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2009/08/23

印西・別所の獅子舞

印西市別所の宝泉院で行われた獅子舞を撮りに行ってきました。

090823悪疫退散を祈願して奉納される三匹獅子舞で,毎年8月23日に宝泉院で,翌24日は地蔵寺で行われます。
もとは,800年ほど前,悪疫退散祈願で獅子が地区内を行道していたものが,江戸時代に今の形になったそうで,市無形民俗文化財です。

駐車場に車を置き,本堂へ。砂を掃き清め,四方に斎竹を立てた舞台ができています。午後4時,本堂横の集会所から,万灯を先頭に練り行列が出発。裏門から街道に出て,再び正門から境内に戻ります。

獅子舞は,雄獅子・中獅子・女獅子の三匹が,腹に付けた鼓を叩きながら激しく舞います。演目は,道笛,讃仰の舞,愛楽の舞,鎮護の舞,降伏の舞。雄獅子が女獅子を慈しんで舞うのは歓喜を,雄二匹が激しく舞うのは地蔵尊の悪疫退散を,四方の花笠の間を三匹で舞うのは地区内の四方固めを,それぞれ表しているそうです。後半には女獅子争い(上の写真)と弓越えがあり,舞い時間は1時間ほどでした。

今回の機材はDX17-55/2.8G,VR70-200/2.8G,D300×2でした。23日は総仕上げの練習舞いで,翌24日(施餓鬼会)が本番です。今回は,初日を取材しましたが,舞いの途中で先輩から厳しく指導が入るなど真剣そのもの。伝統を受け継ぐ厳しさと意気込みを感じました。
初日は地区の皆さんが見に来る程度で観客は少なく,アマチュア・カメラマンも数人でした。

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2009/08/22

流山・萬灯練行列

流山・駒木で行われた萬灯練行列を撮りに行って来ました。

090822成顕寺(日蓮宗)の諏訪霊王(大明神)大祭に,萬灯行列が賑やかに練り歩く行事で,同じ駒木の諏訪神社の神幸祭に合わせて行われます。

午後7時,諏訪神社前から萬灯行列が出発します。萬灯は,講中ごとに意匠を凝らしています(上の写真)。今回は,成顕寺から3つ,近隣寺院から4つの講中が計7基の萬灯を出していました。

行列は,太鼓や鉦のお囃子にのり,火消し装束で纏を振りながらゆっくり進みます。火消し装束で纏を振るのは,日蓮宗寺院ならではのスタイルです。行列の中でとりわけ目を引くのは,龍舞です。諏訪霊王の御神体(龍神)を表した巨大な龍が,赤い玉を追いながら右へ左へ大きくくねりながら進みます。

行列は,諏訪神社前→豊四季駅前広場→成顕寺までの約1kmを,1時間半ほどかけて進みます。午後8時半,成顕寺の門前に到着。1基ずつ参道をのぼり,境内へ入ります。境内では,講中の皆さんが威勢よく纏振りを披露します。最後の講中の披露が終わったのは午後9時半近くでした。

今回の機材は,DX17-55/2.8G,D300,SB-800でした。今回はノーストロボ撮影の練習を兼ねていたので,露出補正して撮りましたが,それでもアンダー気味。最終的にはソフトウェアで記憶色に仕上げました。
地元の見物客は多かったですが,アマチュア・カメラマンは少なかったです。

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2009/08/16

柏・篠籠田の獅子舞

柏市の「篠籠田の獅子舞」を撮りに行って来ました。

090816この獅子舞は,江戸元禄期から西光院に伝わる三匹獅子舞です。五穀豊穣,家内安全を祈願して施餓鬼会(毎年8月16日)に奉納され,県の無形民俗文化財です。

午後3時半,金棒つきの狐や猿を先頭に獅子やお囃子の行列が寺に練り込みます。演目は,道化による「猿舞」,一匹ずつ獅子が舞う「女獅子」「中獅子」「大獅子」,三匹で舞う「花くぐり」「雨祈り」です。

猿舞は,子供たちが舞った後,大人が舞います。最後に清めの塩撒きがあり,見物人に向かって盛大に塩を撒きます。獅子舞は,龍頭の獅子頭で,腹に付けた鼓をバチで叩きながら舞います。舞い時間は約1時間で,午後4時半ころ終了しました。保存会の熟練した舞手による舞いは見応えがありました。
龍神信仰による獅子舞で,「篠籠田の三匹獅子の日は,三粒でも雨が降る」と云われていますが,この日は炎天下で雨は降りませんでした。

今回の機材は,DX17-55/2.8G,VR70-200/2.8G,D300×2でした。獅子は,本堂前の三間四方に斎竹を立て注連縄を張った芝生で,本堂を向いて舞います。横のゴザにはお囃子が座ります。演技が始まると大勢の観客で大混雑。撮影場所の移動は困難で,同じ位置から撮るしかなく,単調な構図の上に,背景整理のため望遠で寄せたカットが多くなりがちでした。アマチュア・カメラマンもすごい数です。

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2009/08/15

市原・椎津のカラダミ

市原市の椎津地区に伝わる盆行事「椎津のカラダミ」を撮りに行ってきました。

090815毎年8月15日の夜,新盆供養や水難の慰霊,疫病退散を祈願して,葬列が賑やかに集落を練り歩く奇祭で,県無形民俗文化財です。

戦国時代,敗死した椎津城主・椎津小太郎を偲んだ領民が,祭りに仮装して葬儀を出したものとも,城主を逃がすため偽の葬儀を出して敵の目を欺いたものとも云われています。

午後5時,小太郎の菩提寺・瑞安寺に到着。午後6時,本堂で供養の仏事が始まりました。読経の後,小太郎の位牌が前庭の供養塔に移され,祭り関係者が焼香します。約1時間の仏事が終わると,位牌は万灯山車(じゃらぼこ)に移されます。

午後7時,万灯山車が地区を巡行します(上の写真,クリックで拡大)。2本の綱で地元の皆さんに曳かれ,約1kmの道のりを1時間かけてゆっくりと進みます。お囃子は,一斗缶をガンガン叩き,「そらやっせ,おっこらせ」「じゃらぼこ,じゃらぼこ,おんじゃんじゃん」と謡う素朴なもの。終着点では,山車の飾りが外されて,地元の皆さんが魔除けに持ち帰っていました。

午後8時半,終着点に近い地蔵坂の入口からカラダミの葬列が出発。逆ルートで瑞安寺へ向かいます。
カラダミは「空荼毘」が訛ったもので,実際の葬式と同様,幡,施主花,位牌,杖,棺,天蓋の行列です。一行は,口々に「おっとうが死んじまった,おっかあが死んじまったよう,わあわあ」と叫びながら,青年会長さんを入れた棺を担いで疾走します。
瑞安寺では,前庭で幡を中心に3周した後,本堂の裏手に消えていきました。続いて,地元の皆さんが小太郎の供養塔に線香をあげ,行事が終了したのは午後9時すぎでした。

今回の機材は,DX17-55/2.8G,D300,SB-800でした。見物人はほとんどが地元の皆さんで,アマチュア・カメラマンは少なかったです。

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2009/08/08

木曽・奈良井宿

今回の旅の終点は,木曽の奈良井宿です。

090808奈良井宿は,中山道の宿場で,俗に「奈良井千軒」と謳われて木曽路11宿の中で最も栄えた宿場でした。

古い街並みが,旧街道に沿って残っています。古い旅籠などが軒を連ねる街並みは,まるで江戸時代に戻ったようで,国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
宿場の端から端まで約1kmを歩いてみましたが,かなり長いです。観光協会では「たぶん日本一長い宿場通り」と言っています(笑)。

奈良井宿の建物は,2階をせり出した出梁(だしばり)造りと袖うだつ,軒の庇を押さえる桟木(さるがしら)が特徴です。家の間口で税が決められたので,間口は狭く,奥行きが長くできています。どの家も表札のほかに屋号の木札が掲げてありました。

写真は,夕方の奈良井宿です。観光客が引き上げると,地元の人たちが打ち水をしたり,水場で立ち話をする姿があちこちで見られ,いつもの静かな街に戻ります。

今回の旅は,高山と白川郷を満喫して大満足でした。旅の機材は,AF-S DX 18-55mmF3.5-5.6GII,Nikon D40,三脚は軽量のスプリントPROを使用しました。
帰路は,R19から塩尻ICに出て中央道を走り,大した渋滞もなく帰り着きました。

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2009/08/07

信州・野麦峠

帰路は,時間に余裕があったので,白川郷から高山へ戻り,木曽街道(R361)で野麦峠に立ち寄ることにしました。

090807野麦峠は,長野と岐阜の県境にある標高1672mの険しい峠です。江戸~昭和初期ころまで,信州松本と飛騨高山を結ぶルートは野麦峠を通らざるを得ず,多くの旅人を苦しめた難所でした。

特に,明治~昭和初期の殖産興業で信州・諏訪地方の製糸業が盛んになると,貧しかった飛騨の農村から少女たちが女工として集団で出稼ぎに送られました。
懸命に働く女工たちの唯一の楽しみは,正月の飛騨への里帰り。暮れに帰省を許された女工たちは,故郷を目指し,厳寒の野麦峠を歩いて越えました。足を滑らせて谷底へ転落する者,凍傷で動けなくなる者が続出し,たくさんの女工が野麦峠で命を落としたそうです。
その悲哀は,山本茂美のノンフィクション小説「あゝ野麦峠」や同名の映画などで後世に伝えられています。それで一度訪ねて見たいと思っていました。

女工たちが行き来した旧野麦街道は,峠の頂上から信州側ワサビ沢までの約1.3kmが長野県史跡として保存されています。写真は,ワサビ沢の「旧野麦街道」入口です。観光客もなく,ひっそりと静まりかえっていました。

次は,野麦峠を下って木曽奈良井宿へと向かいます。

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2009/08/06

飛騨・白川郷

高山から東海北陸道を白川郷ICで降り,合掌造り集落へ向かいます。

090806白川郷は,世界遺産に登録された3集落(白川郷荻町・五箇山菅沼・五箇山相倉)の中で一番大きな集落です。

中でも荻町集落は,巨大な切妻造りの茅葺屋根を持つ合掌造り家屋59棟が点在し,国の重要伝統的建造物群保存地区になっています。
平成7年には,独特の農村景観が「白川郷・五箇山の合掌造り集落」として世界文化遺産に登録されました。

合掌造りは,江戸時代の建築で,豪雪と養蚕から生まれたといわれます。
この地方では,幕末から昭和初めにかけて養蚕が盛んでした。豪雪に耐えるため屋根を急勾配の切妻とし,1階は生活の場,2階を蚕の飼育場として使い,蚕の成長に合わせて3階や4階を作業場にしたそうです。2~4階の窓は,蚕場に光と風を取り入れるためのもの。生活の中から生み出された庶民の知恵だからこそ,無駄のない美しさに心が惹かれます。

写真は,荻町城趾から見た集落(クリックで拡大します)。ここから見る農村の風景が一番心に響きました。中央の大きな家は,庄屋や番所役人を務めた和田家で,集落で一番大きい合掌造りです(国重文)。集落内を散策しながら写真を撮ると,意外に電柱や電線が目立つのが気になりました。

次は,帰路,野麦峠を目指します。

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2009/08/05

飛騨・高山の朝市

翌朝,早起きして朝市に行ってみました。

090805朝市は,午前6時ころから高山陣屋前と宮川沿いの2か所で毎朝開かれています。どちらもホテルから歩いて行ける距離なので,両方に行くことにしました。

陣屋前朝市は,大正時代に開かれた昼市・夜市が始まりです。陣屋前の広場に露店が並び,野菜や漬け物,果物や花を売っていました。店の人に聞くと,ほとんどが自家製で,店ごとに袋や説明書きを工夫して個性を出しているそうです。

川沿いを5分ほど歩き,宮川朝市へ移動。こちらは,江戸時代の米・桑・花などの市から始まり,明治中頃から野菜なども並ぶようになりました。道の片側に露店が並び,反対側には早朝営業の土産店や菓子店が並んでいます。こちらは店の数や種類が多く,たくさんの買い物客で賑わっていました。

どちらの朝市も,農家のおばちゃんたち(失礼!)が明るく元気なのが印象的でした。写真は,陣屋前朝市で野菜を売っていたおばちゃん。手前の細長いカボチャを買いました。朝市では,他に漬け物,こくせん,朴葉栗羊羹などを買い込み,楽しい想い出となりました。

次は,いよいよ世界遺産・白川郷へと向かいます。

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2009/08/04

飛騨・馬頭絵馬市

夕食は,飛騨牛の朴葉味噌焼きと地ビールを堪能しました。大きな朴葉の上に,味噌,ネギや椎茸などの具を乗せ,混ぜながら焼く素朴な料理で,もとはみそ汁の代わりだったとか。

090804さて,夜の町を散歩していると,「馬頭絵馬市」の幟を発見。ちょうど山桜神社で絵馬市が開かれていました。

高山の馬頭絵馬市は,高山藩主・金森公の愛馬「山桜」にちなんで始まりました。江戸の振り袖大火で,「山桜」は主君を乗せて江戸城の百軒堀を飛び越えて危機を救ったそうです。
その厩舎があった場所が山桜神社で,病に倒れた山桜の平癒祈願をした所が松倉観音と云われ,夏には両方で馬頭絵馬市が開かれています。

絵馬は,木の絵馬ではなく,和紙に描かれた紙絵馬です。家内安全や商売繁盛の縁起物として,地元の皆さんが熱心に選んでいました。「福」が逃げないように,馬の頭が家の中へ向くように貼るのだそうです。

そのまま古い街並みまで足を延ばすと,昼間の喧噪が嘘のように静まりかえっていました。

次は,早起きして朝市に出かけます。

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2009/08/03

飛騨・古い街並み

高山陣屋から赤い中橋を渡ると,古い街並みが残る上三之町界隈に出ます。

090803「飛騨の小京都」と呼ばれる高山には,江戸時代の古い街並みが残っています。特に,商家町として発展した上町や下町には,出格子と軒が連なる古い建物が続き,国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

地図を片手に歩いていると,人力車を発見。さっそく乗ってみることにしました。
写真は,上三之町界隈の様子。小雨でしたが観光客は多かったです。画面左端の後ろ姿が車夫さん。人力車は,車高が高くて見晴らしがよく,説明しながら見どころを回ってくれるので,町の様子がとてもよく分かってお勧めです。

その後,古い街並みを歩いて散策しました。地元の老舗で風流な店がたくさんあって楽しめました。あちこちに春と秋の高山祭りで使う山車の蔵があって,いつか祭りの時期に訪れたいと思いました。

次は,夜祭りです。

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2009/08/02

飛騨・高山陣屋

妻の休暇に合わせて,飛騨高山~白川郷に行って来ました。

090802中央道→長野道を松本ICで降り,R158で安房峠,平湯峠を越えて高山へ。途中,高山ラーメンの製造所を見学して市内へ入ります。

市営駐車場に車を置き,最初の目的地「高山陣屋」へ向かいます。元禄5年(1692),江戸幕府は高山藩を廃して直轄領としました。高山に陣屋を置いて代官(のち郡代)を派遣し,飛騨地方の山林と鉱山を支配しました。明治維新後は高山県庁舎として使われ,全国にただ一つ現存する天領の陣屋として国史跡に指定されています。

表門(上の写真),役所棟は江戸末期の,年貢米を入れた蔵は江戸初期の建物がそのまま保存されています。建物の屋根は,細板を何枚も積み重ねた板葺きで,山深い場所で多く見られる方式です。復元された御白洲や年貢米を積み上げた蔵が,とてもリアルでした。
門前の広場では,大正時代から朝市が開かれているそうです。明日,早起きして寄ってみようかな。

次は,古い街並みが残る上三之町界隈へと歩きます。

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2009/08/01

加茂の三番叟と花踊り

南房総市(旧丸山町)加茂に伝わる三番叟(さんばそう)と花踊りを撮りに行ってきました。

090801賀茂神社の八朔祭で奉納されていた笠踊や神楽が,戦国期の天正5年(1577),少年による三番叟に改められ,さらに江戸初期に八乙女の舞が加わり,現在まで続いています。三番叟は昭和37年に,花踊りは昭和38年に,それぞれ県無形民俗文化財に指定されています。

昼過ぎに現地に到着。1kmほど離れた加茂集会所へ移動します。午後3時前,集会所から練り行列が出発しました。田んぼ道を歩き,鳥居から参道へ入り,神水で手を清めて境内へ入ります。
神職のお祓いや拝殿神事が続き,午後4時過ぎ,三番叟が始まりました。

三番叟の演目は,千歳,翁,三番叟の3つ。舞手は小学生の男児で,お囃子の鼓も男児で驚きました。三番叟の舞い時間は,全部で25分ほどです。
続いて,花踊りが始まります。緋袴の八乙女は小学生で,花と扇を持って舞うので「花踊り」と呼ばれていますが,実際には踊りに名はないそうです。花踊りの内容は,持って踊る物によって,花踊,手籠踊,手拭踊,手踊,奴踊の5段に分かれています。いずれも女性らしい優雅な舞いが印象的でした。舞い時間は,全部で15分ほどでした。

機材は,DX17-55/2.8G,VR70-200/2.8G,D300×2,脚立でした。舞台は,正面左か真正面しか撮るスペースはありません。アマチュアカメラマンが多いので,脚立はあった方がいいでしょう。舞台は半逆光でやや暗めになりますが,ノーストロボとしました。

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