信州・海野宿
古い街並みを訪ねて,海野宿に来ています。
海野宿は,北国街道の宿場町で,本陣が置かれていました。明治期は養蚕で栄え,用水が流れる街道に沿って古い家々が軒を連ねる美しい街並みが残っています。
海野宿には,古い養蚕農家の建物がよく保存されています(左の写真)。建物の両側に張り出している袖壁は「うだつ」です。裕福でないと上がらないので,今でも「うだつがあがらない」などと例えますね。
他にも,「気抜き」と呼ばれる小屋根は,蚕を飼う際の保温用に焚く火の煙を抜くためのもの。窓には長短2本ずつ交互に木を組む「海野格子」など,養蚕業で栄えた当時の特徴をよく残していて,重要伝統的建物群保存地区に指定されています。
こういう古い街並みを撮っていると,何だかほっとした気持ちになります。何となく雨が似合いそうな,しっとりした街並みで,今度は雨の日に撮りに来たいと思いました。
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その名も「Nikon D3」。かつて,ニコン一桁機にはF3という名機がありました。デジタルで「3」を名乗るからには,フルサイズじゃないと納得できない…なんて思っていたら,本当にフルサイズ機でした(FXフォーマットと呼ぶそうです)。
この日のプロデュースは妻。行き先やレストランは,妻におまかせです。
大阪の繁華街は,ものすごい食のパワーを感じます。
吹屋が一番賑やかだった明治33~42年(1900~1909)にかけて落成した木造校舎は,今年で107歳になります。私が卒業した小学校は味気ない鉄筋コンクリート校舎でしたが,この古い木造校舎は,石州瓦と良質の木材がふんだんに使われ,小さいながら凝ったデザインで気品と温かさを感じます。
吹屋は,江戸~昭和初期にかけて,吉岡銅山の鉱山町として賑わいました。江戸中期には,銅山の捨石(硫化鉄鉱)からベンガラ(赤色顔料)を製造する技法が開発され,銅山とベンガラの両方で大いに繁栄しました。
例年,この時期になると,ニュースは交通機関の混雑ぶりを配信し,民族大移動を報じます。いつもはTVを見ながら「大変だなあ」と思っていましたが,今年はお盆時期に合わせて休暇が取れたので,久々に帰省することにしました。
花火の写真を綺麗に撮るのは,なかなか難しい。そこで,今回はデジ一眼で花火撮影の練習をしました。