので規制ロープが張られ,その外にたくさんの見物人とアマチュアカメラマンが入ります。混雑するのは直会の神楽まで。「送り込み」行列まで残っていたのは数人でした。

忙しい中,いろいろ教えて頂いた上,ジュースや甘酒をごちそうになり,地区の皆さん,ありがとうございました。

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2010/01/17

市川・国府台辻切り

市川市の国府台地区に伝わる「辻切り」を撮りに行ってきました。

100117「辻切り」は,悪霊や悪疫が村に入るのを防ぐため,村の四隅の辻を霊力によって封じた習俗です。県内でも数少なくなった行事ですが,国府台地区では,毎年1月17日,国府台の天満宮で藁蛇を4体作り,集落の東西南北に据え付ける行事が保存会の皆さんによって継承されています(市無形民俗文化財)。

午前8時,現地到着。車を里見公園駐車場(江戸川沿い)に置き,石段を登るとすぐ神社です。午前8時半,保存会の皆さんが集まり始め,地元の小学校が校外学習で見学に到着。午前9時ころから,藁蛇作りが始まりました。

頭を編むのは4人。拝殿前で,藁で頭,下顎,舌を4体分作ります。
目玉を作るのは,ご婦人1人。半紙に一昨年の藁蛇を焼いた灰を入れ,丸く包んで麻で縛り,墨で目玉を描きます。これを全部で8個作ります。
胴体を編むのは4人。境内の木に吊した藁束を,男性3人が締めながら編み上げます。ご婦人1人がタイミングよく稲藁を手渡します。

1時間ほどで,約2mの藁蛇が4体完成しました。藁蛇に御神酒を飲ませて「魂入れ(たまいれ)」をして,集落の四隅に運びます。1体ずつ運んで,北(国府台3丁目),西(江戸川への石段わき)の道を見下ろす木に縛り付けられました(写真は,北の辻での様子)。
続いて,南(国府台病院そば)と東(じゅんさい池の交番手前)ですが,少し遠いので軽トラに乗せられて運ばれました。正午前,無事に4体を据え付け,行事が終わりました。

今回の機材はDX17-55/2.8G,VR70-200/2.8G,D300×2,SB-600でした。反省点は,シャッター速度を落としすぎ,撮影枚数の割に歩留まりが悪かったこと。撮影中に設定を確認しなかったミスです。
地元小学校が見学に来ているのと,一般の見学者で結構な人出となりました。アマチュアカメラマンも多かったです。

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2010/01/10

流山・ヂンガラ餅行事

流山市三輪野山の茂侶神社で行われたヂンガラ餅行事を撮りに行きました。

100110毎年1月8日(最近は最寄りの日曜)に行われる三輪野山地区のオビシャで,八升の御神酒,八升の鏡餅(上3升,下5升),八種類の野菜の煮物が供えられます。神事の後,「餅取り」行事では,男衆が鏡餅を奪い合い,神職が餅の割れ方で一年の豊凶を占います(市無形民俗文化財)。

朝10時,現地到着。氏子の皆さんが拝殿を掃き浄め,注連縄を張り,鏡餅を運び込みます。その様子を見学していると,保存会長さんから貴重なお話を伺うことができました。
午後1時すぎ,神事が始まります。神事の後,トウ流し(年番の引継ぎ)と簡単な直会がありました。そして,拝殿の畳が上げられ,窓ガラスが外されると,いよいよ「餅取り」です。

午後2時,参道から半被姿の男衆が入場します。神職が5升の鏡餅を投げ入れると,裸の男衆が餅を奪い合い,「ワッセ,ワッセ」と激しくぶつかります。渾身の力で引っ張りますが,固い餅はびくともしません。取り合うこと30分余り,最後は柱に打ち付けてようやく餅が割れました。神職が割れ方で作柄を占い,「豊作」を宣言して,午後3時前ころ終了しました。

この行事は,かつては近郷から若衆が集まり,ふんどし一本の裸で餅を奪い合う奇祭として知られていました。なぜヂンガラ(神賀楽)というのか,その由来はよく分からないそうです。

今回の機材はDX17-55/2.8G,VR70-200/2.8G,D300×2,ストロボはSB-600・800でした。「餅取り」は,本番前の10分間だけ拝殿内での撮影が許可されます。高齢のアマチュアカメラマンの安全に配慮した措置だそうですが,揉み合う男衆の動きは激しく,報道カメラマンも逃げ回りながらの撮影でした。自分で身の安全を守る自信がない人は,危険なのでやめた方が無難です。
「餅取り」が始まるころには,拝殿の回りは見物客で身動きができなくなります。アマチュアカメラマンも数え切れないほど多いですが,拝殿内に入ったのは数人でした。

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2010/01/08

匝瑳・栢田仁組獅子舞

匝瑳市(旧野栄町)栢田地区で行われた仁組獅子舞を撮りに行きました。

100108毎年1月8日,仁組地区の初茶飯の祝い日に五穀豊穣・無病息災を願い,獅子が地区の各戸を悪魔払いして歩きます。

二人立ちの獅子舞で,演目は「平獅子」「鳥刺し」「和唐内」「釣り玉」「梯子獅子」「狂い」があります。伝承によると,天明年間(1781~1789)の飢饉で各所に疫病がはやった際,木戸地区(今の横芝光町)から獅子舞を習い覚えたのが始まりと云われ,県無形民俗文化財です。

午前8時半,稲荷神社に着くと誰もいません。地元の人に当番家を教えてもらいます。午前9時,当番家で安全祈願が始まります。水榊でお祓いし,御神酒を頂き,いよいよ村回りへ。軽トラックに大太鼓と獅子頭を載せ,舞い手とお囃子(笛2,小鼓5,太鼓1)は歩いて回ります。
獅子は,各戸の座敷に上がって舞い,悪疫退散を祈願します。数軒のお宅では玄関前で舞いました。終わると,家人の頭を噛んで無病息災を祈ります。今回,地区31戸のうち28戸を回り,午前11時半ころお開きとなりました。

機材はDX17-55/2.8G,VR70-200/2.8G,D300×2,ストロボはSB-800でしたが,望遠系は使いませんでした。反省点は,リサーチ不足。梯子獅子を期待して現地入りしましたが,今年は村回りのみ。保存会長さんの話では,梯子獅子は舞い手がおらず,毎年はできないそうです。昨年,神社に梯子獅子専用のコンクリート柱を建てたので,来年か再来年にはぜひ梯子獅子をやりたいとのことでした。
村回りで舞うのは平獅子で,1回の舞い時間は短いです。家の中で舞うので,シャッターチャンスも限られます。そのせいか,アマチュアカメラマンは私ともう一人,あとは市広報さんだけでした。
詳しく教えていただいた保存会長さん,舞い手のお二人,座敷での撮影を快諾していただいた地区の皆さん,ありがとうございました。

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2010/01/03

沖縄・摩文仁の丘

沖縄旅行3日目。那覇から県南部を回ります。新原ビーチのグラスボートで珊瑚礁の海を楽しみ,奥武島で藻ずくの天ぷらに舌鼓を打ち,おきなわワールド(旧玉泉洞)では,沖縄の盆踊りをショー的にアレンジしたスーパーエイサーを楽しみました。
そしてバスは,南部戦跡の摩文仁の丘やひめゆりの塔へ。

100103県南部は,沖縄にとって多数の命が失われた霊地です。30年前,初めて南部戦跡を巡ったとき,本で読んだ知識しかなかった私は大きなショックを受けました。今も沖縄では,南部戦跡を観光ルートに入れることに賛否両論あるそうですが,何も知らない本土の人に沖縄戦の現実を伝えるには有効な手段だと思います。

摩文仁の丘は,切り立った断崖を太平洋の波が洗う険しい地形です。先の沖縄戦では,敗走した日本軍と住民はこの丘に追い詰められました。昭和20年6月23日,日本軍が壊滅して3か月に及んだ沖縄戦は終わります。このとき,多くの人々が,絶望の中,この丘から身を投げました。

写真は,摩文仁の丘にある平和祈念公園の「平和の礎」です。沖縄戦で亡くなった24万人余りの名前が刻まれています。県内戦没者の銘板に花を手向けに来ていた家族を見て,沖縄では戦争が過去のものでないことを改めて考えさせられました。
このあと,ひめゆりの塔とその祈念館を見学しました。何度訪れても,南部戦跡では心が重く苦しくなります。

沖縄の旅は,このあと那覇市内のDFSギャラリア(大型免税店)を回り,那覇空港で解散しました。

今回の旅の機材は,AF-S DX 18-55mmF3.5-5.6GII,Nikon D40,三脚は軽量のスプリントPROでした。羽田到着は午後10時15分。駐車場で車を受け取って首都高をのんびり帰りましたが,都内の夜景がやけに新鮮に感じられました。

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2010/01/02

沖縄・美ら海水族館

沖縄旅行2日目。名護から本部半島のガラス工房やパイナップル園を回りました。この辺は,昔からお決まりの観光コースです。

100102昼ころ,美ら海水族館に到着。いまや沖縄のメイン観光地ですね。30年前,この辺は海洋博の跡地で,オキちゃん劇場と海中展望塔しかなかったので,美ら海水族館には行ってみたいとずっと思っていました。

広い園内を,バス駐車場から10分ほど歩き,水族館に到着。珊瑚礁の海や熱帯魚,タッチプールを順路どおり見て回り,いよいよ大水槽(黒潮の海)へ。とてつもなく大きな水槽に,巨大なジンベエザメやマンタが悠々と泳いでいます。そのスケールの大きさは想像以上で,びっくりしました(上の写真)。
こうやって見ると,人間って小さな存在だなあと改めて気付かされます。いろんな悩みがちっぽけに思えてきて,心が無心に戻れる気がします。そのせいでしょうか,水槽の前に座り込んで,長時間ボーっと眺めている人々が多かったです。

水族館では,添乗員さんが機転を利かせて時間を長めにとってくれたので,ジュゴンやウミガメ,オキちゃん劇場のイルカショーも見学できました。

このあと,一般道を南下して東南植物楽園に立ち寄ります。園内バスの休憩所で食べた自家製サーターアンダーギーがおいしかったです。
さらに南下して那覇市内に戻り,ホテル泊。夜はタクシーで国際通りへ出て,散策がてらステーキハウスで夕食。旅の疲れと満腹感で,夜はぐっすり眠れました。
最終日は,県南部の戦跡などを回ります。

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2010/01/01

沖縄・首里城跡

あけましておめでとうございます。本年も,拙ブログをどうぞよろしくお願いします。

100101さて,沖縄旅行初日は,那覇市内の首里城跡を訪ねました。

沖縄は,明治12年(1879)まで,尚王が統治する琉球王国でした。1429年,琉球を統一した尚巴志(しょうはし)が,首里に王宮を置いて都とし,武より文を尊ぶ泰平の世が続きました。中国皇帝の勢力下にありましたが,1609年,薩摩藩の侵攻を受けて江戸幕府に恭順の意を示し,苦しい二極外交を余儀なくされました。結局,1879年,明治政府が武力制圧して日本に編入し,琉球王国は450年間の歴史を閉じました。

先の戦争では,首里の丘にあった旧陸軍司令部が米軍の集中砲火を受け,このとき国宝・首里城や城門も壊滅。戦後,城跡は琉球大学となり,昭和33年(1958)に守礼の門のみが再建されました。
大学の移転を機に,平成元年(1989)から首里城の復元が始まり,現在は正殿や城門,城壁が復元されて,首里城公園として公開されています(首里城跡と園比屋武御嶽石門は世界遺産)。

写真は,守礼の門です。今は,この門から石の階段を昇り,数々の城門を抜けると,朱塗りの正殿(王宮)が姿を現し,そちらが首里観光のメインです。復元された正殿の玉座も見学しましたが,30年前にはこの門しかなかったので,今だに私の中では「首里=守礼の門」のイメージです。

初日は,那覇から県中部の名護へ移動して海辺のリゾートホテルで泊。2日目は,県中部を回ります。

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